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ホロコースト否認論を否認するテスト-07 Twitter Denials 06

※上記写真はアウシュビッツ収容所からソ連軍により囚人が開放されたときのものです。こちらにその時の様子を撮影した動画があります。下記の30で言われているのはこの映像のことが多いようです。なお、どうやらここで紹介されていた人はこの映像に写っていたのかも知れません。

この記事は以下のリンクの私的解説です。原則として地の文は私の解釈、引用は翻訳文です。但し例外もあります。翻訳にはDeepLを使用しています。

26.ホロコーストの証拠写真なんて捏造ばっかじゃねーか

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これは、昔話をせざるを得んなぁ。しかし、ホロコーストの場合は、南京事件よりさらに反駁が大変そうです。だって、流石に否定派が写真をほんとに捏造することはなかったと記憶するのですけど、向こうはそれをやるんですね。資料偽造屋もいたみたいだし。おそろし……。

ホロコースト写真捏造疑惑検証の具体的な解説は元リンク先を翻訳でご確認下さい。たくさんの事例が説明されています。基本的には南京事件と同じですね。昔話ね……。

南京事件否定学者で有名な東中野修道氏が『南京事件の「証拠写真」を検証する』なんてな本を出版したのです。実はそれよりずっと以前から「南京事件の証拠写真なんか捏造だ!」という話は何度もあったのです。それで、一騒動になって、南京事件に関する催しが中止になったことすらあります。

最初に基本的なことを言っておきます。こうした事件を証拠証明する写真などなくったって、南京事件もホロコーストも問題なく証明されます。そもそも証明の必要もありません。うるさく言っているのは否定派だけなのです。もちろん、その事件の内容については検証すべきでしょうけれど、事件事実そのものなど写真否定で否定など出来ないのです。

それでまぁ、東中野の著書をきっかけにして、過去に、「本物の捏造写真なんてあるの?」という検証を南京事件に詳しい人達がネットでやったことがあるのです。本物というのは今でいうフォトショによる加工編集のようなものですね。昔の銀塩写真だって切り貼りすりゃ出来たのです。あるいはまずい部分を塗りつぶすとかね。

手短に言います。はっきり確度高くマジものの捏造と断定できる写真は一枚もありませんでした。あったのはそれ以前から言われていた、写真につけられたタイトルなどの説明が違ういわゆる誤用だけです。もちろんキャプション変更も捏造と言えなくはありませんが、「誰彼が意図的に捏造した」という事実そのものは一切証明されていません。

でも、誤用はあったのです。タイトル忘れましたけど、当時の中国国内か海外向けか知りませんけど、これが証拠だ!のようにそれら残虐写真などを載せた冊子を宣伝のために作って売ったらしいのです。侵華日軍……とかなんとかのタイトルだったように記憶するけど忘れた💦 ともかく適当に入手した写真を掲載した冊子だったようです。それはまぁいいんですけど、その冊子からですね、その掲載写真の一部を日本の肯定派が自著などに使っちゃったんですわ。流石にねぇ、私自身それは迂闊なんじゃないかとは思います。お詫び修正は確かされておられたとは思いますけど。

で、そこを否定派に叩く材料として狙われたのです。ホロコーストと全く同じでしょ? 「本多勝一は証拠を捏造した反日似非ジャーナリストだ!」とずっと言われてるんですね。あやつらは何遍言ってもも聞きやしやしません。それは「誤用」だっつってるだろ、って。否定派は揚げ足を取ったら握って離さないのです。

どうもその攻撃は奴らの思惑通りになってるように感じます。ウソも百ぺん言えばホントになる、みたいな。多分ですけど、「南京事件には捏造写真がある」とお思いの方は結構多いんじゃないでしょうか? でもはっきり断見できるモノホンの捏造写真など一枚もないのです。捏造という指摘に難癖をつけているのではありません。本気でモノホンの捏造を言っている人はいますが、アポロが月に行ったという写真の捏造疑惑と同じレベルなのです。影の向きが違うとか……そんなんです。

しかしホロコーストはレベルが違いますね。ほんとに否定のために捏造するんですね。あるいはイタズラか罠かなぁ? ともあれ、何度もいいますけど、否定派って同じことばっかりやってますねぇ。 

