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その時のために

地震のニュースを見るとそわそわする。

震災で近しい人を亡くしたことはないけれど、他人事じゃない。


「人はいつか必ず死ぬ」

ふだん僕はわかったような顔をして、こんなことを言う。

でも自分が死ぬことは想像できても、大切な人がこの世からいなくなることの方がリアルに想像できていないのが正直なところで。


これを読んでくれている人にも、いなくなることが想像できないような大切な人はいるのかな?


僕は自分のばーちゃんが好きだ。

80歳で元気に生きているけど、きっと、いつか、必ず別れることになる。

小さいころ、子ども扱いせず対等に話してくれた。

おもちゃは買ってくれないけど、本をたくさん買ってくれた。

「動物を見に行こう」と言って競馬に連れて行ってくれた。

「船を見に行こう」と言って競艇にも連れて行ってくれた。

あたりまえにダメなことはわかっているけど、

15歳になった時は「元服だ」とか言って一緒にビールを飲んだ。

大人になってからは、友だちみたいに色々と話した。

酔っぱらってお互いの初恋の話なんてのもしたことがある。

そしていくつになっても、ばーちゃんは帰り際に「愛してるぜ」というロック歌手みたいな挨拶をする。僕は照れて「おう」しか言えない。

そんなばーちゃんが、僕は好きだ。


年末にばーちゃんに会った後、こんなツイートをした。

【自分に理解できないことを理解する】

これが出来るのは、身内ながら本当にすごい人だと思う。

いつも味方でいてくれる。ありがたい。


でも僕はばーちゃんが望むような大人になれなかったし、約束したハワイにも連れて行けてないし、全然恩返しできていないことが苦しかった。


そして正月、家族みんなで集まった。

酔った勢いで口にした「ばーちゃんと孫みんなで散歩すっか!」

みんな寒いから嫌だとか文句を言ってたけど、なんだかとても楽しかった。

ばーちゃんがずっとニコニコしているのが嬉しかった。


家に戻ると、ばーちゃんから封筒をもらった。

「もし私が死んだら、必要なこと、やってほしいこと、ここに書いてある。葬式は質素でいい。それにお金をつかうくらいなら、あんたたちでご馳走を食べなさい。あと、もしも生きてるうちに私が話すことができなくなったら、延命措置みたいのはしなくていい。子どもたち、あんたのお母さんたちにも話してあるけど、あの子たちは私のために色々してくれそうなんよ。だからその時は、あんたが私の意志を伝えて。悪者になっちゃうかもしれんけど。死ぬ予定はないし、ずっと先のことかもしれんけどね、あんたに話しておきたかったんよ」

驚いたし、悲しかったけど、嬉しかった。信用されていたんだな。


帰る時にいつもは「愛してるぜ」って言いながらハグしてくるのに、

今回は「ありがとう」だなんて言うもんだから、

めちゃくちゃ照れたけど「愛してるぜ」と言ってみた。

そしたらなんだか二人とも泣けてきちゃって、

80歳のばーさんと30歳のおっさんが泣きながら抱き合う奇妙な光景になってしまった。でもまぁ、言えてよかった。


後悔せず生きるのは難しいけど、いつか別れることを受け入れて、大事な人には「大事だよ」って全部ちゃんと言葉にして伝えながら生きたいな、そんなことを考えた正月だった。


新年に目標を立てた人も多いと思うけど、その目標に【毎日いつもより1回多くありがとうを言う】なんてプラスしてみるのはいかがでしょう?



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