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活発な幼少期

子どもの頃から好奇心旺盛で、将来を暗示するべくわずか9-10カ月でがしがしと歩き出した私は、寒い日でも鼻水を垂らして外で遊ぶ子どもだったそう。

ご飯ももりもり食べるその食欲は、今の食べる意欲に繋がっていること間違いなし!

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クリスマスになぜかピコピコハンマーを贈る小梅家のサンタクロース(笑)

時折思い出したかのように高熱を出すものの、大きな怪我と言えば、幼少時にトイレットペーパーの箱の上でジャンプを楽しんでいる最中にバランスを崩し、テレビの角に刺さって目の上の皮が切れて大流血し、何針か塗った時ぐらいだったとのこと。ちなみに今もその傷は健在。

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幼稚園は母が友人に聞いて良いからという理由だけで、キリスト教の教育が受けられる『みぎわ幼稚園』へ。

園内には教会があり、毎週土曜日にはお祈りの日が設けられ、キリスト教の催しを行ない、クリスマスにはイエス様の劇をしていた記憶があります。

今でも教会がすきで、海外旅行の際には教会に足を運んでしまう程なのですが、この頃の教育が活きているのかも。小梅家は無宗教ですが、この幼稚園で宗教感に関しての基礎も培われた気がしています。

幼稚園での生活はとても楽しく、先生も個性的で大好きだったのを覚えています。

この頃から走るのが速く、園内である男の子と1、2を争っており、「くそー、名前に亀が入っているくせに足が早いなんて!」と闘志を燃やし、人の名前をすぐに忘れる私が、今もバッチリそのフルネームを覚えているところをみると、かなりの対抗心を燃やしていたはず。

行きは常に母親が自転車で送ってくれていましたが、帰りは子どもの足で約30分の道のりを歩いて帰宅していました。

今より平和だったのか、歩かせる母が豪胆だったのか。

通り道にあるラーメン屋のおばちゃんに声をかけ、可愛がられながら楽しく帰っていたのを思い出します。おそらく私の脚力はこの帰り道で鍛えられたはず。(笑)

年長さんの時の人生の晴れ舞台は、クリスマスの劇の「天使長」に選ばれたこと。イエス様を授かったマリア様にお告げをする役で、長いセリフを一生懸命覚えました。不思議と本番よりも、長いセリフが書かれた紙を今の襖に貼って、その前で両手を上げてセリフの練習をしていた時の記憶を鮮明に思い出します。

2歳年下の弟も続けて同じ幼稚園に入り、卒園した後に弟の運動会に足を運んだ時も、先生たちがしっかりと私の名前を呼んで覚えていてくれた事が嬉しかったな~。

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家の近くには海があり、家から水着のままで歩いて足を運んでいました。

おかんFumikoは台風が来る前で海が荒れている時でも子ども達を海に連れて行くほど海がすきで、その危険など微塵も感じさせずに「今日は波が高くて楽しいね~♪」なんて言っていました。

そう言えば、私が高熱を出して寝込んでいる時も、「は~、小梅は体温が高か!湯たんぽに丁度いいね♪」と笑顔で言われた記憶が。

今思えばなかなか豪快ですが、この小さく納まらない母の子育てに、私の個性は形づくられていったのだと感じています。

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そして思い出深いのは、母は寝る前に必ず絵本を読んでくれました。

私はこの時間が大好きで、本のキャラクターに感情を込めながら上手に読んでくれる母との時間を楽しみました。

おかげで本を読むことが大好きになり、この本に接する機会が、私のその後の人生をいろいろなところで助けてくれる事になります。

また、母は保母さんだったからか、季節の行事や家族の節目をとても大事にしていました。

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父と兄と姉との「七・五・ニ」写真。

節分には家の中で大いに豆をまき、それぞれの誕生日を祝い、クリスマスにはプレゼントをもらってケーキを食べる。イベント好きで催し事を大切にする気質は母から受け継ぎました。

父はビルの施工に関わる仕事をしていた為、夜は泊まりになる事も多く「今日はお父さん帰ってくると?」と聞いていたのを覚えています。それでも、父が毎週水曜日に決まって買ってきてくれるアイスクリームの日をとても楽しみにしていました。

そんな家族に見守られ、私は更にスクスクと成長していきます。

小梅

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