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兼藤伊太郎

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「無駄」の首謀者、およびオルカパブリッシングの主犯格、兼藤伊太郎による文章。主にショートショート。
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2021年5月の記事一覧

狂気

狂気

 かくしてわたしは狂人を収容する施設に入ることとなった。もちろん、一筋縄で、とはいかない。わたしが激しく暴れたために、三人の警官が病院送りになった。その行動はわたしの主張であった。わたしは狂人ではない。わたしをそんな施設に送るべきではない。わたしは抗議の意味を込めて抵抗したのだ。ところが、わたしのその行動は別の、全く逆の意味で受け取られたようだった。つまり、わたしの大暴れこそがわたしの狂っている証

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愛の証明

愛の証明

 身分証の提示を要求された時、彼が困惑したのは、彼がついうっかりそれを忘れて来てしまったからではない。彼がもともとそれを持っていなかったからだ。彼の両隣のゲートからは、ひっきりなしにそれを通過して行く者たちがいた。通過していく者はみな、彼の持たない身分証を持っていて、それを提示することですんなりとそこを通って行けていた。それは実に簡単なことのように思われた。身分証を提示する。通過する。実に簡単なこ

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キャッチボール

キャッチボール

 彼女の投げたボールは線を引くようなきれいな軌道を描いてぼくが胸元に構えたグローブに収まった。シューッ、と風を切って向かってくるそれは、運動が苦手なぼくからしてみれば少し怖いくらいだった。一応野球部に所属していたとはいえ、弱小野球部で、補欠ギリギリだったぼくだ。それに、そんな現役時代からのブランクもある。しかしながら、ぼくがどうにか彼女の投げるボールを取れるのは、彼女のその投球の精度のおかげに他な

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不発弾

不発弾

 学校が休みになった。突然なことだったけど、学校が休みになって喜ばないものはいない。休みになった理由は、体育館の建替え工事をしていたら不発弾が出てきたからだ。土を掘り返していたら、それが出て来たらしい。なかには火薬が詰まっていて、もしかしたら爆発するかもしれないとのことだった。
 昔々、この国が戦争をしていた頃、ぼくの住む街には戦闘機を作る工場があった。いまでは旅客機のエンジンを作っている工場だ。

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天国の扉

天国の扉

 どうやらぼくは死んだらしい。その時の状況をうっすらと覚えているけれど、なかなかに残念な死に方だった。まあ、そういう星のもとに生まれたのだろう、仕方がない。思ってみると、ツキに見放された人生だった。まあ、仕方がない。死んでしまうと、思いのほか執着というものが無くなるようだ。肉体を失い、それを維持するという大仕事が無くなったからだろう。考えてみると、どれだけ満腹になってもいずれ腹がすくし、熟睡して目

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なにかとてもうつくしいもの

なにかとてもうつくしいもの

「ママにいいものあげるよ」と、息子が言った。夕食の支度をしているあいだ、なにかを必死で書いているのは横目で見てわかっていたけれど、なにを書いているのかはわからなかった。絵を描くのはもともと好きだった息子だから、なにか絵を描いたものをくれるのだろうかと思ったけれど、最近はひらがなを覚え始めて、それを使ってみたい盛りだ。もしかしたら、なにか手紙なのかもしれない。
「いいものって」と、わたしは食卓に夕食

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ぼくは今まだ生きている

ぼくは今まだ生きている

 ぼくの詰め込まれたその貨車は、どうやら本来動物を運ぶために使われていたものらしく、凄まじく不快な臭いがして、それでなくともぎゅうぎゅう詰めで息苦しかったので、胸が悪くなって、道中吐き気を堪えるので必死だった。生唾を飲み込む。どこかで嘔吐するうめき声が聞こえる。胃液が喉元まで込み上げてくる。
 ようやく生きた心地のしたのは、蹴落とされるように貨車から降りて、外気を胸一杯吸い込んだ時だったわけだけれ

