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人はやさしすぎるせいで、不幸と隣り合わせなのかもしれない

シネマハウス大塚で森達也監督の『A』を観てきた。
内容はオウム真理教の荒木治広報副部長(撮影当時・現Aleph広報部長)を中心とするドキュメンタリー。サリン事件が起こって関係者が逮捕された後、サティアンが解体されたり公判が進んでいく姿を描いている。

観に行ったきっかけは、個人的に事件への興味があったことは勿論、森監督の著作を読んでいたからが大きい。特にAシリーズはなかなか放映してない作品なので、複数作品を一挙放映すると聞いた時は小躍りした。観たくても観れないのは結構しんどい。

二時間強ある映像は、多分見ちゃいけないものだった。
観るべきだけど、見てはいけない、の方が正しいかもしれない。

わかってたつもりだったけど、作中に出てくる人たちが全員"普通の人"だったことがとても怖かった。
勝手にカメラを向けられて「許可とってくださいよ」と終始半ギレで繰り返す荒木も、レトルトカレーを美味しくなさそうに食べてる信者も、終始ガムをくちゃくちゃしながら苛立って許可どりしてる報道の人も、道を歩いているだけで強引に職質をかけてくる警官も、みんな人だった。

途中、女子大生が「荒木さんのことは応援してます」と言われた時、ちょっと嬉しそうにしてから「喜んだらダメですね、悲しくなってしまいますから」と返すシーンに結構やられた。
観ていると半端に肩入れしたくなってしまう、人間臭すぎて。自分の正しさをなぜ人から拒絶されなきゃならないんだって、そう言いたくなる。

そうやって肩入れしていった先が、多分スクリーンの登場人物たちなんだと思う。
知識としても自分の倫理観的にも、彼らの行動は全く共感できないことの方が多いんだけど、それでも、あの時代に今の年齢くらいで生きていたら、もしかしたら私は被写体だったのかもしれない。そう思ってしまった。

それは荒木が一見すると、28歳のその辺にいそうな青年だからなのもある。27歳の今でさえグラグラするのに、それより若い時だったら何を感じていたんだろう。
勿論入信する気はないけど、絶対とは言い切れない気がする。絶対って、言いたいのに。

観ていて心が寄り添いそうになるたび、ハッとして距離を取って傍観することに徹した。
気づくと崖の淵に立ってしまい、あと一息で落ちちゃうってことに気付かされたから。
それすら気付けなかったら、あとはそのまま落ちて、そして私はどうなっちゃうんだろ。

一番印象的だったのは、信者の一人が「出家して一回出て、また出家し直した。色々な欲に負けて、出た時に色々なことをした」「愛する人ができて添い遂げられたとして、それでも最後には死に別れるわけじゃないですか。それってすごく悲しいですよね。だったらそれを断ち切るのが一番いいんじゃないかと思って」と語るところ。

言っていることはわかるし、すごく真っ当なのに、そのあとは「なので尊師が〜」とロジックが飛躍する。半端にわかるのがこわい。この人も人間なんだってわかってしまうから。

被害者の会の会長が「(荒木の)お母さんのこと、よく知っている。あの子も悪い子じゃないから」と言ってたりとか、森監督から「荒木さん、明日は何ご飯食べるの」って聞かれた時に隣の信者を指差して「こんな感じですかね?」と困った感じでニヤニヤしたりとか、笑顔でブチギレながら文句をずっという周辺住民の人とか、なんていうか本当に……みんな人だった……どこにでもいるじゃん……

やさしくされるとやさしくしたくなるし、好きな人にはしあわせになって欲しいし、自分の正しさは貫きたい。
どうしても自分に重きが言っちゃうから、たまにはどこにいるかを確認して周りを見ないと、不幸が一緒になってきてしまうのかもしれないなあと思いながら感情の海に溺れている。

あとひとつ。報道陣に囲まれた後、一足先に室内へ戻った荒木のあとに森監督が少し立ってから部屋へ入るんだけど、その時、当たり前のような静かに祭壇へ祈っている荒木がいるシーンは本当に何も言えなかったよ。


#20191116 #映画 #感想 #森達也 #日記 #レビュー



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