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シュウハルヤマ

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「無駄」執筆陣一の男前、シュウハルヤマによる文章。
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記事一覧

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第11回「ホース・マネー」~

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第11回「ホース・マネー」~

ペドロ・コスタ「ホース・マネー」(2014・ポルトガル・スタンダード・104分)

・ペドロ・コスタの倫理 カーボヴェルデの移民たちが、ヴェントゥーラ自身の肉体に比喩的にではなく刻み付けられているのと同程度に、そして初期作『血』『骨』をはじめとして歴史的傑作『ヴァンダの部屋』、『コロッサル・ユース』から本作まで、一貫してヴェントゥーラやヴァンダのような移民たちと彼らが暮らしている(いた)フォンタイ

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シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第10回「ジュラシック・ワールド」

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第10回「ジュラシック・ワールド」

「ジュラシックワールド」(2015)コリン・トレボロウ監督(アメリカ・124分・スコープ)

・「見る」と「見られる」 恐竜は見るものであって、恐竜に見られることはない。これこそがシリーズ一作目の傑作「ジュラシック・パーク」を貫くモチーフであった。この視線をめぐる一貫した意識があるからこそ、この構図を逆転し、動物園の動物のような存在であったはずの恐竜に「人間が」「見られる」ことで、動物園の生き物

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シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第9回「山河ノスタルジア」

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第9回「山河ノスタルジア」

ジャ・ジャンクー「山河ノスタルジア」(スタンダード・アメリカンビスタ・スコープ/125分)

・かなしみ≠悲しみ いささか時代の隔絶を感じざるをえないという意味で突拍子も無い冒頭のペットショップボーイズ「Go West」で踊る主演チャオ・タオのシーンから落涙してもおかしくはないこの映画は、まさにその時代なるものを身体、そしてスクリーンに刻印してゆくことで、人間の持つかなしみをも刻み付ける。間違って

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シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第7回「バケモノの子」~

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第7回「バケモノの子」~

細田守監督「バケモノの子」(16:9・119分)

・くじら 始まってすぐの渋谷スクランブル交差点を緻密に再現したシーンにおいて既にビルの画面にくじらが映っており、細かな点に周到な伏線を配していることが見てとれる。九太の部屋から「白いくじら」という絵本が運び出され、くじらの絵が描いてあるカレンダーがみえるのも同じことだ。メルヴィル「白鯨」の解釈だけでは、くじらというモチーフを持続させる求心力は弱い

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シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第六回「母よ、」~

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第六回「母よ、」~

 表象という点においては記憶と夢に違いはない。我々が記憶と呼ぶものは、ある表象すなわちイメージとして現れるが、夢も同じだからだ。

・夢と記憶の違い

 記憶はどの記憶を思い出すかをコントロールできるから、夢とは異なるだろうか。しかし、紅茶に浸したマドレーヌを口に運んだ瞬間に幼いころの記憶を鮮明に思い出すのと同様に、ふとした瞬間に記憶がよみがえることは誰にでもあるはずだ。戦争や虐待など苛酷な経験を

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シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第六回「キャロル」~

シネマディクトSの冒険~シュウハルヤマの映画評論・第六回「キャロル」~

トッド・ヘインズ「キャロル」(2015 アメリカンビスタ・118分)

・映画とその時代  地下鉄の音が流れながら通気口が写るオープニングに「CAROL」のタイトルがうっすらと現れる。アイゼンハウアー大統領の就任というニュースから、そして粒子が荒っぽく残るフィルム風の映像からわかるように、1950年代初頭という時代を物語においても撮影においても意識したこの映画は、このオープニングにおいて、その時代

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シネマディクトSの冒険 ~シュウの映画時評・第五回「ザ・ウォーク」~

シネマディクトSの冒険 ~シュウの映画時評・第五回「ザ・ウォーク」~

 前々回の「ブリッジ・オブ・スパイ」評において、私が一本の糸が両端から引っ張られることをサスペンス性の比喩として用いたとき、そうした選択を無意識に決定していたのはこの映画だったのかもしれない。というのもまさにこの映画こそ、110階建て、地上417メートル、双子のワールド・トレード・センターの両端をむすぶ一本のワイヤーによって「緊張」を、そして弛緩を体現しているからである。

 稀代の曲芸師、綱渡り

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シネマディクトSの冒険〜シュウハルヤマの映画評論・第四回「1917 命をかけた伝令」

