入り口から

「簡単なことですよ。ドアノブを掴み、回してドアを向こうに押してやる。それだけ」ニヤケ面の胡散臭い男はそう言った。男は入口屋だと名乗った。入口を入れば、面白いものが見られると言う。「多少のお代をいただけば」
「入口屋?」
「その通り。入口を提供させていただいております」
人々は首を傾げた。「何が見られるんだ?」
「百聞は一見に如かず。どなたか入口から入ってみる方は?」
みんな尻込みをした。とにかく得体が知れない。あれこれ入口屋に尋ねてみても、はぐらかされるばかりでいっこうに要領を得ない。「入ればわかります。入れば」の一点張り。
「どなたか入る勇気のある方はございませんか?」
「勇気」という言葉が出ると、引っ込んでいられない輩もいるもので、向こう見ずな若者が名乗り出た。
「俺が入るよ」
「うーむ」しかし、入口屋は渋った。
「なんだよ?客を選り好みするのか?」
「あなたですか?」入口屋は若者の頭のてっぺんから爪先までじろじろとなめるように見た。お世辞にも綺麗な格好とは言えない、と誰もが思った。
「金なら払うよ」
「いえいえ。この先の商売のことを考えると、ね」
若者は財布からお札を取り出し、入口屋につき出すと、有無を言わせずにドアノブを掴んだ。それは簡単に回り、ドアは容易く開いた。そして若者はドアの向こうに消えた。
「まあ、人は見掛けによらない場合もあるしな」入口屋は呟いた。
若者は後ろ手にドアを閉めた。彼が目にしたのは、何も無い空っぽの部屋。一切何も無い。若者はその部屋を歩き回り、もしかしたら何か仕掛けでもあるのではないかと壁を押してみたりして調べたが、そんなものは無かった。しばらくそこで立ち尽くした後、若者はドアを開けて外に出た。
外に出ると、入口屋をはじめ見物人たちが感想を求める視線を若者に送った。
若者は軽く肩をすくめた。「何も無い。空っぽの部屋だ。こんなものに金を払わせやがって」そして入口屋を睨み付けた。
見物をしていた人々はガヤガヤ言いながら散って行った。入口屋はうなだれた。
「おい」若者は入口屋に詰め寄った。「一体なんなんだよ、これは?」
「だから、あなたを入れるのは嫌だったんだ」入口屋は首を横に振った。「これはあなたの内面に通じる入口なんだよ」
「つまり?」
「あんたは空っぽってことさ」入口屋は言った。
「空っぽ?俺が?」
「豊かな内面を持っている人なら、それに見あったものが見られたはずさ」
「信じられないね。そんなことを言って、多くの人間を騙したんだろ?」
入口屋は肩をすくめた。そして自分でドアを開いて、その中を若者に見せた。
「マジかよ」
入口屋はドアを閉め、もう一度肩をすくめた。「商売上がったりだ」
「実演して見せりゃ良かったのに」
「私の内面を人に晒せと?」入口屋は言った。「そんなことするのはよほどの物好きだ。内面はその本人だけのものさ」
若者はドアノブに手をかけた。
「何をする気です?」入口屋は尋ねた。
「空っぽなはずない」若者はそう言うと、ドアノブを回し、そしてゆっくりドアを押した。目にしたのは砂漠、遥か彼方の地平線まで何もない。「何かあるはずだ」
「よせ!」
「探してくる」そう言って、若者はドアを閉めた。
入口屋はため息をついた。「彼は帰ってこないだろうな」

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