西村玲さんの著書を少しだけ読んでみた。

朝日新聞の記事(西村玲さんのこと)は、学問をめぐる状況のダークな側面に世間の人の関心を向けさせた点ではよかったのかもしれない。世の人がこれを読み何を感じたか、私にはわからない。ただ、いろいろツイッターとか書いている人のうち、西村さんの著書なり論文なりに目を通した人はどれほどいるのか疑問だと思った。

SPDだっただとか賞をとっただとかそんなことばかり着目しているみたいだが、実際どういうことを考えていたかまで思いを巡らせずにあれこれいうのは無意味だと思う。実際、自分のやりたいことよりも学会に受けることやったほうがいいだとか、若い院生への忠告みたいなのもあったが、西村さんとは何の関係もないよね。自分のやりたいことやっていればいいわけではないとは思うが、僕の場合、世界の動向をネットでリサーチしたり勘を働かせたりしながら、人新世について書いてみた。まあそこそこの反応はあったよ。

それはともかく、唯一響いたのは、西村さんの最初の本の編集者のブログでした。

http://nakajimahiroshi.xblog.jp/article/464197926.html

年末、私はロンドンに行き、ゴールドスミス・カレッジにいる高橋くんのもとを訪問し、いろいろ教えてもらったのだが、そこで、マーク・フィッシャーのことを話した。フィッシャーの本を書い、安宿の部屋で読みながら、今時分にできるのは、彼がなぜ自死を選んだかを考えることではなく、むしろ、生きていた彼が何を考えていたかを問うことだと考えた。それを今まだ生きている私がどう読むかが重要なんじゃないかと思った。

そのとき考えたことを繰り返すと、西村さんに関しても、自分にできるのは、彼女が何を考えていたかを知ることだと思った。なので彼女の本を図書館で借り、論文を読んだ。そうするなかで今いろいろ考えているが、あまりにも重いテーマなので、まだ書けない。ただ一つ、ちょっと感じたのは、彼女のなかに生き死にの問題がずっとあったんだろう、ということである。たとえば「アボガドの種・仏の種子」という論文は、日本の仏教思想の立場から、欧米における仏教的なエコ思想(ゲイリー・スナイダーやジョアンナ・メイシー)を批評し、それらとの対話的関係をつくろうとした論文で、つまり、ティモシー・モートンのエコロジー哲学とも共鳴しうる思考が展開されていたのだが、ちょっと思うのは、動物愛護的なスタンスなどに、モートンのいう「美しき魂症候群」的なものが感じられてしまう、ということ。「殺生」という、動物殺して食べんことには人間が生きられないという、なかなか難しいことを真剣に考えていたのだろうと思われる。で、彼女の論文には、人間ならざるものへの共感が、ともすれば人間否定、現世否定、社会否定になりかねないということの危うさを感じてしまった。そんなこと亡くなった人に向けて言ったところで何にもならないが、モートンの本を読んでいたら何か展開があったんじゃないか?

じつは、西村さんの最初の著書には、仏者を「現世の価値観を公然と無視する」存在ととらえ、その観点から、近世から近代(丸山真男の政治思想にまでいたる)における仏教軽視の風潮を批判する論調がはっきり打ち出されている。つまり西村さんは、排仏論に対する批判として、みずからの仏教思想研究を位置づける。彼女の著書はきわめて精密な読解と資料収集にもとづく厳密な著書なのだが、それでも彼女の著書からは、いわゆる学術書の枠内におさまらない、熱意というか肉声を感じ取ることができる。僕なりの言葉でいうと、現世の価値観(政治経済?)だけで世の中動いているんじゃないよね、もっとプリミティブな、深層的な領域みたいなものに支えられているんじゃないのかね、という問いだと思う。卒論では法相唯識を研究しようとしたとあとがきには書かれていたけれど、唯識を僕が知ったのは三島由紀夫の豊穣の海で、これ読みながらドゥルーズの差異と反復読んでいたなあ。で、差異と反復で僕は卒論を書いたんだが、唯識みたいなことを考えながら書いた。そこにいきなり行っちゃった西村さんには、そうとうの何かがあったとしか僕には思えないですね。

さらにいうと、西村さんの著書は、自然と作為という丸山が設定した問題を「政治的思考」への批判の立場から見直そうという壮大な見通しを示すものであった。近代主義の行き詰まり、政治的思考の不毛化は、震災後、エコロジカルな危機感の高まりがどういうわけか抑圧されてしまったことの問題と関連させるといろいろわかってくるのだが、私の直感では、エコロジカルな危機感の高まりを抑止するものとして自然と作為の問題設定にもとづく思想と行動が作動し、結果として、現在の停滞を招いた。で、この停滞を考える際、西村さんの著書はヒントになる。西村さんの著書は例外的だった。そして、あとがきを読むと、普寂というマイナーな仏者を研究したことにも西村さんなりの理由があったことがわかる。学会受けするかどうか、そういうことよりもっと切実な問いが西村さんのなかにあった。これをなんとかしないかぎりどうにもならなかったのだろう。

多分しばらくは、彼女の著書を読むんだろうなあ。仏教思想にはずっと関心があったからいい機会だと思う。

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1975年生まれ。著書としては「「人間以後」の哲学」(講談社選書メチエ、2020)「人新世の哲学」(人文書院、2018年)、「複数性のエコロジー」(以文社、2016年)など。
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