シネマディクトSの冒険〜シュウハルヤマの映画評論・第四回「1917 命をかけた伝令」

サム・メンデス『1917』

※以下、ストーリーの中核部分が含まれます。

 この世のものとは思えないほど美しい草原でまどろむ二人の若い兵士。そのうちの一人を上官が起こし、もう一人の若い兵士を連れて本部の将軍のところまで案内する。二人は狭い塹壕を抜け、カメラはその姿を途切れることなく追っていく。場面は、草原から草木も生えないような塹壕へと移り、汗と血と死のにおいがたちこめる戦場であることが示される

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シネマディクトSの冒険 ~シュウハルヤマの映画評論・第三回「ブリッジ・オブ・スパイ」~

シネマディクトSの冒険 ~シュウハルヤマの映画評論・第三回「ブリッジ・オブ・スパイ」~

スティーブン・スピルバーグ「ブリッジ・オブ・スパイ」(シネマスコープ、141分 2016年)

 傑作である。冷戦期、1972年のミュンヘン・オリンピック事件を素材にした傑作「ミュンヘン」を撮ったスティーブン・スピルバーグは、本作で1950年代後半から1960年代のソ連と東ドイツを登場させ、戦後秩序を描き直そうとしているのではないかと憶測するのもあながち夢想ではないような気にさせてくれる。そうい

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シネマディクトSの冒険 ~シュウハルヤマの映画評論・第二回「マイ・ファニー・レディ」~

シネマディクトSの冒険 ~シュウハルヤマの映画評論・第二回「マイ・ファニー・レディ」~

 あの「ペーパー・ムーン」を撮ったボグダノヴィッチの13年ぶりの作品、しかもコメディであるというだけで、この映画をみなくてはならない十分な一つの理由になる。それに加えて、1939年生まれのこの監督が、フレッド・アステアやマリリン・モンロー、オードリー・ヘップバーン、ハンフリー・ボガード、ローレン・バコールといった、いささかこちらが恥かしくなるような往年のスターとモノクロ時代のハリウッド映画を追想し

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シネマディクトSの冒険 ~シュウハルヤマの映画評論・第一回「野火」~

シネマディクトSの冒険 ~シュウハルヤマの映画評論・第一回「野火」~

塚本晋也「野火」(2015)87分・アメリカンビスタ

 自らがなにかに引き裂かれ、分裂を回避できないとき、そこに倫理が生じる。戦場では文字通り肉体としての人間が現れる。それは「犬」や「猿」のようなものであり、肉片である。そうした事実を認めながらも、人間という存在はそれだけではないはずだと思わずにはいられないこと、これが倫理である。しかし倫理は肉体としての人間のみからは生じない。いかにしてこれが生

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シュウハルヤマの映画批評 「マリッジ・ストーリー」

ノア・バームバック『マリッジ・ストーリー』137分・ヨーロピアン・ビスタ(2019)

 ※このレビューはすでに映画を観たことを前提に書かれている。単純に面白い映画なのでまず一度観てほしい。

 タイトルとは裏腹に離婚の話である。オープニングからの離婚調停のシーンで我々は幸せな予感を裏切られ、くすりと笑ってしまう。ノア・バームバックの特徴がよく現れているオープニング・シークエンスである。彼の脚本は

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シネマディクトSの冒険 ~shuの映画時評・第一回「野火」~

塚本晋也「野火」(2015)87分・アメリカンビスタ

 自らがなにかに引き裂かれ、分裂を回避できないとき、そこに倫理が生じる。戦場では文字通り肉体としての人間が現れる。それは「犬」や「猿」のようなものであり、肉片である。そうした事実を認めながらも、人間という存在はそれだけではないはずだと思わずにはいられないこと、これが倫理である。しかし倫理は肉体としての人間のみからは生じない。いかにしてこれが生

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法学部真坂教授  shu

Q大学法学部10号館106大教室、法学概論の授業、受講者は300人程度。授業開始から10分後、真坂教授が到着する。
「特に法には興味ないけど就職がカタいからというだけの理由で法学部を選んだ皆さん、初めまして真坂です。いやいやそれが悪いなんて言ってませんよ、人間の可能性は無限大ですからねぇ。かの有名な哲学者パスカルはこう言いました、『クレオパトラの鼻、それがもう少し低かったら、大地の全表面は変わって

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