4月に読んだ小説

気持ちのいいお天気が続きますね。

今日は「こどもの日」。端午の節句。妻がかしわ餅を食べたいと言うので、これからお子たちを連れてどこか和菓子屋さんにでも出かけようと思います。

さて、2022年4月に読んだ小説です。近頃の話題作が続きました。


黒牢城

米澤穂信が直木賞? 時代小説? 戦国時代?

……さてさてどんなもんじゃいと思いながらページを繰りましたが、なるほど「特殊設定ミステリー」だったのですね。

「特殊設定ミステリー」とは、現代日本であれば当然適用される倫理観・法律・物理化学法則などが無視された「特殊な世界」にて行われる犯罪を描いた作品。

たとえば、わたしたちはどんなに恨みのある相手でも簡単に殺したりしませんが、それは「人を傷つけるのはいけないことだ」「人を殺したら捕まって罰を与えられる」「殺したい相手にも家族や恋人がいる」といったことを心配するからです。ところが「人をひとりまでなら殺してもいいことになっている」とか「殺されても死者は数日後に蘇る」とか、そういう特殊設定を与えてやると、「それでもなお犯罪を犯した理由は?」といった疑問が生じてくる。そこがミステリーとしてのキモになったりするわけです。

さて本作。ときは戦国。織田信長を裏切った荒木村重が、有岡城に立てこもります。説得に訪れたのが、かの黒田官兵衛。村重は官兵衛を殺しも帰しもせず、地下牢に閉じ込めます。とらわれの官兵衛を置いた有岡城で、次々に起こる不可解な「事件」。あまりにも死の軽い戦国の世で、誰が、なぜそのような「罪」を犯さねばならなかったか? 村重は城主として外の敵(信長)に対峙しつつ、内なる懸念にも対処していくのでした。

官兵衛がとらわれたのは「史実」のようですが、地下牢に閉じ込められていたというのは「創作」でしょうか。史実と創作の隙間を楽しむのも時代小説の醍醐味ですね。

ミステリーの可能性をみた、貴重な読書体験になりました。



そして、バトンは渡された

うーん、本作は最初から最後まで合わなかったな……ラストシーンまでいろいろな「?」をぬぐえないまま。本屋大賞という話だし、ネットで感想あさってもよさげな評価しか出てこないけど……他人の高評価はやっぱり当てにならない。自分で読んでみないと。

諸事情により「親」が次々と変わっていく女の子のお話。血のつながりはなくとも、それぞれの「親」から、それぞれの愛情のバトンを受けて育っていく――といった筋立てなのだけれど、あっさりした書きぶりのせいなのか、主人公・優子ちゃんが無頓着な性格の子だからなのか、どうにも「いい話」に思えず。帯に「家族よりも大切な家族」とあるけど、どの「親」も自己中な人物に見えてしまって……特にこの直近の「父」である「森宮さん」って人に好感が持てない。

あとはこのクラス合唱でピアノ伴奏するくだり。物語の全体にかかわる重要なエピソードですけど……伴奏者だけ集められて音楽教師からダメ出しされる? これ高校生ですよね。さすがにそんなのないですよ。それに本気でピアノの道に進もうという人が、マジに大地讃頌を鳴らしたらいかんでしょう。合唱にならないと思う。(すみません、アツくなって)

そんな感じで、こまごましたところが気になってしまって、のめり込めませんでした。本作を好きな方には申し訳ない。



推し、燃ゆ

ご存知、『推し、燃ゆ』。書き出しからして印象的ですね。

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。まだ詳細は何ひとつわかっていない。何ひとつわかっていないにもかかわらず、それは一晩で急速に炎上した。寝苦しい日だった。

芥川賞もちょこちょこ読んでいるところですが(短くてすぐ読み終わるからお手軽でよい)、『花火』にしろ『送り火』にしろ『コンビニ人間』にしろ、こういういわゆる「純文」は、ストーリーやキャラクター性よりも、余分なものをそぎ落としたシンプルな描写にこそ、その核心があるのかな、と思ったり。

ですから登場するキャラクターやその言動に、いちいち共感する必要はないし、共感できないからという理由で「面白くない」と評価するのは理不尽でしょう。

正直、本作の主人公・あかりの「推し」に対する心情や、「推し」が燃えたことへの苦悩には理解しがたいところがあるけれど、終始、鋭い刃物を皮膚に押し当てられたようなひりひりした感覚を自分は味わったし、それがこの手の文章を読むことのひとつの楽しみであろうと思います。

あかりって一種の発達障害ですよね。学習障害みたいなものなのかな。そういう彼女が、豊富な語彙と表現を用いて、あまりにも冷徹な視点で「一人称」のひとり語りを続けているところに、妙なおかしみを感じました。



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