見出し画像

夏の銃声

 ぼくにとっての大統領は、今にいたるまで大統領の他にいない。その大統領という単語は、一般名詞ではなく固有名詞のようにぼくには思える。
 大統領のほかに大統領はいない。ぼくにとって。
 もちろん、建国以来、大統領の前にも大統領の職責を担った人は何人もいたし、大統領の死んだ後にもその地位に就いた人も何人もいる。しかし、ぼくにとって彼らはその地位にあったというだけで、真の意味で大統領だとは感じられないのだ。ぼくにとっての大統領は、あの大統領、あの夏、頭を撃ち抜かれ殺された大統領の他にいない。大統領といえば、ぼくにとってはあの大統領なのだ。
 単純に、大統領はぼくの記憶に残っている最初の大統領だったから、ということもあるかもしれないが、ぼくの幼かったその頃、この国の大統領に対する熱狂を、当時を生きた人で忘れた人はいないだろう。あれは熱狂というより他にないものだった。若くて、ハンサムで、健康的、美しい妻の手を取り歩く姿はまるで映画スターだった。澄み通った声、華麗な身振り、内容なんてその頃のぼくにはわかるはずもなかったけれど、大統領の演説がとてもかっこいいということだけはわかった。大人たちだって、きっとそれに説得されていたのだ。大統領が笑顔で手を振ると歓声が上がった。選挙戦はロックスターのコンサートツアーのようなものだった。人々は彼の政策や方針を聞きに演説会に行くのではなく、彼を見るという目的のためだけに会場に足を運んだ。対立候補も必死で応戦したが、勝利者は大統領だった。誰も大統領が負ける姿を見たくなかったのだ。ぼくの父と母は大統領の支持者だったから、その勝利にとても喜んだ。これでこの国は良い方向に向かっていくだろうと微笑んでいた。
 あの夏、大統領はぼくたちの町へ来たのだ。なぜその遊説が行われたのか、ぼくは知らない。調べればわかることだが、それを調べたいと思わない。あの夏の記憶を甦らせるのはとてもではないが堪えられないのだ。否が応でも、それは我々の記憶に刻み込まれているのだから。我々とはつまり、あの夏を生きた人間全てのことだ。我々に、少なくともぼくには、あの夏、あの場所で起こったことについては、その刻み込まれたことだけで充分過ぎるくらい充分なのだ。
 ぼくの記憶のそれは、お祭りだった。誰もが浮かれながら歩いていた。お祭りとちょっと違うのは、警官たちがたくさん立っていたことだ。しかしながら、そうした物々しさを覆い隠すような華々しさだった。警官たちでさえ、すこし浮かれているようですらあった。
 ぼくは父に肩車をされていた。父は大柄なひとだったから、ぼくは辺りが見渡せるくらいの高さに持ち上げられていた。歓声がさざ波のようにこちらに向かってくる。先導するパトカーが見えた。その後ろにオープンカーが見えた。手を振る人が見える。近付いてくる。大統領だ。ぼくの鼓動は高まった。大統領がくる。ぼくは握りしめていた国旗を振っていた。大統領がぼくの目の前に来た。大統領がこちらを見る。健康的に焼けた肌、白い歯、ぼくを見る、その瞬間だ。
 銃声。それは、真夏の青い空に響き渡った。
 それから一瞬の沈黙。そして悲鳴。混乱。
 あとで知ったことだが、放たれた銃弾は大統領の急所を過たずに撃ち抜いていて、大統領はほぼ即死だった。国中が喪に伏し、捕らえられた暗殺者は殺された。夏の日射しがどこかへ行ってしまったみたいに、どんよりと雲っていた。いや、実際には日射しは音を立てんばかりに降り注いでいた。雲が立ち込めていたのはぼくらの心の中にだ。なにしろ大統領を失ったのだ。晴れていていいはずがない。ぼくはその暗憺たる日々が永遠に続くものだと思っていた。
 しかし、その予想は簡単に裏切られた。翌日には副大統領が大統領となり、就任演説でこういっていた。「我々はこの大きな悲しみを乗り越えていかなければなりません」
 新たな大統領が大統領であることが、ぼくには理解できなかった。あの大統領が、簡単に取り替えのきくものだったなんて。
 蝉すらも音を立てるのを躊躇った、あの夏の、あの瞬間を、ぼくは忘れられない。



No.943

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?