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僕が同性パートナーと結婚式を挙げた理由

noteを3回以上書けたらそれなりに続けられるかと思っていたので、これで頑張れそうです。

結婚式を決めた時も周りにいろいろ聞かれたり驚かれたし、自分の整理のためにもまとめていこうと思います。

理由1:結婚式への憧れ

 まず単純に、僕の両親や親族も式を挙げていたし、友達も、職場の先輩なんかも結婚したら式と披露宴をあげ、行ける人はハネムーンに…というのが普通で、その流れが幸せの象徴である王道パターンであることをゆるぎなく感じていました。

お金もかかることは知っていたし、自己満足の象徴であるという懐疑的な意見も目にしましたが、僕は友人として参加した結婚式もとても楽しかったし、呼んでもらって嬉しかったので、自分もいつか挙げられたらいいのになとは思っていました。

あと僕はハロプロオタクで、ステージや、デザイン装飾、花や衣装なども好きだったので、自分もおめかしして、素敵な空間においてハロプロ流しながら登場したいなとか、妄想することもたびたびありました。妄想するのは簡単なのですが、実際に挙げられたことは本当にうれしかったです。

理由2:公にすることで関係のけじめをつけたい

これは僕の持論なのですが、同性愛者の恋愛(特に日本、特に田舎)は閉鎖的になりがちだと思っています。例外はあれど、出会いが普遍的ではないからこそ、多くのカップルは1対1の関係に留まり、日常の人間関係にパートナーを絡ませることがない印象を受けます。

僕もカミングアウトしていったのは徐々にではありましたが、深い関係を築くうえで明かしていきたい気持ちがあるので、生涯のパートナーとして同様の価値観を持てる人や、お互いの人間関係を含め大事にできる人を探していました。

そして彼と出会い、自分たちの人生に関わってきた人たちにお互いを紹介し認めてもらう経験を積み重なることで将来も意識するようになりました。一緒に住み始めて4か月、彼がプロポーズをしてくれ「これからも一緒にやっていきましょう」と二人で決めました。

そのことを聞きつけた彼の幼馴染が、サプライズで素敵なお祝いをしてくれて、「そうか、この二人の誓いは社会的なことなんだ」と感じるようになり、二人で結婚式の準備を始めることになりました。

僕らは現時点で二人でやっていくだけの自信がありません。ゲイに限らず、未熟な二人がこの社会を渡り歩いていくにはさまざまな偏見や障壁があります。これまで少なからずも築いてきた人間関係で支えてもらった人たちには、一緒になることをけじめとして宣言し、今後も何かあったときに助けていただきたいこと、また二人で助けてあげられるようになりたいことを伝えたいと思いました。

理由3:家族や友人への感謝を伝えたい

2と被る内容にはなりますが、僕は生きてきた中でたくさんの迷惑や心配をかけました。何ならこの式をあげるまでもいろいろありましたが…(まあそれは追々)

家族もそうですが、友人にもたくさん甘えてしまうし、厚かましいし、振り回しちゃう部分もあるのかもしれない。そんな僕をずっと支えてくれたこと、何があっても離れないでいてくれたことはすごいことだと思いますし、パートナーの彼との関係を見てもらうことで、安心してもらいたいという気持ちもありました。

社会人になってからはゲイの出会いにおいて大切な友人もできました。みんなそれぞれの生き方があり、僕はどの友達からも素敵な刺激と優しさをもらっていました。

周りにはゲイの結婚式をした友人はいないけど、僕が挙げる時、本当に心から祝ってくれそうな人だけを呼んで「付き合いで何となく呼ばれた」式は絶対にしたくないと思っていました。参列した人それぞれに本音で感謝の気持ちを伝えるつもりでやろう!と心に決めました。今回呼んだ友人の中で式を挙げる人がいたら絶対に参列したいし、僕のこの式で、同性結婚式をしたいと思う人がいたら本当に幸せなことだとおこがましくも思っています。

次は、実際に開催するまでの準備について書こうかな?とか…思ったけど、シリーズ化すると息切れしそうなのでまた気が向いたときにでも(笑)

ここまで読んでいただきありがとうございます。もう少しまとめられるように頑張ります~

おわり

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