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運転してる時人は怒りっぽくなるよなぁと思った話

運転してる時だけ人が変わったように怒りっぽくなる人をたま〜に見かけます。私のめっちゃ近い身内にもそういう人がいたりするんですが、これは何故なんだろうなーという個人的考察と、運転中に限らず、そういった怒りとの付き合い方についてここに書いてみようかなと思います。

何故運転してると怒りっぽくなるのか考えてみた

これはおそらく、人と直接対面しているときと比べて、車という鎧をまとっていて距離があるからだろうと考えます。面と向かって”なんだこのやろう”と言ってしまうとそのまま同じことを言い返されたり反撃される可能性が高いですが、車の中から外にいる人間に向かって、であれば基本的には聞こえないし相手だって車だろうが歩きだろうが、わざわざこちらの車をとめてまで何か言い返してこようとは思わないでしょう。(例外もあるから運転中短気になりがちな方は気を付けましょう)

そういえば10年ほど前、知人と車を運転中に爆笑しながらマックハウス(服屋)の駐車場で車を停車した後、店内で全く知らない30代くらいの女性から”さっきこっちみて笑ってただろうが!?”っていう文句を言われたことがあります(非常に活きのいい女性でした)。私たちが笑っていたのは全く別のことについてだったのですが、そういえば停車にてこずってる車を待っている間に爆笑していたので、その停車の様子を笑われた、と勘違いしたのだな、ということに思い当たりました。

そういうことを気にしてしまう人だったり年頃だったり、その時の気分だったり、人には色々あると思うので優しく謝罪するべきだったと今なら思いますが、そのときは”自意識過剰なのでは?”と言い返してしまいました。申し訳ないことをしました。
これは車から降りてきてまで文句を言うほど辛抱たまらなくなってしまった人の例であり、運転中に怒りっぽくなる話とはまた別かもしれませんが、思い出してしまったのでつい書いてしまいました。あの人は元気でしょうか。

その怒りは利己的ではないか?この怒りは必要なものか?

イラッとしたりむかっとしたりするのって、車の運転中に限らず、基本的には”自分の思い通りに行かない時”っていうのが多いんではないかと思います。直進優先なのに先に右折しやがったよ、とか仕事中忙しいのに空気読まずに話しかけて来やがったよ、とか、俺はこんなに頑張ってるのになぜお前はそんなにお気軽なんだ、とか、何度実験しても思い通りの結果がでない、とか色々あると思います。

これらは、全て相手に何らかの期待をしているがために発生するもの・・・っぽいような・・・?感じ・・・?と、個人的には、そう、あくまで個人的には思います。他人が自分の気持ちや都合に沿って動いてくれたら、いいよなぁ、と思っているので、そうではない時になんじゃそりゃ、となる。

他人は、想定外の動作をするものです。全く違う人生を歩んできた人達な訳ですから、何を優先するかも、どんな空気を読むかも、真面目に取り組んでいるときにどんな表情をするかも、人によって違います。先ほどあげた例で言うと実験は他人というよりは、モノに対してだったりするかもしれませんが。思い通りの結果にならない実験は、おそらく想定していない要素がそこに絡んでいるか、自分の実験方法や前提が間違っているか、そのどちらかであり、モノや要素は何も悪くありません。

また、他人にはそれぞれに、自分の把握しえない事情というものもあります。救急車が来ても道を譲らない車を運転しているのは、危篤状態の恋人のお見舞いに向かう人かもしれない。仕事が全然できない後輩についイライラしちゃうけど、実は自分のみている部分が的外れかもしれない。

そう考えると、少しはなんかこう、怒りの程度も抑えられるのではないかなーって私なんかは思うんですけど、こればっかりは人によりますしあれですよね。なんとも。

いくら怒ってもあんまりいい効果はない

それでも、どうしてもなんとかしたい。という場合もあるかもしれません。毎日近所からの騒音がうるさいとか。いくらなんらかの事情があってもこらあかんやろ、と。しかし、怒りというのは連鎖するので、なんとかしたいという場合にこちらが怒りでもって対応しようとすると、相手も激昂してしまい、泥沼と化す可能性があります。せっかくどうにかするなら冷静に行きたいものです。そして近所にうるさいと思われているのはもしかしたら私かもしれないな・・・と今ハッとしました。ギターも歌も控えめにしましょう。

それでもどうしても怒りの気持ちが抑えられない場合だってあるでしょう。そういう時はは、何か別のことにぶつけるといいように思います。音楽をやっているのであれば音に出せばいいし、読書好きなら全ての外界からの情報を遮断して読書に耽ればいいし、酒を浴びながら面白そうな映画でも見ればいいです。筋トレしてもいい。怒りのいいところは、パワーがあるところです。そのパワーのまま、矢印をぐにゃっと曲げて別のところにもっっていけばいいこともあるかもしれません。

また、もしめっちゃ心許せる友達がいるのであれば愚痴を聞いてもらってもいいかもしれません。友達によっては、共感してくれたり同じような愚痴を言ってくれたりするでしょう。

決してSNSのような場所に悪口を書き込んだりしないようにしたいものですね。

他人に期待をしない

なんかたまに偉そうな口調になってるような気がするけど・・・私は大した人間ではありませんので別にここに書いたようなことを実践できてるわけでも、これが必ず正しいと思っているわけでもありません。

ただこれは私が父から教わったというか受け継いだ基本的な考え方に基づいています。”他人に期待をしない””他人を信用しない”ということです。ここで言う他人というのは赤の他人のことであり、近しい人にはもちろん何らかの期待値をある程度持ってしまうのは致し方ないでしょう。しかし赤の他人の行動に腹を立てたり文句言ったりするのは時間の無駄でしかない、というようなことを父から間接的に学んだように思います。

父から聞いた言葉でよく覚えている言葉はいくつかあります。
運転中は他の車を信用するな - ウィンカーを右につけていても実際に右に曲がるまで信用するな、ということですね。
貸した金がかえってくると思うな - これは今のとこ返してくれない人に会ったことはないですが、返ってこないと思っているので返されたらめっっちゃ嬉しいからおすすめです。ここでいう信用しない他人は赤の他人ではなく身近な人になってますので私の書いてる記事に矛盾が生じていますね。書き直さないけど。
死にはしない - 何かあるたびにこれを言われていました。これは今となっては真理だなーと思いますけど、多感な思春期の子供にとっては自分が今いる世界が全てですから、わかってくれねーな父、と思ってしまいましたね当時は。

オチはありません。

おわり


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