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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年8月の記事一覧

読者

読者

 わたしはこの文章を読んでいる。
 この文章とはあなたが読んでいるこの文章だ。わたしは書いていない。わたしがこの文章を書いたのではない。わたしはすでに書かれたものを読んでいるだけだ。書かれたものはすでに書かれていた。
 この文章を書いた者について、わたしは何も知らない。その人物はここにはいない。彼か、彼女かは知らないが、その人物がここにいるということはあり得ない。なぜなら、書かれたことは、すでにな

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Rollin’Rollin'

Rollin’Rollin'

 まず驚いたのは生まれ変わりなどというものが本当にあったことだ。俺は死んだ。間違いなく死んだ。凄惨な死に方だったと言っていいだろう。自分がベッドの上で多くの人間に惜しまれながら死ぬなどということは想像したことも無かった。それだけのことをしてきたからだ。誰かを出し抜くようなことは日常茶飯事、騙し、脅し、時には暴力に訴え、手に入れたいものを手に入れた。なぜそれを手に入れたかったかと言えば、それを手に入

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鉄の心を持つ彼女は

鉄の心を持つ彼女は

  彼女の心は鋼鉄製だった。
 とても頑丈で、壊れることのない彼女の心。心に限らず、彼女はそのすべてが鋼鉄製だった。腕も、足も、体も、顔も。彼女の見た目は古いブリキのおもちゃのロボットみたいだった。ぜんまい仕掛けで動くような、角ばっていて、動くときにはガチャガチャ音を立てるような。実際、彼女が動くとガチャガチャと耳障りな音が立った。もとい、ぼくはそれを不快だと思ったことはない。彼女の姿にしても、見

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昨日今日明日

昨日今日明日

 ある日、男は自分が昨日にいて今日にいないことに気付いた。つまり、その「ある日」は本来今日であるべきなのに昨日だったのだ。
「この光景は」と、男は今日であるべき昨日に思った。「見たことがあるぞ」
 それもそのはず。それは昨日であったので、男はその一日を経験済みだったのだ。昨日あったことであれば、男は全て知っている。朝食の時に飲もうと思った牛乳が賞味期限切れだったこと、遅刻しそうで赤信号を渡ろうとし

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罪滅ぼし

罪滅ぼし

 罪滅ぼしの仕事は罪を滅ぼすことだ。使命と言ってもいいかもしれない。少なくとも、罪滅ぼし自身はそう思っている。
 罪はいたるところにある。車の行き交う大都会の交差点から、ビルとビルの隙間、猫がのんびりと昼寝する軒先、黄金色の小麦が風にそよぐ田園風景まで。およそ罪のないところなどこの世界には無いとでもいうかのように。
 罪滅ぼしはそれを見つけ出し、一つ一つ始末していく。それは重労働だ。罪滅ぼしは一

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生きている石

生きている石

 石は自分が生きていると考えていた。どこにでもあるような路傍の石である。誰も見向きもしないような、その存在に気づかないような、そんな石だ。その石が、自分は生きているのだと考えていた。考えていたなどという生易しい表現ではいささか正確さを欠くかもしれない。あるいは、石に抗議されても致し方が無いだろう。それは確信だった。あなたが自分が生きていると確信しているのと同程度、いやそれ以上の強さで、石は自分が生

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ぼくの物語

ぼくの物語

 世界が終わる以前の写真が引出しの奥から出てきた。そこには無邪気に笑っているぼくがいる。つまりこういうことだ。ぼくはフラれた。写真の中でぼくの隣にいる彼女はいない。いや、この世界のどこかには存在して、今もしっかり息をしていて、食べたり飲んだり眠ったりしているはずだ。もしかしたら、ぼく以外の誰かと一緒に。まあ、それはいい。彼女はもうぼくの物語には出てこない。だから、彼女について語ることは無い。存在し

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日常

日常

 汗臭い部室に最後まで残っているのはいつも通り俺たち三人だった。制服に着替えてからもダラダラとおしゃべりをし、学校から人気が消えていくのを胸騒ぎを覚えながら感じている。とはいえ、俺たちになにか特別なことが起こるわけではない。胸騒ぎは「もう帰んなきゃなぁ」って感じの焦りみたいなのがどこかにあるからで、帰ってからもなにをするわけでもないし、たぶんなにか動画かなにか見たり、マンガ読んで、適当に風呂に入っ

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悪人

悪人

 ぼくは悪人です。悪人として生をうけ、悪人として育ってきた、筋金入りの悪人、それがぼくです。
 ぼくが働く悪事は、ぼくの意志が関与しないところで起こります。ぼくが悪事を働こうとしないでも、ぼくがすることはすべて悪事になるのです。なぜなら、ぼくは悪人だから。ぼくは悪人なので、ぼくの為すことはすべて自然と悪事になっていくのです。
「全部お前が悪いんだ」ぼくは良くそう言われます。そう、ぼくが悪いんです。

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さよなら、夏の日

さよなら、夏の日

 これを書いているぼくはいま、東京にいる。夜、窓の外では雨が降りしきっている。夏のおわりを納得させるために降るような、そんな静かで断固とした雨。雨上がりには、秋の気配をふんだんに含んだ風が吹くのだろう。
 そんな雨をぼんやり見ながら、ぼくはあの夏のことを思い出していた。あの、最後の夏。
 まだぼくが学生だったころ、その夏、ぼくは東北の伯父の経営するレストランでちょっとしたアルバイトをすることになっ

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むしくい

むしくい

 まず第一に     であり、そして、  が  き 思われ、    これから    が自然と導き出されるわけだが、    による   のために   になった。これは実に   な事態だが、大方の   は      で  、つまり、      なのだが、誰も   に  な い。
さらに言えば、   は  なので    だが、これに関しても   である。つまり、   は な に は、    。
結論とし

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死者と生者

死者と生者

 天国が定員オーバーになった。もうこれ以上死者を受け入れられないという。そんなわけで、死者は行き場を失い、この地上に戻ってくることになった。
 ある男は、父の葬儀を済ませ、埋葬をしたその翌日に父が帰ってきた。
 玄関で物音がするものだから不審に思い、居間を覗くと、テレビの前、いつもの場所に死んだはずの父親が座り、テレビ画面をぼんやり眺めている。それは見慣れた光景だから、なにも思わずに通り過ぎそうに

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生きる理由

生きる理由

 旅籠の娘として産まれたわたしは、幼い頃から多くの旅人を目にしてきた。旅人にはさまざまな旅人がいて、幸福な旅人もいれば不幸な旅人もいた。幸福な人生もあれば、不幸な人生もあるのと同じように。そして、妙な旅人もいる。世間に妙な人がいるのと同じように。
「世界を旅してきました」と、その旅人は言った。若い男の人だった。ハンサムと言えば言えなくもないのだけれど、どこかむさくるしい感じのする人だった。
「そ

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夏の栞

夏の栞

 あの夏、ぼくはあの人に出会った。
 ぼくが生まれ故郷であるあの町で過ごした最後の夏のことだ。ぼくはじきに都会の学校へ行くことが決まっていた。学校を出た後も、そのままそこで仕事を見つけ、そこで暮らし続けるつもりだった(とはいえ、これは秘密の計画で、誰にも打ち明けてはいなかった。学校を出る段になってひと悶着あったのだけれど、それはまた別の話だ)し、実際そうなった。ぼくは都会に留まり、いまもそこで働い

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