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旧白州邸「武相荘」で過ごす休日 戦後日本の復興を支えた白州次郎

「従順ならざる唯一の日本人」GHQにそう言わしめた日本人、白州次郎。戦後、当時の吉田茂首相の右腕として日本国の復興に向けて活躍した人物です。彼のゆかりの地にやってきました。
小田急線鶴川駅に到着し、バスに乗り込みます。

旧白州邸「武相荘」。彼と妻・白州正子が晩年を過ごした家です。町田市文化財に指定されています。

この坂をのぼります

実は、私がここを訪れるのは三度目。最後に来たのは10年くらい前かな…。それでもこの場所に魅せられ、何度でも訪れたくなる理由があります。この夏、関東に異動になったのを機に、いち早く訪れたかった場所のひとつです。

早速、イケオジ次郎の写真がありました!この写真に幼い私は心奪われたのでよく覚えています。昔来た時には、全体像が見えたはずですが…。手前には白州次郎の愛車だったというクラシックカー、ペイジ。

奥に進むとレストランがありますが、後ほど。まずは、奥の茅葺き屋根の建物へ。ここがお家です。

第二次世界大戦の参戦当初から日本の敗戦を見抜き、ここに移住したそうです。疎開の意味でもなく、かねてより「静かな農村、かつ東京からそんなに遠くない所」に住みたかったとか。選ばれたのがここ町田市、当時の鶴川村というから地元民としては誇らしいです。

入場料は1,100円。文化財だからでしょう、靴カバーをして中に入りました。

この感じ、検品のバイトを思い出す

撮影禁止だったので、すかさずメモを取りました。一言でいうと、生き様全てがカッコよくて…惚れ直しました。"プリンシプル"とは、彼の口癖だったそうですが、つまりは自分の信条"原則"のことです。それが垣間見えるのです。
ここからは、散策路とBARスペースの写真を織り交ぜましょう。

展示のなかで、まず目に入った次郎の私物からは彼のスタイルが窺えました。カルティエのボールペン、ダンヒルの財布(諏訪大社のお守り入り)、お洒落なグラスたち。「JS」とイニシャルの入った懐中時計も可愛かったです。また、生涯ポルシェを乗り回したといいます。持ち物がお洒落で良い物ばかりで、当然それは裕福ゆえですが、素直にカッコいいです。

私が白州次郎を知ったのは、伊勢谷友介が次郎を演じたNHKスペシャルドラマです。まず第一に、英語を流暢に話して米国人とも対等に交渉する姿がカッコいい。当然それはイケメン俳優で惹かれたのもありましたが笑、俳優に負けず劣らず、本人の容姿も男前。奥様の正子さんも凄く美人でお洒落で本当に素敵なのです。イコール、憧れのご夫婦!
結婚時にお互いに送り合った写真に、次郎が英語で書いたメッセージがロマンチック。
「君こそ僕の発想の源であり究極の理想である」

仕事に関する資料も展示されていました。深く関わっていた現行憲法の成立直前のマル秘原稿もありました。日本国にとって超重要な仕事に関わる重要人物であったことがよく分かります。サンフランシスコ講和会議ではこんなエピソードが。当時の吉田茂首相の演説草稿をGHQが英語で作ったそうで、それを次郎が読むと激怒。その内容はGHQの占領に感謝感激というもので、急遽日本語の演説に変えたといいます。

赤色 左が吉田茂、右が白州次郎

BARスペースの名は"Play Fast"。素早くプレーするというゴルフマナーの一つ。日本でこれを広めたのが次郎だそうです。いかにも仕事のできる人の考え方!という感じがします。周囲からは政界入りを求める声もありながら生涯在野を貫き、いくつもの会社経営をしたり、のちに軽井沢ゴルフ倶楽部の理事長を務めたそうです。

