保育セミナー「うたげと初心2024〜異年齢保育✖️同年齢保育、それぞれの「良さ」から」
新しい保育セミナー「うたげと初心」。11/16(土)に、オリンピックセンターにて開催します。
新しい保育セミナー「うたげと初心」。今年度は対面で開催します!
登壇者は・・・
西野博之さん(フリースペースたまりば)、岩田恵子さん(玉川大学)、西井宏之さん(白梅幼稚園)、溝口義朗さん(ウッディキッズ)、石上雄一朗(社会福祉法人東香会)、青山誠(社会福祉法人東香会)
異年齢保育✖️同年齢保育、それぞれの「良さ」から
3つある講座のうち、2つ目は「異年齢保育✖️同年齢保育、それぞれの「良さ」から」。玉川大学の岩田恵子さん、白梅幼稚園の西井宏之さん、上町しぜんの国保育園の石上雄一朗さんが登壇してくださいます。
上町しぜんの国保育園、0歳児から5歳児の異年齢保育から見た「同年齢保育」
上町しぜんの国保育園では0歳児から5歳児の異年齢保育をしています。
その詳しい内容や趣旨は別に譲るとして、普段異年齢保育をしている私たちからすると、「同年齢保育」とはどのように見えているのかをお話しいたします。
私たち上町しぜんの国保育園は、通常異年齢で過ごしていますが、折に触れて、同年齢集団での保育を行うことがあります。
最初は、コロナ禍の中での「濃厚接触の範囲」を抑えるために、2週間ほど限定的に行いました。(0歳児がコロナを発症した場合、そのまわりにいる人は自動的に「濃厚接触」としてカウントされるため、0歳児室をつくる必要があった)
今年度は夏あたりに同じ年齢集団を作ってみたら、遊びや暮らしがもっと充実するのではないかという趣旨のもとに行いました。
同じ年齢の集団を形成してみての、現場の保育者たちからの気づきは以下のようなものがあがりました。
・遊びや、それを起点にした「横」の人間関係が広がりやすい
・子どもは楽しそう。3歳以上の子達はずっと遊んでいる。
・保育者としての手応えがある
・保育者が目立つから、気をつける必要がある
・遊びの中心と周辺が生まれる
・匂いがいったん消える
・急に「お世話」感が出る。同じ子のオムツを変えていたとしても
・出来事の幅が揃う
・場の「波」が同時に起こり、反響が大きい
・「する」しかなくて、余白がない
などなど。
各項目はそれぞれ補足説明が必要ですが、ざっくりまとめると以下のようなことだと思われます。
同年齢集団だと、興味関心や、できることの幅がある程度揃うので、「一緒にやると、なお楽しい」という反響が起こります。
保育者側からするとそれは、投げかけた活動や提案や遊びの渦が起こりやすく、保育をしている「手応え」としても感じ取りやすいでしょう。
一方、そのような遊びの渦(盛り上がり)には、中心と、周辺が生まれやすく、その渦は気をつけないと保育者から投げかけられた活動が中心点になりやすい。それ自体は良くも悪くないかと思いますが、結果的には、保育者の意図や質がより問われることになります。
また、同年齢集団の保育においては、大人と子どもという差異がより際立ち(異年齢集団ですと、多様な差異のうちの一つでしかない)、気をつけないと、大人という存在が目立ってしまいがち。
実際に、保育者の中には自分の声のトーンや振る舞いの大きさをより気をつけて接していた、という人もいました。
そうした差異の減少(同年齢でも差異はあるが、異年齢での差異と比べるとより微細になる。あるいはその差異を繊細に際立たせていく必要もあるかもしれない)によって、同じ子のオムツを変えていても、急にお世話しているという感じが出てしまう。これは異年齢のごちゃごちゃした暮らしの中では、さまざまに起こる「コト」でしかなかったものが、急に、乳児として対象化され、そこに向けた行為となったためでしょうか。
もっとも遊びという面で言えば、やはり同年齢集団は有効です。
3歳以上の子達は飽きずに遊び込んでいる姿が見られました。またそのように遊ぶことを通して、お互いがつながり合い、関係を深めている姿が見られました。
時折、ずっと何かを「する」ことにくたびれた5歳児たちが、0歳児たちの部屋へ来てゴロゴロする姿があり、0歳児がその場にただ「いる」ことを作ってくれているような感じもありました。
0歳児クラスの保育者からは、その場の波が一緒に起こりやすいという声も上がりました。泣く、寝る、食べる、そうした身体的な同調、共振、共鳴の波が広がりやすい。異年齢ですと、そもそも分散して各部屋にいるということもあり、また他の歳児の子達が様々に「コト」を起こしているということもあり、そのように一気に波が広がるということはなかなかないので、これもまたおもしろい発見でした。
方法としての「同年齢」保育
「異年齢保育」を日常的にやっている私たちからすると、同年齢保育は新鮮であり、状況によっては有効であったり、限定的であったりする「方法」でした。
私自身、保育者になってから長い年月「同年齢保育」をやってきましたが、その時はそれが日常の風景であり、「方法」としては捉えていませんでした。
これは反対に、私たちの「異年齢保育」が、当初は「方法」であったにも関わらず、いつのまにか風景になっていくとも言えます。つまりはその有効な点や限定性が見えにくくなっていきます。
今回、保育セミナーうたげと初心で問いたいのは、方法としての「異年齢保育」「同年齢保育」、それぞれの良さです。
普段、風景となっているものを「違い」を通してみることで、あらためてその「方法」としてのそれぞれの「良さ」を見てみたい。そう思っています。
良さとは何か
ここでもう一つ、当然の問いとして、ではそもそも「良さ」とは何かということも浮かび上がってきます。
それぞれに「良さ」があり、その「良さ」はおそらく異なる「良さ」であり、どちらがより良いかと競うものではないにしろ、そもそも「良さ」とはなんでしょうか。
これについては、玉川大学の岩田恵子さんが私たちと一緒に問いを深めてくださいます。