なお、これは余談の余談ですけど、写真検証はけっこう大変です。例えば、アサヒグラフという雑誌からの流用だと言われていた写真があったのですけど、どーもそれは違うんじゃね?、となったことがありました。何故かと言うと、捏造の指摘を受けた写真にはアサヒグラフには切られて掲載されていない箇所があったりしたのです。その確認のために私は、大きな図書館まで足を運んで昔のアサヒグラフを調べたりもしましたけどね、懐かしい……。もしかして、記者が中国国内でプリントした時に、助手に写真を持ち去られた、かあるいは現像屋があって勝手に売るために自分達用にプリントしたんじゃないかなぁとか、そこまで推理する必要があったのです。すると、確かに当時、残虐写真をまるでエロ雑誌のように売っていたらしい、とか。それを、日本軍人が現地で買ったりして……とかもあったな。そのためにまた文献調査とか、たった一枚調べるだけでもかなりめんどくさい事もしばしばあったのです。長くなりました。

ともかく、写真だって証言と同じ、フェイクもありますってだけです。

27.トレブリンカ絶滅収容所の土壌調査をやったら何もなかったつってたじゃないか。嘘っぱちだと分かってるのに、それを本にしようと言ってたはずなのに出ないのはおかしいだろ。そっか、出したら逮捕されるもんなぁ。真実は言うとやばいもんねぇ

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さすが、ホロコースト問題、色々あったんですねぇ。ここはちょっと、記事が非常に私にとって未知な話なので、詳しくはリンク先を読んで下さい。とりあえず、この項のタイトルについてだけを説明します。

トレブリンカ絶滅収容所はポーランドにあった6つの絶滅収容所のうちの一つですが、ここでざっと73万人のユダヤ人が虐殺されたとされています。そして、1943年に大規模な脱走事件が起こり、それを契機にしてこの収容所は爆破処分で取り壊して完全に証拠隠滅されます。

で、トレブリンカに絶滅収容所があったってそれほんまかいな? と土壌調査をするという、あのホロコースト否認論の大元締めみたいな組織、歴史見直し研究所(IHR)がチームを作ってやったわけです。そのチームリーダーがリチャード・クレゲなる人物です。

で、クレーゲは調査結果を次のように発表します。

「見つかりません:大量の墓、スケルトンの断片、人間の灰、木の灰、地面の不規則性、建設用コンパウンドまたは残骸、木または切り株の残骸、虫歯、黄金の歯。」

そして、その詳細な結果を本にすると公言したのです。ところが、何年経ってもその本が出版されないのです。で、お決まりのセリフを言っているというわけですね。

これ以上は説明の必要ありませんよね? トレブリンカについてはまだあまり良く知らず私もこれ以上は言えません。しかし、1999年に調査して、今の今まで報告書が出てこないなんて、ねぇ?  IHRがやったことですしね。おかしいのはどういうことか推測は簡単ですね。多分ですけど、何かちゃんとした活動っぽくしておかないと、存在意義を示せなかったからなんじゃないでしょうか。本出すとまで言っておけば、疑われるまでの間は期待を維持できますもんね。そもそもやってるポーズだけで実際には真面目になんか調査してないと思います。だって、不味い証拠が出てきたって報告のしようがないでしょうしね。

この項のリンク先より簡単な解説はこちらで読めます。これで否定できると思いますか?

28.1956年の百科事典ブリタニカにはホロコーストのことが書いてないんだけど?ホロコースト、ガス室、虐殺、600万人、何にも書いてない。ヤコブ・マーカスって名のユダヤ人が書いてる第二次世界大戦の歴史だろ。やっぱ捏造で決まりだね

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ホロコーストという用語は70年代に入ってから使用されるようになりました。リンク先には60 - 70年代とありますが、大きかったのはアメリカで1978年に放送されたドラマ『ホロコースト』です。それ以前はジェノサイドと呼んでいました。これが欧州でも放送され、ホロコーストという呼び名が定着するようになります。しかし、ユダヤ教ではホロコーストは申請な儀式を意味するので、ショア(Shoah: 惨事)と呼んで欲しいということらしいですね。

ともかく、イタズラで言ってるとしか思えないセリフです。リンク先には丁寧な説明がありますが、これは流石に日本人なら付き合う必要はないかと思いますので、読まなくてもいいんじゃないかな。……え? おかしい? うーん……そう言えば、ブリタニカって実は暗号が隠されているという噂を聞いたことがあります。それを突き止めれば何か陰謀の証拠が出てくるかも。知らんけど。

29.あのさぁ、ユダヤ人の博士がだよ? 2年半も掛けてユダヤ人虐殺数は30 - 50万人だって主張して、ほんとに600万人なら死にます、とまで言ってるんだぜ? ユダヤ人のリストジェフスキー博士が言ってたってそう書いてあるじゃねーか。人間て嘘つくんだよ。サイモン・ヴィーゼンタールがそうでないと駄目だっつってんだろ。

