愛する猫の命が天に還っていった。ここにある喪失感から、今日これからをどう生きようか。 ( 3 )
こちらのつづきです。
また一日がすぎた。
今朝は目がさめた瞬間にはっきりと分かっていた。
「あおは天に還ったんだ」
今日は一人でたちあがり、あおに「おはよう」と声をかけた。あおはきれいな石や花や、木の実や、遊ぶための紐に囲まれていた。
あおを眺めながら、頭の中で「こんなにも早く、あおが息を引き取った意味」を見出そうとしている。
「寿命だったんだ。」「ここで死ぬことを決めていたんだ。」何かの理由を見いださないと、いられない。
「そんなことしても無意味だ」という声が聴こえて「意味さがし」を手放したら、今度は「もっと早く病院につれていってれば」という後悔が押し寄せる。
胸がぎゅっと痛い。
息がすえない。
悲しみや寂しさよりも、後悔がいたい。
空気を入れ替えよう。と思って、窓をあけた。
あおの周りは華やかだった。
昨日シェアメイトが庭の花をそえてくれて、アメリカで拾ってきた石や、木の枝や近くの海岸で拾ってきた貝殻をおいてくれて、
私も屋久島で拾った石や、どんぐりの実や、友人にもらって屋久島の水にさらした水晶をまわりにおいた。
そうだ、2年前に屋久杉の一輪挿しを買ったんだ。と思い出し、ごそごそ出してきた。
お線香をあげて、部屋を整える。「あおちゃんの命をお祝いする会」をしようか、とシェアメイトが声を出してくれたことを思い出す。
そうだ。そうだよね。悲しみや後悔でいっぱいになっているけど、その奥には、その悲しみよりもっと大きな喜びやお祝いがあったはず。伝えたい感謝や、思い出したいあたたかさにつながってみよう。
そして、
そろそろ考えないといけない。あおちゃんを土葬するのか、火葬するのか。
火葬したら「骨」を身につけることもできるよね。と言われて、心が惹かれたけど、
あおちゃんを自分たちで火にいれる勇気はない。けど、知らない人に火葬をお願いするのも嫌だ。業務的に扱われるのも嫌だし、あおちゃんも「ここはどこなのか?」と混乱してしまうんじゃないか。
しかも、土葬したら、あおちゃんの命がよりそのままの形で土に還っていける。
もし、今住んでいる古民家の庭に埋めることができたら、あおちゃんの命が、果樹になったり、野菜になったりするんだろう。それで、私がその果樹や野菜をたべたら、私の命のなかにまた新鮮なあおちゃんの命が紡がれる。
私たちはより一層「庭」を身近に感じ、大事に想い、命の inter-being (共生)を忘れずにいられるだろう。
あおちゃんも、きっと私達が過ごす庭に一緒に入られて、嬉しいはず。
そう思って、シェアメイト2人に相談をする。この古民家は賃貸だし、2人の気持ちも大事にしたい。
恐るおそる質問すると
「そうしてほしいな、と思ってたよ。」と言ってくれた。「もうぼくたちはこの古民家にすみつづけるかもね。」と笑ってもくれた。
「どうやって土葬しようか」と話す中で、前にFacebookで見かけた高田造園さんの「たぬきの風葬」を思い出す。
高田造園さんは、以前パーマカルチャーと平和道場で「大地の再生」を教えてくれた、いのちの循環士。土壌の鍼灸師。
例えば空気や水が滞り、死にかけている土壌に穴をあけ、竹炭やもみがらくん炭や、落ち葉をいれ、土中の空気や水を巡らせていく。そんなふうに、命をめぐらせていく。
木々や大地も含めた自然への敬意と愛を感じる人だった。
高田さんのやり方を真似して、自分たちで土に還してみよう、と思った。
動画を見ながら、庭のどこがよいかを考える。
・土に還っていきやすいこと
・私達の暮らしとのつながりが感じられること
・踏まれたり、掘り返されないこと
・できたら、あおちゃんの還った土からまた命をいただきたいから、果樹などが植えられるところ。
なんとなく場所の目安をたてながら、今夜の「お祝い会」の準備をする
部屋を片付けて、
お線香をたてて、
ろうそくを用意して、
あおちゃんのお色直しをして、
みんなで共有する写真を整理して、
