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「青年会1.0アップデート」に込められた想い(まあくん編)その2#共催

物語はモチベーションになる!

前回の記事では、8年前、育成の第一線にいた頃に遡り、考えていたことを書きました。(気になる方は、上のリンクからご覧あれ)

※今回の記事を下記で動画にしています。文章苦手な方はこちらをどうぞ!

2012年 育成指導部員
2013年 育成指導部長
2014年 育成ねっとわーくinJAPAN
2016年 青年会委員長 ←今回はここからです。

委員長になり、変わったのは

育成指導部長から、青年会委員長へと役職が変わり。
熱心に取り組んだのは、東海ブロック共催の青年練成会でした。

その理由ですが、
当時、22歳だった僕は、青年会幹部メンバーの中でほぼ最年少でした。

とはいえ委員長なので、
・指針示す
・個人の相談に答える
・どっしり構える
・あらゆる場に出席
・自分の仕事は当然こなす。
・周囲へのフォロー
などを求められました。(と思ってました。)

「甘え方」が分からなかった僕は、
・自分でやらなければいけない。
・皆を不安にさせてはいけない。
・やるべきことを進めなければいけない。

そういう気持ちに満たされていて。
・・・その考え方はどうなの?という話はここでは置いておきますが。

そうやって考えた結果、やっぱり、僕だけでは無理だと思いました。
だって皆様の方が経験も実力もある。

そんな方達に僕が何を伝えられるのか?

それに加えて、
愛知の青年会委員長は一人、
事務局長も議長も一人、
その役職を担うからこその悩みや葛藤、興味の範囲もある。

経験したことがない僕には、寄り添うことはできても(寄り添えてなかったのですが。)真の理解は簡単じゃない。

役職特有の課題をもっとも理解し、共感してくれるのは同じ役職の方。
そう思いました。

それなら、
同じ役職者同士でフォローできたらいい。
そんな繋がりを作れる場を作ろう。

「どうやったらいいのか?」

LINEグループなど、ネットのやり取りには限界を感じていました。
何かキッカケがないと人と人の繋がりは生まれないと思っていました。

でも一緒に時を過ごせば、繋がりは生まれる。

当時の東海四県は、委員長こそ繋がりがありましたが、副委員長やその他のメンバー同士での繋がりは相当薄かったと思います。

今でこそ、他教区とのやり取りは当たり前ですが、当時はかなり限定的でした。(隣県教区の委員長の名前を知らない幹部もたくさんいました)

そこで、東海ブロック共催青年練成会を、思い立ちました。
(上記のキッカケ以外にも他にも色々な方の助言や諸々事情があって開催することになりましたが、青年会1.0アップデートに影響の大きい部分に絞って書いてます)

共催の青年練成会

こだわったのは、「共催」でした。

共催の意味は、

共同で主催すること。

です。

それまで愛知が主導で、コラボの練成会(合宿)は開催していましたが、

よくて一部の企画を担って貰う、当日の運営に入ってもらう、地元のメンバーに声をかけてもらう。という程度でした。

だから、共催。東海ブロックの「静岡」「愛知」「岐阜」「三重」が横並びで主催になって、企画/運営/推進を同じように担う。ことを考えました。

あちこちに相談させて貰って、各教区の委員長(全員、先輩方)に快諾を頂いて、企画をスタートしました。

これがほんとに大変で、全員が東海の皆さまにはたくさんご愛念頂きました。

当時としては珍しく、実務上のトップがいない運営体制でした。
教化部長が長としていらっしゃるものの、
実際に物事を決めて動く実行委員(委員長)たちにリーダーはなく、同列でした。

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これはつまり、何を決めるにも全員の許可がないと進まない。という事です。(これが協働の「大変さ」と「利点の」良い経験になりました)

結果としてたくさんの課題を残しながらも、練成会を開催して、東海四県が繋がる機会になりました。
(一緒にやって下さった方々、本当にありがとうございました🙏)

一緒に企画も運営もしていたので、ちょっとした企画のノウハウや、運営のやり方などを間近で体験し、それぞれに刺激にもなったみたいです。

おかげさまで、他教区間の個々のつながりも増えました。

そして「翌年も開催したい!」との声が上がりました。

翌2017年は、委員長以外にも関わってもらい、さらにつながりを拡げようと、10名の企画委員で企画を分担しながら、2回目の共催練成会を催しました。

関わる人数が増え、さらに多くの喜びと葛藤がありましたが、
8回の企画会議+運営会議、個々の打ち合わせ、チャットのやり取りを通して準備を進め、最終的には感動と繋がりが生まれました。


確かこの頃から「ペア教区」の考え方が生まれてきて、東海四県という括りで良いのかな?という疑問が生まれていたように思います。

東海ブロックの繋がりを感じたことで、「もっと地元に目を向けたい。繋がりを深めたい」という意見が聞かれるようになりました。(共催するだけで多くの時間が必要でした)

その結果、第3回の東海ブロック共催青年練成会は”開催しない”と決め。
代わりに地元重視で「誌友会」の充実を目指して、誌友会の研修会を共催しました。これが2018年2月。

それから共催することはなく、もっと地元への意識を向けようの機運が高まったのです。

まとめ

この約2年間で学んだことは、
・リーダーなしで、物事を決めるのは時間もかかる
・共催だから主体性が生まれるわけではない
・いつも前提ありきで話している(背景を分かっている前提)
・方向性、指針を確認することは重要
・テキストのやり取りには誤解がつきもの
・結局関わっていない人には伝わってない
などです。(ちょっと雑ですね、また後で書き換えるかもです)

「育成ねっとわーく」は初めて作ったもの。
「青年練成会」はたくさんの方の力を借りて多くのエネルギーをかけた。
という意味で、大きな出来事でした。

それ以外にも影響を与えている出来事が多々あります。情報開示の試みをあちこちで行っていました。

Web上では、
・Facebookページでの発信
・Facebookグループ
・Googleドライブ
・Googleスプレッドシート
・動画シェア(推進動画、全国大会インタビュー)

対面では、
・教育学会
・全国大会の交流会
・代表者会議交流会
・幹部研修会への行き帰り
・中央委員会への行き帰り

次回の記事では、それぞれを少しずつ振り返ってみたいと思います。

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