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10年前の3月の事。

10年前の震災を思い出し、多くの人が祈りを捧げている。

少し違うが、私は10年前のあの日を忘れない。
2011年2月。待望の第二子の妊娠を告げられ、喜んだものの、2月末に行った検診では「稽留流産」の恐れがあるとの事。
とにかく安静にして、家事も最低限にしてくださいと医師に言われた。
しかし、上の子は2歳のイヤイヤ期真っただ中。安静にする方法が見つからず、困っていたところ実家の父から
「1か月程度こちらに来ないか」
との事だった。
埼玉-愛知間の距離を夫に運転してもらい、何とか到着。
その後上の子の里帰り出産のときにお世話になった病院に行こうとした時、


流産した。


まだ、血の塊でしかなかったが、それでもショックだったし、悲しかった。
それがちょうど3月5日。

流産したからすぐに帰る、なんてことは出来なくて、15日に帰ろうかという話は出ていた。
そんな中の11日。

上の子を抱っこしていたまま熟睡。
起きたら津波の映像。
気付かないくらいに寝込んでいたのにもショックだったけど、
寝ている間に世界が変わっていたことにもショックだった。


今、我が家には来年中学に上がる子と来年4年生になる子がいる。


もし、流産した子がいなかったら。
地震のあった部屋の中で私は上の子を守れただろうか。
食べ物もガソリンも電気も十分でない状況で生活できただろうか。
知り合いも全くいない地で、どうしていたんだろう。

そして下の子はこの世にいただろうか。


3月は祈りを捧げる月だ。
多くの震災に見舞われた人々と、


人知れず消えていった命の為に。

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