松谷

1987年奈良県生まれ東京都在住。 2016年以降の下北沢にくわしい。 おもにブログを…

松谷

1987年奈良県生まれ東京都在住。 2016年以降の下北沢にくわしい。 おもにブログを書いている。 https://www.nyikitai.com/

最近の記事

最近読んだ小説

最近は小説を読むことをストップしている。それは小説を書くために必要な手続きのひとつなので仕方ないにしても、小説を読まない生活をある程度続けると小説が読みたくなる。小説を読みたいという力を、自分自身が自分自身の小説を書くエネルギーに変換して小説を書くのである。これが私にとって正しい小説の書き方だということに3年前の小説執筆経験で気づき、そこからの年月によってそのことを忘れ、今また思い出し、小説を書くために実行に移している最中ということになる。 それより以前、直近で読んでいたのは

    • ずいぶん

      久しぶりになった。15分間のタイピングテストたるNoteでの文章作成もかなり久しぶりだ。この間文章を書いていなかったかといえば逆で、自分のblogに日記と称する文章を継続的に書き続けていた。ここでやりはじめたタイピングテストの日課が軌道に乗って文章作成の習慣ができたということになる。 皆にもブログ制作をすすめたいぐらいだが、べつにNoteでできることはNoteでしたらいいとも思うので、まあ書くのがいいという何も言っていないに等しいことしか言えない。 ブログの日記の方では15分

      • ハンターハンターがおもしろすぎる

        ハンターハンターが面白い。掲載方法が毎週から変更になるというアナウンスがあって、しょうがないとはいえ残念でならない。ジャンプの定期購読を解除した。 今後はペースにもよるがハンターハンター掲載号だけの購入というように、購入方法も掲載方法に合わせることにする。 王位継承編の登場人物の多さは、そのまま話の面白さにつながっている。キャラクターの数はすでにトランプ一組の枚数よりも多いが、王位継承編が面白いのは、それぞれのカードの組み合わせによって、いろいろな役の可能性があることだ。ハン

        • 外枠

          何らかの表現について、あるいは事象に対して、外形を用いてそれが何なのか分類しようとすることがある。いや、そういうことがあるというよりそれが基本になっていて、大体どんなものに対しても、外枠をはめてかかる。なにもそれで判断しようというのではない。判断の以前に、つまりそれが良いのかわるいのか自分にとってどうなのか決めようとする以前の段階で、そういうものとして受け止めるということが普通なのだ。普通になってしばらく経つと思う。いつからということがいえないのだが、そういう場合というのは、

        最近読んだ小説

          ハズバンズ

          ジョン・カサベテスの映画「ハズバンズ」を見た。感想はふつうに面白かったということなのだが、どこが面白かったかを考えると、台詞回しなどに不自然なところがないということぐらいしか思い浮かばない。あらすじはろくでもない男たちが若くして亡くなった友人のひとりを悼みつつ痛飲して管を巻くというのと、その延長でロンドンに弾丸旅行を決行するというものにすぎない。30歳になってそれぞれが公私ともに順調な生活を送っているようで、その実なぞの切迫感に襲われていたりするという当時も今もよくある実存的

          ハズバンズ

          鋭く感じ柔らかく考える

          鋭く感じ柔らかく考える。一時期購読していたアステイオンの副題がたしかそんな言葉だった。うまいこと言うなと思うような言葉を見聞きしてはうまいこと言うなと思い、そこから快感を得ていた当時の私にとって、アステイオンのこの言葉は、感じることと考えることの差異と共通点をひっくり返したいい言葉だと思われた。感じるのはなんとなく優しい感じのすることで、考えるのはきちっとしている感じのことだと思われていると思っていたのだが、必ずしもそうじゃないなと思っていた気持ちにしっくり馴染んだのだと思わ

          鋭く感じ柔らかく考える

          最近とても

          ダラダラしている。時間はあるのだが何をする気にもならない。映画を見たり、漫画を読んだりもっとすればいいと思うのだが、そういうのを受容するやる気も出ない。本は読もうとしているが、なんとなくノルマという感じがして、ノルマという感じ方自体はある程度受け入れているし、それでいいと思っているのだが、かなり少ない量のノルマの達成だけが日々の出来事であるような現在の状況である。 いろいろイベントはあって、それらは悲しくも終わっていってしまうのだが、イベントに対する期待をそれなりの高さに据え

          最近とても

          PK戦

          PK戦で失敗した選手を責められるのは人生で緊張したことのない人だけだという気がする。 とくに一番目のキッカーにのしかかる重圧は想像したくもないものだ。もし自分が失敗したらと考えるとおそろしい。流れは確実に相手に傾くし、下手をすると味方の二番目以降のキッカーにも一番目のキッカーと同様の重圧を受け渡してしまい、彼のPKをも失敗させる結果になるかもしれないからだ。 人生の大一番で何かをするとき、そこまで大それていないことでも、たとえば人前で何かをするとなったら、自分だったら緊張して

