性格の話。

人を傷つけたくないなーという気持ちがある。
でもそれは、けして優しいとかそんな話でもなくて、もっと自分に対しての話。


小さい頃から、明るく社交的だねと言われて育ってきたと思う。
親父にソックリな俺は、田舎で何処を歩いててもすぐにマサハルさんとこの子やね!って言われてた。
親父も人当たりが良くて、いつもニコニコしてるイメージだったし、俺もなんだか、そうしなきゃいけないんじゃないかって気持ちはそこから生まれてるんじゃないかと思う。




いつだったか、友達と遊んでてケンカすることがあったのね。
ケンカなんていつもある話なんだけど、その時は少し違って。

もう、こいつとは遊ばない!ってレベルのケンカだったのね。
いやそれはきっとお互いに本心ではないんだけれども。
なんか、当人達にとっては「絶対許さん」レベルのなにかだった訳。
もはや今となっては、何でケンカしたかさえ覚えてないんだけども。



そん時、初めて実感する怖さがあったのよ。
「あ、俺、友達を失います」みたいな。
やべ!なんとかしなきゃ!みたいな。



今でも覚えてるんだけど、土下座したんだよね。



家の近くの路上で。友達を失いたくない一心で。
なんなら何が悪いのか分かってないくせに、いやだー!って想いだけでその時知る限りの謝罪の最上級を行ったに過ぎないんだけどさ。

「ごめんなさい!友達やめないで!」
みたいな事を言ったと思う。
正確なセリフは忘れたけれど。
本心だったし、真剣だったと思う。


それに対して、友達の反応はドライだったねー。


凄くドライ。



いや、そっちが正常で俺が常軌を逸してるんだけど。
そりゃそうよw
小学生のケンカで土下座なんて本来起きないわけよ。
ただただ相手に異質な環境を提供したに過ぎないのね。

「バカじゃねーの」って捨て台詞を友達は吐いて、現場を立ち去った友達を見て、その残された俺の気持ちったらなかったね。
なんかもう、絶望と言うか喪失感と言うか虚無感と言うか。
「終わりだな」みたいなセリフが似合いすぎる状況をその時に味わった。

それはきっと、片田舎の友達同士の小さな出来事だし、世の中の無数にある出来事のひとつでしかないんだけど、今の俺という俺を形成するに充分足りうる出来事だったわけね。


ただ、人に嫌われたくないなーと。
ただ、人と気兼ねなく付き合っていたいなーと。
40を越えた今でさえ、今の俺の周りとの付き合いに大きく影響してるんじゃないかって思う。


麻雀界隈の中でも、昔から好きだった人と飲む機会があって。
あ、同性ね。デジタルの申し子。
不器用と言われつつも、この人は社会の、世界の本質がわかってる人なんじゃねーかと思ってる節もある訳だけど。
なんか、その時べらぼうに甘えてしまって、ぺろぺろに酔ったのね。
そして、俺の性格について滔滔と語ってしまったのよ。


いや、死にたいよ?死ぬほど恥ずかしい。
昔から憧れてた人に、何を初回から自分さらけ出して性格を象る琴線について喋ってんだと。
ただ、その人黙って聞いてくれてたからね。
うんうん頷いて聞いてくれてたから。
いや、ありがとう。すいませんほんま。

人に嫌われたくなくて、自分を好きでいてくれるなら無条件で好きになってしまうその姿勢は、当人としても吐き気がする訳よね。
初対面で会った人がたまに「コミュ力強い!人付き合い上手い!交友広い!」みたいに言うけどさ。

いや、コンプレックスの裏返しなわけよ。
死ぬのよそこ褒められると。
今でもコンプレックスの塊ですねー!と同義なわけよ本人にとっては。

もちろん、褒めてくれる人はそんなレスポンスは想像してないわけで、ただただ手放しで褒めてくれるし、それは俺は好意として受け取りますよいや大人ですから。そこはね。

「コミュ力が強い」と言われることは、源泉はどうあれ社会では誇れる事だからね。
それを是としなきゃやってられない。
死んじゃう。


まぁそんなこんなで今も麻雀界隈で過去のコンプレックス片手に周りと付き合っている訳だけど。
そんな俺を好いてくれる人達にはなにか恩返しを、なにかお礼をしなければいかんなぁと思っている今日この頃なのです。

とりあえず既に仲良くなった人をおざなりにする傾向があるのでお礼周りにでもいかないといけないね。

いつも働いてる雀荘にフラッと俺が現れたらきっとそういうことらしいぞと。
なんだか気づいて貰えたらこんなに嬉しいことは無いのです。

いつもありがとう。
これからもよろしくね。



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