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鼻歌

 道ですれ違った人が気分良さそうに鼻歌しながら歩いていて、その人はわたしの視線なんかには気づかないくらい集中して鼻歌でメロディを奏でていて、その姿がおかしくて、わたしは一瞬吹き出しそうになったのだけれど、そのメロディがなぜか異様なまでにわたしを打った。聴き覚えのあるメロディなのに、いつどこで聴いたのかがすぐには思い出せない。絶対に聴いたことがある。だけど、いつどこで聴いたのかがわからない。わからな

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それ

それ

 我々の使命はそれを届けることであった。
「それの中身は」と、新入りは必ず尋ねる。わたしもそうだった。「なんなんです?」
「それはそれだ」というのが答えだ。「それ以上のなにかは無い」
 その役目は、集落の男十人でなされた。
 それが何なのか、我々は知らなかった。幾重にも織物で覆われ、我々は中身を知ることができなかったのだ。その状況は我々に限らない。集落の人間全員が、司祭を除いた全員が、それが何なの

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どこか遠くへ

どこか遠くへ

 彼女が死んでしまったのかと思った。パラソルの作る影の下、デッキチェアに丸まるように横になったその姿は、リスとか、そういう小動物の死体のように見えた。夏の強い日差しに照らされたその白い肌は、まるで生気を感じさせない。ぼくは彼女のためにもらってきたダイエットコークをテーブルに置くと、彼女の口元に耳を寄せた。微かだけれど、確かに息をする音が聞こえた。彼女は生きていた。誰も入っていないプール。デッキチェ

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彼は夢を見ていた

彼は夢を見ていた

 彼は夢を見ていた。
 夢の中、彼は小さな部屋の中にいた。いや、これには語弊がある。部屋は暗く、彼の周りだけが照らされていて、部屋の広さはわからないのだ。ただ、その部屋は彼には狭く感じられた。ひどく息苦しく、喉が閉められるようである。それは、あるいはそこに人がひしめいているからなのかもしれない。
 その部屋で、彼は男たちに取り囲まれていた。これもいささか正確さを欠く表現だ。彼を取り囲む人物たちは、

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君がどんなに間違ってても、わたしは君を肯定する

君がどんなに間違ってても、わたしは君を肯定する

 息子の小学校から着信があると心臓が止まるんじゃないかといつも思う。いつかきっと本当に止まるだろう。もう二度とこんなことは起こらないでほしいと、何度思ったことだろう。そして、それが何度目であろうとも心臓の止まる思いがする。また呼び出しだ。息子がなにか問題を起したのだろう。それが何度目であろうともため息は出る。
「はあ」そして、電話に出て、電話を切り、またため息。「はあ」
 その姿を見ただけで、同僚

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スティルライフ

 祖母の家に夏の帰省をした時、ぼくは決まって祖父の書庫にこもった。近所にはぼくと同じ年頃の子どもはいなかったし、もしいたとしても、人見知りな子どもだったぼくでは、遊びの輪に入れてもらうことなどできなかっただろう。きっと、その輪を遠巻きに眺め、もじもじしていただけだろう。
 その頃から、ぼくの友は本だけだった。外界とのやり取りは全て母がやってくれていた。母はとても社交的な人で、人に頼られ、人の輪を作

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傷ついた一角獣の子ども

傷ついた一角獣の子ども

「これは一角獣だな」と、彼は言った。「一角獣の子どもだ」そう言いながら、そのうずくまって小刻みに震えている生き物の目と目の間を指差す。「ほら、少しふくらんでる。ここから角が生えてくるんだよ」
 ぼくは恐る恐るその生き物に近づいた。家族で行った動物園にいたポニーに似ていたけれど、もっと華奢で、触れたら折れてしまいそうだった。ぼくが顔を近づけると、その生き物は身をこわばらせた。
「ごめん」と、ぼくはそ

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