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暮しを考えはじめる。~C.W.ニコル。

これまでの流れで、家・暮らしなんてものを考えてみる。

そもそも何時からいわゆる”普通”(東京生まれ・東京育ち・進学コースがイメージしがちな、という意味において。)なライフスタイルをイメージし始めたのか。

真っ先に思い浮かぶ風景は、少年期を過ごした東京の西外れの町の市立図書館。

通ったのは小学校高学年から中学生くらいか?

思い浮かぶ名前は椎名誠、野田知佑、雑誌で言うと毎回表紙が田中律子だった頃の「outdoor」・・・そしてC.W.ニコルだろう。(敬称略)

旅人的側面・割合の強かった椎名・野田に比してニコルの定点観測型のエッセイには心惹かれた。
(読み返してみるとむしろ、ニコルの方がスケールの大きな旅を繰り返しているのだが。)

信州・黒姫が舞台の自然寄り添う暮し。
ざっくり書くと、そんな感じになるのだろうか。

これに、とにかく惹かれた。

氏はその頃既に小説家・エッセイストとしての仕事を確立していたわけであり、それがベースとなっての山での暮らしであることは言うまでもないのだが当時そこまで意識してとは思えない。いいところだけを見ていたに違いない。要するにいいとこどり。「基本的に家にいて周辺の暮らしを満喫している」ところだけに憧れたのだろう。

が、恐ろしいことにこれがその後のベースとなる。確実に。その後、旅を偏愛するようになるがあくまで基本・理想は家を中心とする定点観測型の暮らし。

「家での暮らしがベース。」

ちなみにニコルの当時の自宅スタイルは豪雪地においても雪下ろしの心配のない”北欧風急こう配の三角屋根の家+高い基礎”。

思いっきり憧れました。今でもその手のデザインを見るとドキドキする。

(イメージ)

その後、旅人となったり。
結局最終的にチョイスしたのは三角屋根ではなくドームハウスだったり。

紆余曲折、アッチコッチ行きその何処かしこで悩み、へしゃげますが・・・重要なのは一番最初のココ。

最初からいわゆる一般的な成功・スタイルなんか憧れてなかったんじゃないか?

ここに最初から・・・できるだけ早く気づいていればその後の悩みも、軽減されていたのかもしれませんね。

その後学生時代~東京を離れることを決めるまで、どんな風に生きていくか?ってやはり大事なテーマだったんですね。特に東京を離れる前に結婚していたわけだからもう一人の問題でもないし。
(結婚相手・・・相棒がやはり似たような方向性の人だったのは大きいです。や、だからこそ結婚に至ったのか。)
やはり少しは考えるワケですよ。
みんなと同じ風な流れの中で少しでも自分らしさを、とか。

別に良かったんですね。最初から同じ流れじゃなくて。
しかしそれに気づいても実行できたかどうか?そう考えると自分の流れの中で今に至っているのはとても自然なことなのかな?とも思います。自分の実力の中でベスト、というか。

ちなみにウチ、料理をはじめ主夫的な役割というか、ボクが家庭寄り・相棒が社会寄りな側面があります。

だから周囲と話・流れ・タイミングがかみ合わなかったりもする。

でもこれも自然なんですね。確実にお互い得意なことを好きでやっている。全く問題ないし、自然なこと。

閑話休題。

ベースは、この頃すでに決まっていた。

その後の肉付けはどうなっていくか。

その話をまた、今度。


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