神への祈り(と、魔女宗のはなし)

なんとなく古いtumblerを覗いたら5年前に書いた祈りの言葉があって、それが何となく良かったので載せてみる。

私の拙い祈りが届かなくとも、空の向こうには変わらずあなたがおられますように。どうかあなたによって全てが見守られ、時に私をお導きくださいますように。そして私以外の誰かのことも、あなたがお守りくださいますように。
はるか遠く空の彼方にあなたがおられることを私が忘れてしまいませんように。あなたの視線を私がいつでも感じていられますように。あなたの声なき声に私がきちんと気づけますように。
今日の罪も、痛みも、あなたのもとで赦され、癒されますように。今日の苦しみがあなたによって安らぎへと変わりますように。私だけでなく他の誰もがそうなりますように。
誰にとっても穏やかな夜でありますように。安らかな眠りがあなたによって守られますように。あなたの優しい眼差しが私にいつでも降り注いでいますように。

当時の私は魔女宗徒で、私なりに神様の存在を信じていた。そもそも小さい頃にいつも「大きな何かの視線」を常に感じていて、家の中に居てもすべてお見通しで、悪いことも隠し事も出来ないと思っていた。今にして思えばそれは一種の注察妄想なのかもしれないけれど、その大きな何かこそ神様なのではないかと思っていたのだ。

その後色々あって当時いた魔女宗のコミュニティからはフェードアウトしたのだけれど、根本的な思想はなんだかんだいって今でもあんまり変わっていない。なんなら今のほうが魔女宗の献身を楽しめるんじゃないかと思うくらいだ。(当時は切羽詰まって縋った面もあるので切実過ぎた)でも関連書籍は全部捨ててしまったんだよな…今思えばもったいないことをした。

当時儀式としてイニシエーション(キリスト教でいう洗礼みたいなもの)を自分でやったんだけど、そのあと本当に色々あって、その色々を忘れたくて魔女宗関連のものをほとんど捨てたのだ。でもそれもこれもイニシエーションの一部だったんじゃないかと今では思う。イニシエーションでは精神的・霊的変革が起きると言われてるけど、いや、本当に変わった…。儀式をした一時のことじゃなくて、それから続く何年かが私にとってのイニシエーションだったのね。

ーーと、ここまでを3月12日に書いていたのだけど、書いてる途中で記事が消えたのであきらめていたら数日後下書きに入っているのを発見しそのままにしていた。今日になって何となく気が向いたのでせっかくだから続きを書くことにする。

魔女宗は自然崇拝の多神教だ。魔女というとおどろおどろしいイメージか厨二なイメージかどちらかが多いかと思うのだけど、いわゆる「ていねいな暮らし」に神への信仰がミックスされたものと思ってもらっていいと思う。季節が移り替わる時にお祭りをして豊穣や繁栄を願うのは他の宗教と同じだ。ただその儀式が見る人から見れば厨二な物に映るのかもしれないけれど。

3月12日にこの記事を書いた後、また魔女宗に戻ろう(戻るというのも変な話なんだけど)と思って関連書籍を買い始めた。当時の私の思惑通り、見事に色々なことを忘れてしまったので、本を読んで勉強し直そうと思っている。

神の存在は人と時と場合によっては救いとなる。神は何でも願いをかなえてくれる都合のいい存在ではないが、何かに見守られているという気持ちは時に支えとなる。私は、私なりの形で神に祈りたい。




頂いたサポートは同人誌の制作、即売会等のイベントへの参加、執筆のための資料の購入などに充てさせていただきます。