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熊本地震で微妙に被災した家族の日記(1)

こんにちは。

2016年4月の熊本地震から4年経ちました。

実は、震源地の益城町が目と鼻の先だった我が家も被災し、家は半壊状態のままです。

大した被害は受けていない方だと思うのですが、3週間ほど避難所でお世話になりました。その時の体験をまとめてkindleなどで発売したのですが、こちらでも発表させていただくことにしました。カタログ代わりに「はじめに」の部分だけ無料でお読みいただけるようにしました。ぜひ続きもお読みください。


はじめに

熊本に大地震が来る。少なくとも、当時の熊本の一般市民にとっては「あり得ない」ことだった。
熊本県に大きな断層があることは以前から知られていたが、地震よりも阿蘇の噴火の方が心配。この「熊本の常識」が、熊本人の地震に対する警戒心を希薄なものにする原因になっていたようだ。

そもそも、「地震大国」である日本には、地震の脅威を受けずに済む土地など皆無と言っていい。だが、何の根拠もなく「自分の住む土地は大丈夫。起こったとしても、大した被害は受けないだろう」と考えてしまう人が多いようだ。熊本の人々も、まさにそんな感じで日々を過ごしていたのだ。「あの日」までは…。
だが、熊本市周辺が強い地震に襲われたのは、これが初めてではなかった。明治22(1889)年7月28日にも、熊本市西部にある火山(少なくともこの15万年間は活動していない模様)である金峰山付近を震源としたマグニチュード6.3の直下型地震が発生、死者20名、全半壊家屋数百棟、そして熊本城の一部の石垣や櫓が崩壊するという被害を出した。だが、その事実を認識していた熊本人は少なかったのである。それは無理もないことだったかも知れない。その地震から126年以上、熊本は同じクラスの強い地震に襲われていなかったのである。

だが、それは現実に、そして容赦なく起こった。

本書は、2016年に発生した熊本地震の際に私と家族が体験したことや感じたことを綴った記録である。記憶が混乱したり忘れ去ることが少ないうちに…と、地震発生の数日後に綴り始めたのだが、二度にわたって襲ってきた巨大地震がいずれも夜間に発生したこと、その後の強い余震が異常な回数であったことなどに加え、心身の疲労もあってすでに記憶が混乱し始めていた。特に、二度の強い地震の発生後数時間の出来事については、時系列が正しいかかなり自信がない。言い訳になるが、そこまで冷静でいられる状態ではなかった。私がFacebookに行なった投稿が、そのような記憶の整理や補填のために役立った。
正直言って、本当に大変な目に遭われた被災者の皆さんに比べたら、私の“被災”など取るに足らないものだと思う。また、そのような皆さんから見れば、不謹慎とかお気楽だと思われえる部分もあるだろう。しかし、自分が体験したことや見聞きしたことを綴ることも、震災の(ごくごく小さい)一つの記録になるのではないかと思い、あえてそのようなエピソードも極力取り上げることにした。

忘れられない。でも、細かいことが思い出せない。
忘れたい。でも忘れてはならない。
そんな、いろんな思いが入り乱れた状態の中で、この記録は綴られた。


<他の章へのリンク>
(2)第一章 前震
https://note.com/mryk0221/n/n7a70be40deeb
(3) 第二章 本震
https://note.com/mryk0221/n/nfea8efeb0891
(4) 第三章 余震と復旧
https://note.com/mryk0221/n/n567f60e2afba
(5) 第四章 “日常”への道
https://note.com/mryk0221/n/nc8793c91820f
(6) 第五章 避難所生活の終わり
https://note.com/mryk0221/n/n9107c8f7dea3
(7) 第六章 娘との回想
https://note.com/mryk0221/n/nea4f0ad8657c

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