ようやく体と頭が動くようになってきた。
準備をしていると、以前訪れたプラムビレッジの僧侶「ティク・ナット・ハン」が亡くなったと聴いた。彼のMemorial Ceremony の準備がライブ中継されていて、それをみながら、わたしたちも場の準備をした。
シェアメイトがお花を買ってきてくれて、カスミソウとガーベラをあおちゃんの横に添えた。
そして、壁にかざってあった「inter-being」の絵を横に添えた。
その瞬間に、
「あ、場が整った」とかんじた。
輪になって、共有のアルバムに集めたあおちゃんの写真をスライドショーでみる。
亡くなる前日のあおちゃんが、私の車のフロントに乗って「にゃー」と無く動画から始まった。
「早く降りてきて」と言わんばかりに車の中の私を急かして、車の屋根にも乗って、中を覗き込んでいる一部始終が動画に収まっていて
これ、たった数日前なんだ。
このときは生きてたんだな。と
生きていた事実を不思議に思う。
だんだんと時をさかのぼって、若くなっていくあおちゃん。写真を眺めて、笑い、目の前で固まったあおちゃんを眺めて、口を結ぶ。
また、楽しかった頃を思い出して笑みがこぼれては、寂しくないかと、今のあおちゃんを眺める。
「小さい頃もまた、こんなにかわいかったんだよ」と自慢する会かとおもうくらい、時間をかけて、ほとんどの写真をみんなに紹介した。
写真を見終わってから、ひとりずつ「あおちゃんに伝えたいことを、」と時間をとった。
言葉になる声も、ならない声も、
涙も、笑顔も、含めて
私達がうけとったギフトや、
わかちあいたいことを聴きあった。
あおちゃんが共にいてくれたこと。何をするわけでもなく、一緒にいてくれたその存在から、どんなに力をもらっていたのか
落ち込んで、寂しさにくれた夜も、困難や痛みに苦しんだときも、幸せそうにあそび、ご飯を食べ、安心して寝ている姿にどれだけ癒やされたか
言葉では表現し尽くしきれなかった
ほとんどはこころの中で祈った
ふと、何かが終わってない感じがして
「あおちゃんは、私達になにか伝えたいことあるかな?」と聴いた。
わたしは事あるごとに、
あおちゃんに話しかける人だったので
半ば無意識に声をかけたのだけど、
ハッと気がつくと、涙がまた滲んで心の中が波だった
けど、感覚をとぎすませて、
あおちゃんの声を聴こうとした
「幸せだったよ」って言ってほしいな
「後悔なく、楽しく、生き抜いたよ。」って言ってほしい
そんな雑念で、よく聞こえなかった
それでも、あおちゃんがこの場でちゃんと共にいて、お互いに心を通わせられた感じがして、何かおちついた感じがした。
「あ、あおちゃん、もしかしてそっちにティク・ナット・ハンが行ってるんじゃない?一緒に見てくれてるかな?そしたらきっと、もう寂しくないね」
そう言って、安心した。
最後に、みんなでプラムビレッジの歌を歌った。
「あおちゃんの命をお祝いする会」を終えて、
こたつでまどろみながら、プラムビレッジのChantingを聴いた。
般若心経を聴きながら、
改めて「死ぬ」ということについて考え直した。
死ぬってなんだろう
身体から魂が離れて、
確かにわたしからはあおちゃんが動く姿はみえないけれど
身体の制限をこえた今では、あおちゃんは私がどこにいったとしても、ついてこれるから逆に今までより寂しくないのかもしれない
この数日悲しみに圧倒されていたけれど、「死」が悲しいもの、寂しいもの、別れだというイメージが(その認知)が変われば、私の中にわきあがるのは悲しさではないのかもしれない
あおちゃんに「守ってあげられなくてごめん」と言ったけれど、私が勝手にあおちゃんとまだ生の世界を生きたかっただけで、あおちゃんは本当は無制限の世界にかえれてしあわせなのかもしれない。
答えがでないことをぐちゃぐちゃ考えながら、
その日はすこし安心して寝た。
▶続き。
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