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香港ショック

先月、コロナ禍を挟んで4年ぶりくらいの海外旅行に行ってきました。行き先はキャンペーンで安くチケットが取れて沖縄からの直行便もあるということで香港。

初の子連れ海外旅行の教訓として、ベビーカーは必須だとか(抱っこ紐で歩きまくって腰崩壊)、オムツは持ってくか現地調達かの方針を事前に明確化すべきだとか(中途半端に持っていったため現地で買わざるをえず大量に持ち帰る羽目に)、非日常で夫婦の会話が深まる…みたいな時間は二度とない(常に子どもの対応+話しても基本ロジの相談ばかり)など、多くの学びを得られて大変よかったが、何よりパンチを食らったのは物価の高さであった。

香港の物価が高いのはそもそも有名で、台湾あたりに行くノリで大した覚悟もなく臨んだ私が世間知らずだったと言えばそこまでなのだが、近頃の円安との合わせ技による体感物価は凄まじかった。

ハーバーシティ内のカフェのお子さまマカロニチーズ御膳、約100HKD(約1,900円)。
街を散策中に目についたちょっといい雰囲気のお店で飲茶2人前、約6,000HKD(約11,500円)。

極めつけはドラッグストアで売ってるおむつ、約15HKD、約3,000円弱!

外食はともかく、生活必需品でさえもいつの間にかウッと声が出そうな高さになっていることに、シンプルに日本円で給料をもらって働き続けることの怖さを感じた。もしかすると我々は気づいたときには本当に日本以外では生きていけなくなっているのかもしれない。お金がなくて。

とはいっても、日本に帰ってみれば安くて美味しいお店が山ほどあるし、電気代やガソリン代は高いとは感じるもののいまのところ生活に支障はきたしておらず、なんなら香港で高い物価に見合った高い給料をもらってギッチギチに部屋が詰め込まれた高層マンションに住むよりも、給料は安くとも自然に囲まれた沖縄での暮らしの方が豊かであるとさえ思う。そして日本に暮らしながら日本で働き、成長して自分の市場価値を上げ続けていればなんとか逃げ切れそうな気がしてしまう。とはいえそれが子どもたちの代までもつとは感覚的だが思わない。

じゃあ子どもについては日本以外でも生きていけるような力を身につけさせてあげたらいいのか。あるいはそうした大きな問題に対処できるような子に育てることを目指すのか。それはもちろんできたらいいのかもしれないけど、子どもに背負わせる前に、自分にできることがまだあるのではないか。

子どもが生まれると、子どもにあんなことしてほしい、こんな風になってもらいたいなんていう勝手な願いが尽きない。でもそれは実は自分が憧れていたことだったり、コンプレックスに感じてることだったりする。やりたいことをやってほしいだとか、海外の高校や大学に進学してほしいだとか、アートの感性を身につけてほしいだとか、アクターズスクールに入ってスターになってほしいだとか、それは全て私がやりたかったことである。

しかしつい最近、ザ・グローバルエリートな知り合いとの会話でふいに子どもにどうなってほしいかを聞かれたとき、「自分はやりたいことがわからない人間だから、そうはなってほしくない」といったことを話したら、「でも子どもは親の背中を見て育つからね」とさらりと言われ、その悪気ない一言が私にクリティカルヒット。そして全くその通りだと思った。

子どもに何かを期待するなら、まずは自分にも期待をかけてみよう。自分が子どもに期待をかける前に、自分自身も誰かに期待をかけられた誰かの子どもである。この先使える時間は違えど、期待をかけられる人間としての素質は自分の子どもとそこまで変わらないはずなのだから。

そんなこんなで、私も私で日本の状況を良くするために自分の持ち場で頑張ってみようと、腹を括って帰ってきた次第です。久々の海外、結局子どもと公園ばっか行ってて大して何もしてないけど行ってよかった。海外もっと出ていくぞ〜!

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