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推しの終わり、その先は

先日、2月16日(日)恵比寿で行われたライブを最後に、私が結成以来ずっと応援してきたモラトリアムというドラマボーカルとキーボードのユニットが活動休止となった。もちろん「解散」ではないが「無期限の活動休止」という一つの区切りを迎えた事に変わりはない。

4年と10ヶ月、約5年間、ライブやイベントに通っていた、いわゆる推しの終わり。

最後の一音が消えた瞬間、私は酷く冷静だったように思う。

むしろ、昨年の12月、仕事終わりに駆けつけたライブのアンコールで突然の活動休止宣言をされた時の方が動揺していた。

活動休止宣言を受けて、その時の私が感じたのは、驚きと寂しさ、そして、やはりという感情だった。

ライブ本数の激減や配信の激減、ツイートの減少などもあり、どこか覚悟をしていた部分もあった。それでも、昨年4月に開催された4周年記念ライブの際には、2人で音楽を奏でる事に意味がある、その関係性は続けていく、という2人の言動から続けるのだろうと感じていたため、その次に開催したライブのアンコールで活動休止を告げられれば、動揺もする。

同時に、目の前で活動休止を告げられてすすり泣く会場内にも動揺していた。

モラトリアムに支えられてる人間がこの狭いとはいえ満杯になった箱の中にこれだけいたのかと、涙さえ出てこない自分と比較して、不思議な気分になった。

私は不謹慎にもその時、もし、最推しであるポルノグラフィティに同じように活動休止を告げられたら、と考えてしまっていたのだ。

そうなったら私はどうするのだろう。そして今、私はどうするのだろう。

まるで他人事のように胸の中がざわざわと騒がしい気持ちに襲われていた。目の前に突きつけられた現実と、架空の現実が混在していたように思う。

アンコールの音は、そのほとんどが耳を通過していくだけで、気づけばライブは終わっていた。ライブ後の特典会に並ぶ時には、今日が最後かもしれないと思い臨んだ。2月16日に物理的に行けるかどうか、そして気持ちの面でも行けるのかどうか判断がつかなかったからだ。

途中から入った事もあり、先に物販とドリンク交換を済ませて特典会の列に並んだら当然の事ながら最後尾。ポルノさん界隈で仲の良い子と合流し、順番を待った。

サインをしてもらい、他愛無い会話をする。これを言おうあれを言おうとあれこれ考えても、やはり実際にはそのほとんどが言葉にならないまま消えていく。それは約5年間、こうして特典会を経てきても変わらなかった。

その日の特典会で、最後のライブ絶対行きます、だけは言わなかった。言って嘘になれば後悔が残るだろうし、相手にも失礼だと思った。だから、これからの活動も楽しみにしてますと伝えた。

そうして最後に握手をした時、洋ちゃんが「やるかどうかは別として、次のライブのリクエスト1曲だけ聴くよ」と言った。

やるかどうか別として、と添えるところが洋ちゃんらしい。隣の悠さんがそんな事言っていいの?という目で見ている。

私は迷わず「僅か」と答えた。

モラトリアムの楽曲で好きな曲は他にもあるが、もし最後に聴くならキーボードが最高にかっこいい「僅か」が良いと思っていた。(聴いたことがない方がほとんどだと思うので、是非これを機にMVを見て頂きたい。https://youtu.be/EqdL9TuOXMk)

間髪入れずに答えた私を見て、2人は笑ってた。前からずっと言ってたからか、それとも急に力強く言ったからか、愛想笑いと本気の笑いとが混じったよく見てきた笑顔だった。


そして、Last Elopementと名づけられた活動休止前最後のライブ。悩んだ挙句に、数日前に行けない友達に促された事もあり当日恵比寿の会場へ向かった。

そのラストライブの、新旧入り混じったセットリストの真ん中で「僅か」が演奏された。

思わず、溜息が出た。

結成ライブから、時には毎週のようにライブハウスに行き、行き慣れないイオンモールへ数十分のミニライブのために向かったり、ライブがあれば新幹線で日帰り名古屋まで、都内のHMVのイベントに仕事終わりに駆け込んだり。

懐かしい思い出が駆け巡る中、最後に聴きたいと思っていた楽曲、そして前回に聴きたいと伝えていた楽曲が披露されていた。

私が1番好きなカホンとキーボードのスタイルではなかったけども、その一曲の価値はとても大きかった。

本当の事を言うと、私はカホンボーカルとキーボードのスタイルだったモラトリアムが好きで、ドラムボーカルスタイルのMORATRIUMよりずっと好きだったから最後は悠さんのカホンを叩く姿を見たかったが、それはわがままと言うものだろう。

ライブが終わって、最後の特典会はいつも以上に長い列、長い時間がかかった。別れを惜しんで普段よりも長い時間をかけて一人ひとり対応していたのかもしれない。

サイン握手と写真とで別に行なうとの事で、サイン会の時には私と同じようにずっとライブに行ってたものの、出産に伴い、最後に立ち会えなかった友達の分のサインを貰い、友達からの伝言を2人に伝えた。そしたら洋ちゃんに「〇〇の事ばっかじゃん」といつもの笑顔。本当に自分の事何も話してないなと私自身も苦笑した。それでもまだ写真のタイミングもあるし、と思っていた。

いざ、写真を撮ってもらった時、これが本当にこの距離感で話せるのは最後だと思ったら、何も言葉が出てこなかった。

最後に何か言わなきゃと、考えを巡らせてるうちに、洋ちゃんに促されるまで、結局言えたのは「ありがとうございます」の一言だけだった。

今日「僅か」やってくれてありがとう、これまでありがとう、楽しかったです、またどこかでお会いしましょう。

言いたい事は多分色々あったけど、全てが恐らく「ありがとうございます」に集約されていた。

実感が湧かないが、次があるかも分からない中でのお別れ。最後の最後まで、洋ちゃんは洋ちゃんだったし、悠さんは悠さんだった。


結成から、結成ライブの前からモラトリアムを応援してきて一時毎週のように会っていたファンの子たちともう会う機会がほとんどなくなってしまうのは悲しい。

でも惰性で音楽をして欲しくないとずっと思い応援してきて、2人が一つの区切りを迎えるまでに、本人達は消化不良とは言っていたが、私はどこかやり切ったという気持ちがある。

最初から最後まで見届けてきて、もちろん自分に対してはあの時こうしてれば、こう言えばという思い出はいくつもあるが、モラトリアムに対しては悔いがないと思っている。


最後のライブが終わってから、彼らの音源をひたすら聴いている。

これまでの思い出を振り返りながらも、この音源はずっと残るし、聴きたければ聴けば良いし、また再開するとなれば会いに行けば良いし、そのためには長生きする必要があるし、と考えて日常生活に戻っている。

そんなものか、と思う気持ちと、そんなものだろうと思う気持ちと。


推しの終わりのその先にも、彼らの楽曲は今も手の中で流れ続けている。

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