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「活動を切り替える」

 保育系の学生さんに「子どもと関わるときにどんなことを大事にしたいですか」と質問したときに,わりとよくある答えに「子どもの気持ちに寄り添った関わりをしたい」というものがある。
 ところが一方で,学生さんと実習の準備でいろいろ話していると,場面や活動の切り替えのときに子どもの気持ちをいかに切り替えるか,ということを気にかけている学生さんが多いことを感じる。要するに,「お片づけして給食の準備するよ」「えーやだー,もっとあそびたいー」みたいな場面でいかにうまく子どもを動かすか,というような話だ。
 子どもの気持ちに寄り添いたい,と言いながら,子どもを自分の思い通りに動かしたい。矛盾しているじゃないか,と言えなくもない。学生さんの気持ちの中でも,ここはあまりちゃんと整理ができていない場合が多いと思う。だが,学生さんの頭の中でそこが矛盾なく両立しているのは,「お片づけするよ」「やだー」という場面で,子どもに対して「そんなわがままは許しません」と強制的に片づけをさせるのではなく,何とか子どもの気持ちが次の活動に向くように働きかけようとする,説得しようとするつもりだからということがあるのだろうと思う。
 子どもの気持ちに反することを強制したりするのではなく,あくまでも子どもがその気になってくれるように働きかけたい,という願望があるから,「子どもがうまく気持ちを切り替えて次の活動に移れるような言葉かけを学びたい」というような実習の課題が出てくるわけだ。
 活動の切り替えというのは,決まった日課に沿った生活には必ず入ってくる。学校,仕事,あらゆる生活の場面に,時間で区切られた活動があるのが当然の社会に私たちは生きている。保育所も幼稚園も,生活の時間はいろいろな都合で区切られている。その区切りをなくしてしまうことはできない。
 だが,幼児期には幼児期にふさわしい生活がある。幼児期にふさわしい生活とは,その社会における生活の時間的,空間的な枠組みの基本を維持しながら,その大枠の中でどれだけ柔軟で可塑的で挑戦的な環境をつくれるか,ということに依拠するものだというのが私の考えだ。具体例をひとつあげるなら,お昼くらいの時間にお昼ご飯は食べるけれど,それは全員一斉にではなくそれぞれの遊びが一区切りついてからでよい,というふうにするほうが,子どもにとってはよいのではないか,ということだ。もちろん管理する大人の側はその分手間隙がかかるかもしれないが,子どもはより主体的に,自発性を発揮しながら生活を送ることができるだろう。
 遊びの終わりを子どもに判断させる,ということができるような保育の進め方は,なかなか難しいと思う。そこまでのことは無理だとしても,例えば,「お片づけ」の定義を変えてやることで,少し柔軟性を導入することは可能だ。
 「お片づけ」が「すべての玩具,遊具を完全にもとの場所に収納する」こととイコールであるなら,遊びはそこで終わりで完全にゼロになってしまうので,子どもは「いやだ,もっとあそびたい」という気持ちを抱きやすいだろう。これが,「いま遊んでいるもの,作りかけのものはそのまま置いておいて,あとでまた続きができる」となれば,ではとりあえずこれはこのままで中断して,と動きやすくなる。
 「まだあそびたい」という子どもの要求は,いまやっている遊びに魅力や充実感を感じていることの表れとも言える(もちろんそのあとに控えている何かがやりたくない嫌なことという場合もあるかもしれないが)。保育者の仕事は,それを「切り替えさせる」ことではなく,その充実感をもっと味わうことができるようにするにはどうしたらよいかを考えていくことだと思うのだ。

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