スコアではなく、
その夜の酒の味を良くするために⛳️

次郎は兵庫県の芦屋出身、悪ガキだったようですが若くしてイギリス留学をし、ジェントルマンになって帰ってきたそうです。(ドラマにもそんな描写あったかも)一方、正子は樺山伯爵家の次女で東京生まれ、父は貴族院の議員。幼い頃から能を習い、アメリカの大学に入学。二人とも裕福な家庭に生まれて国際派に育ち、激動の時代、日本国の中枢付近を生きていたのですね。

家の奥の書斎には、本がずらり。日本の歴史や古典文学などすべての名作が揃っているように見えました。また、正子はガラスを愛したそうです。その理由は"うすくて、透明で、こわれやすいところに魅力がある"。海外に赴けば友人のお土産に配ったとか。コレクターな訳ではなく、食べ物を買うのと同じように、日常で使えるものを買い揃えているだけといいます。それから、藍色のきものや帯、浴衣がとても素敵でした。色の好みはそれぞれだが、日本人はみな根底で藍を愛しているという考えのようです。分かる気がします。

奥の散策路

レストラン、武相荘。ここは来た記憶がなくて、今回ぜひとも食べてみたくなりました。

迷った挙句、海老カレーを注文しました。

正面には、次郎の写真と正子の肖像画。「名建築で昼食を」というドラマのロケ地でもあるそうです。

奥のステンドグラスのお席でと
案内されました

海老カレーがきました。白州家の味を再現したもの。次郎はカレーを食べるとき、フォークを使っていたといいます。西洋ではスプーンはスープを飲むためのもの、カレーはフォークだ!というこだわりがあったみたいです。

私はスプーンでいただきましたが。最後はキャベツと一緒に食べるのが白州家流ですよと店員さんから案内がありました。なるほど、ドレッシングなくても美味しい。カレーは海老がゴロゴロ入っていて美味しかったです。ごちそうさまでした。

ところで「武相荘」というこの名前、インパクトありますよね。その由来がパンフレットに書いてありました。二人の娘さんの挨拶です。
「武蔵と相模の境にあるこの地に因んでまた、彼独特の一捻りしたいという気持ちから無愛想をかけて名付けた」といいます。一捻り…うん、彼がそんな性格だと今ならわかります。そんなところが、政界の大物の懐に入り、米国人と対等にやりあえる人柄、気概という気がしますね。

夏の軽井沢で孫たちにかき氷を
振る舞ったアイスシェーバー

最後に、娘さんの挨拶がありました。
(以下、要約)家にいるよりもそれぞれ別に外を駆け巡ることが多かった二人ですが、晩年はここ武相荘で静かに暮らしました。二人の趣向(hobby)は異なるようにみえますが、嗜好(taste)は多分に共通していたように思います。
お互いが自由で活動的で、本当に理想のご夫婦だと思いました。まさに欠かせない人生のパートナーだったんだろうなと思いを馳せました。
白州次郎の遺書は筆で大きく書かれた二行、「一、葬式無用 二、戒名無用」…痺れました。

白州次郎の生き様の一部は、私の亡き祖父と重なります。祖父もお洒落やカッコよさを何よりも大事にしていました。私もよく、いい服や靴を身に付けなさいと言われたことを覚えています。それがその人をつくり、然るべき場所に連れて行ってくれるからと。また、ゴルフや軽井沢が好きな人でした。私が武相荘に初めて来た際には、祖父も一緒だったと記憶しています。大人になって今回また来られて良かった。

FC町田ゼルビアJ1昇格で
最近やたらと広告が凄い町田市です

午後からは町田駅で予定があり、近めの鶴川で過ごした休日でした。滞在は1時間ほど。久々の長文記事ですね。白州次郎はある意味推し?なので、熱くなりすぎました。大抵は1,000文字くらいにしているのですが今回は3倍!

季節を楽しむ回数券もあり、四季それぞれに武相荘を訪れるのも面白そうでした。今度また武相荘にきた時には次は親子丼を食べよーっと。笑
ではでは^^

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