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タイトルが長すぎ💦。工夫が足らないのはお詫びします。ええっと、そんな人いないのです。リストジェフスキー博士。これは事情がちょっとよく分かりません。もちろんデマだし、デマの発生元まで元リンクは突き止めてます。反ユダヤ主義って今でさえも日本人ですらいますし、アメリカならもっといます。それは別に良いんですけど Dr Listojewskiが謎。誰なんだろうと思ってググったら……結構使われてるデマです。検索結果数の845件も使われてるとは思いませんが、そこそこあるみたいですねぇ。ともあれ、そんな名前の実在の人ほんとにいるの? とFacebookで検索してもただの一人もいません。名前そのものが存在しないのではないでしょうか。

しかし、デマが多ければ多いほど、どんどん否認論て信用なくなる気はしますね。結果として誰も本気にするわけないのでおふざけだとは思いますが。これで引っかかる人はよっぽど……。


30.あれ? 子供ってアウシュビッツじゃ労働不適格者なのにこの写真見ろや、囚人服来てるじゃねーか。速攻、服脱がされて毒ガス行きじゃなかったんか? なんでそんな嘘つくのん?

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これはもちろん、否認論者の言うような「嘘」に結びつく話ではないのですが、結構複雑な話です。先ず、アウシュビッツやその囚人収容力拡張のために作られたビルケナウにしても、当初は収容施設という意味合いが大きくて、いわゆるユダヤ人問題の最終的解決について話し合ったヴァンゼー会議の結果を受けてラインハルト作戦の実施、すなわちポーランドの3つの絶滅収容所(ベウジェツ、ソビボル、トレブリンカで始まり、これをアウシュビッツ、マイダネク、ヘウムノが引き継ぐが、前者三つをラインハルト作戦と呼ぶ)で本格的にユダヤ人虐殺が行われるのは1942年3月中旬になってからなのです。なお、誤解が大きいらしいのですが、ヴァンゼー会議でユダヤ人を大量虐殺することが決まったのではありません。既にそんな事は決まっていたのです。既にアインザッツグルッペンは実行してたのですから。

この会議はざっくり言えばナチス第二位の地位にあったゲーリング国家元帥の委任の下に、ハイドリヒ親衛隊大将が各関係機関を集めて、ハイドリヒがただ単に最終的解決を実施に移すと話しただけです。非常にざっくり言えば、ですよ。だって確か午前中の二時間しか喋ってないしほぼ大した議論などしてないのです。多少細かい確認をしただけとも言えるでしょう。

さて、絶滅収容所における虐殺は基本的には労働不適格者を不要と判断してさっさと処分するのですが、子供だって重要な労働力とみなせるのであれば、使うのが方針だったのです。その年令は概ね14歳くらいだったと言われています。詳しくはリンク先を読んで欲しいのですけど、とにかくそう単純な話ではないのです。ユダヤ人にだって、出身地などの様々な違いも実はあって、全体を把握するのは結構難しいのです。またユダヤ人だけというわけでもありません。あと、忘れてはならないのは、超残虐な鬼畜、ヨゼフ・メンゲレ博士です。

ヨゼフ・メンゲレ博士の話はあまりにも残酷過ぎて、実は私、読めません。名前を出しただけで体が震えてきます。ただ説明ですから、少しだけ書きます。ユダヤ人の双子の子供を利用して、人体実験をしていたのです。これ以上は書けません。ともあれ、生かされた子供もいたということだけでも覚えて下さい。

そういうわけで、別にアウシュビッツに囚人服を来た子供がいたって不思議はなにもないのです。しかし子供の話は別として、ナチスドイツはほんとに矛盾したことをやってますね。ユダヤ人を大量虐殺しつつ、強制労働させて労働力の確保もする。思うのですが、こうした矛盾した仕組みを実行するのは大変だったと思います。ヒムラーは労働力確保に物凄くうるさかったらしいです。殺さなきゃならんわ、一方で労働力も確保しなきゃならんわ、そりゃこんな状態だったら、倫理的なことを考えてる余裕などなかったんじゃないでしょうか。とにかく仕事に没頭/集中しなきゃいけない。アウシュビッツ収容所のヘスも、ユダヤ人虐殺を正義と信じて全く疑わなかったっつーんですからね。仕事って恐ろしいです。

今回は以上です。


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