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タレガの森を目指して

 クラシックギターを十年以上も習っていて、なにを今更というところだが、近代ギターの父とも言われるフランシスコ・タレガの曲をあらためて先生にお願いして勉強しようと思い立った。

 もともとは特にクラシックギター音楽に関心があったということではなくて、ポピュラー音楽でギターを弾くことになろうと基本はクラシックだろうと考えてクラシックギターを習い始めたのだった。この考え方は必ずしも正しくないことに入門してから気がついたのだが、そのことは脇に置く。

 実際に始めて見るとクラシックギター音楽の世界はなかなか深いものと知れた。ルネサンス、バロック、古典派、ロマン派そして現代のギター音楽(純音楽でいうところの現代音楽および軽音楽の双方を含む)と、それぞれの時代に重要なギタリストや作曲家(ギタリストが作曲家を兼ねた場合が多い)が佳曲、名曲を遺している。

 例えば、スペインでギターのベートーベンと言われているらしい、バルセロナ出身でパリで活動した、フェルナンド・ソルはギターが全盛期を誇っていた19初めの古典派の時代を代表するギタリスト兼作曲家である。オペラ音楽も作ったソルは当然に管弦楽の素養を下敷きにして和声が美しく深みがあるギター音楽を作曲し演奏した。

 ソルの諸作品はクラシックギターに入門した者にとって高い峰だが、一つの大きな目標である。しかし、私自身は一旦はソルを目指したものの、まず技術的に限界を感じた。先生からは、ソルについてメヌエットの曲を集めたOp11を勧められた。そこで、まず5番、6番、1番、2番をレッスンしていただき、それなりに弾けるところまでは行ったのだが3番で挫折した。

 それから、先生だけでなくソルの曲がプログラムになったプロギタリストによるコンサートも聴いたのだが、これは自分には高尚すぎるな、と思わざるを得なかった。グランソロなどのソナタの大きな曲を目標に置いた時に、そこに辿り着けると思えなかったし、そこまで自分が熱意をもてる目標だとも思えなかったのである。

 その後は、割り切って映画音楽からクラシックギターのレパートリーになった曲(例えばカヴァティーナや11月のある日)など軽音楽に近いジャンルの曲をレパートリーにしようと練習に励んできた。しかし、そうした音楽も名曲となると数に限りがあるし、いわゆるスタンダードを中級のギター愛好家向けにアレンジしたものは、音楽的にあまり面白くない。

 19世紀後期のタレガと同時代あるいは少し前からのスペイン近代ロマン派の時代のギタリストたち(例えばホセ・フェレール)の作品も自習したものだが、これはこれで古典派や、その少し前のコスト、メルツ、レゴンディなどの表現世界とは、かけ離れていて名曲もあるがエスニックな匂いがして自分はのめり込めない。

 タレガの曲は、多くの教則本で取り上げられているラグリマとアデリータと教室で教わったアルハンブラの思い出は私も弾くものの、あまり関心を持っていなかったのが正直なところだった。いずれも美しい3曲だが、他にはアラビア風奇想曲を知っているくらいであった。ところが、最近、何かのきっかけで小品の譜読みをしてみたら、美しく洗練されている。まさに近代ギターのために書かれた曲たちではないか、と思った。

 手塚建旨氏の「フランシスコ・タレガ伝」によると、タレガはギター音楽を一度ゼロから建て直したイノベーターであったように説明されている。ここで、その仔細は述べないが、タレガ自身はソルやアグアドなど古典派時代の先人の曲は弾かず、もっぱら自身のオリジナル曲を演奏していたそうだ。中興の祖というよりも、まさに革新的な「近代ギターの父」であると言うのが相応しそうである。

 ポピュラーを含めた現代のギター曲や演奏のスタイルは近代ロマン派が源になっているのだろうが、タレガはそのエポック・メーカーであり、ひときわ芸術性が高い。ソルについては先ほど、高い峰と例えたが、タレガについては勝手な思い込みだが、深い森に例えたい巨匠である。一面、通俗的でわかり易く親しみやすい曲を遺したが、それらはギターで演奏されることによって高い音楽性や芸術性を発露する。

 前述したように、私自身が愛好家としてクラシックギターをどういう方向で勉強しようかと迷っていたところなのだが、思いがけず扉が開いたような感じがしている。未熟者なのだから当然、勉強すべきことが沢山あるが、この歳になって自らもっと勉強したいと思う対象を見つけることができたのは幸せなことである。

 

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