          漫画と映画

          漫画と映画のちがいを感じる体験をしてきた。すなわち「SLAM DUNK THE FIRST」を見てきた。ほとんど情報解禁せずに上映するスタイルに敬意を表するつもりもあって、より現実的にはあらゆるネタバレを回避したいがために、公開初日に映画館に足を運んだ。見終わってそれはもう大満足だったのだが、それでも忘れてはいけないなと思うのは、見に行く前に、『スラムダンク』を初日に見に行かないという選択肢はないなと思う一方で、クオリティが残念なものだったらどうしようとも思ったことと、たとえ

          漫画と映画

          サッカー観戦

          サッカー観戦をしはじめて気づけば20年ぐらい経つ。アーセナルというチームを応援すると決めて、その視点からサッカーを見てきた。 応援するチームがはっきりしているとサッカー観戦は俄然おもしろくなる。応援しているチームがない状態でサッカーを見るという経験がないので、それと比べて面白いということは言えないはずなのだが、それでも想像だけでわかる。 音楽を聞くときに、贔屓のミュージシャンがいないというような音楽好きもいるのだろうが、その人と特定のミュージシャンのファンとの音楽体験を比べて

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          ランジャタイのM-1準々決勝漫才が面白い

          わたしはカッパが好きである。どんなところにもカッパが登場すると「おっ」と思って、テレビだとチャンネルを回す手が止まる。だいたいフィクションというか誰かが作った世界にカッパはいる。人の多い場所を散歩していてもカッパを見つけられたことはないし、これはカッパが架空の存在であることに端を発しているのかもしれない。とにかくカッパが好きで、カッパが現れると「おっ」と思って、何か作業をしている手が止まったりする。ぐらいにカッパが好きである。 あと、わたしはバスケが好きである。やるのも見るの

          ランジャタイのM-1準々決勝漫才が面白い

          ワールドカップがたのしみ

          大迫が日本代表に選出されなかったのは今でもおかしいと思う。個人的には原口と旗手も選出されるべきだと思ったのだが、大迫についてはもう一段上で、絶対に選出されるだろうと思っていたので選外になったときには驚いたし、なんでだよと思った。不満に思うとかではなく、その選択に対しておかしいと思った。 大迫はベンチに置いておくだけでも、選択肢の幅がまるまる一個増えるような選手だ。対戦相手のチームが相手チームの対策をするのであれば(現代サッカーでは対戦相手の分析をしないことはありえない)、スタ

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          聞くターン2

          ある話を聞くとき、話をするほうはその話を何回もしているという場合がある。そういうときに必要なのは相手の言うことを先読みして、それを受けて自分が何を言うかを考えることだ。そういうときには受容的に聞くのではなく、発信準備をしながら聞くということができると思われる。 私は何かを見聞きしていてもあまり先読みするということをしない。先読みするというのは、自分がこれまで見聞きしてきたもののライブラリから同じパターンを見つけて認識するということだ。パターンで認識していくことで情報を入れやす

          聞くターン2

          聞くターン

          人が話をしているときに、何も考えずに話を聞いていることが多い。相手の言ったことを受けて自分が何を話そうかということに意識を向けていないというのが何も考えていないということだ。100のうち20か30くらいを話を聞く耳に集中して、残りをつぎに自分が話す内容にリソースを振り分けるというようなことができない。ただこれは割合の問題なのかもしれない。数字をあべこべにして80か70くらいを聞く耳、それ以外を話す口に振り分けるのであればできるのではないかと言われればそれも難しいと思う。 私は

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          秋の動物園

          このまえ、多摩動物公園に行った。いちど行ってその魅力にとりつかれ、また行こうとつよく思った。だけど結局、それから3年ぐらい経った気がする。 動物園にはよしあしがある。動物が魅力的なのは言うまでもないが、その動物の魅力にあぐらをかかずに、魅力を最大限引き出すような姿勢を施設側が持っているかどうかに、動物園のよさはかかっている。 多摩動物公園はその姿勢が感じられて感心したし、好きな動物園になった。今まで行ったことのある動物園では、上野動物園や京都の東山動物園はもっと頑張ったほうが

          秋の動物園

          へのへのもへじ

          へのへのもへじはすごいと思う。へのへのもへじとは顔文字である。顔文字というか、文字で顔を書くシステムである。ある決まった配置で「へのへのもへじ」という字を書けば、それが人の顔になる、そんなシステムである。 絵には上手い下手があり、字を書くにも上手い下手がある。下手な人の描く絵は見るに堪えないし、下手な人の書く字は、下手をすると判別できない。判別できるにしても、年端のいった人の書く下手な字は、見る者をなんともなさけない気持ちにさせる。 しかし、へのへのもへじというシステムは絵の

          へのへのもへじ