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『脳と人工知能をついないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか』の読書感想

年末で時間が取れたので、一息に『脳と人工知能をついないだら、人間の能力はどこまで拡張できるのか』を読み切った。

ここではその感想。というよりは、もっと緩い呟きをまとめたものを書いた。自身は別に専門家でも何でもない、科学に興味があるただの素人なので悪しからず。

まず、総合的に面白かったと最初に述べておく。
この本は、専門的な内容が理路整然と並んでいるタイプの本ではなく、もっと親しみやすい内容となっているように感じた。
例えば、「実際にNeuralinkの電極を脳に埋め込みたいのかどうか考えてみる」といった内容があった。これは主題からは少し外れるが面白い。
そして、専門的な用語の登場が少なく、出たとしても説明がなされていたいので読みやすく感じた。これに関しては個人的な感想なので、あまり当てにならないかもしれないが、少なくとも私はほとんど詰まらずに読めた。

では、内容について触れていく。勿論、この感想文によって本を手に取る人が増えるようにネタバレは出来るだけ避けていく。

印象深かったのは、やはり脳に対するアプローチに人工知能を介することで可能性が高まる点だろう。
自分自身は脳に関するトピックとしてNeuralinkの話題を知っていたが、本書を読んでその技術の繋がる先を知れた。そして、Neuralink以外でも多くの研究や成果が存在して、そのどれもが興味深かった。

人工眼球の内容では、「人間はこんな凄いものまで作ってしまうのか!」と思った次のページでは、「人間の目はこんなにも複雑なのか!」と立て続けに驚いた。
どこかで「解像度の限界は人間の目だ」という意味合いの言葉を目にしたことがあったが、その解像度の限界もいつかは越えてしまうのかもしれない。ディスプレイの解像度と人工眼球の解像度の間に競争の関係が生まれる将来があったら面白い。

GPT-3の活用例として、「十分なデータ量を集めることが出来れば、過去の偉人を再現してデカルトやアインシュタインに教鞭を取ってもらうことも可能になる」といった旨の内容があった。
これに関して、個人的には歴史の授業でもかなり有用ではないかと考えた。私は人の名前を覚えるのが苦手だが、再現された本人から直接話を聞けたなら覚えやすいのではないのだろうか。チンギス・カンと会話した翌日にマハトマ・ガンディーと会話すれば、あまりの思想の違いによって印象に残るだろう。
まあ、過去の人物あればあるほどデータ量が少なくなってしまうと考えると、過去の偉人ほど再現が難しくなりそうなのは少し残念ではある。
デカルトから哲学を学ぶことが出来ても、アリストテレスから哲学を学ぶのは難しいのかもしれない。

本書の内容はどれも現実離れしている一方でリアリティがあって、理想が現実になる近い将来を垣間見るようなワクワク感があった。SF小説と現実が地続きになるような感覚だ。本書でもSF作品の名前が挙がったが、私は『PSYCHO-PASS』と『BEATLESS』と『ハーモニー』が脳裏によぎった。

『PSYCHO-PASS』ではシビュラシステムというものが登場する。シビュラシステムは人間が犯罪を起こしうる可能性を数値化するシステムで、これにより犯罪を未然に防ぐというものだ。これはネタバレになるのだが、シビュラシステムの正体は機械的なものではなく、人間の生体脳を取り出して複数接続したものである。現在の倫理観では完全にアウトだが倫理的問題を別にすると、本書読了後の今だと案外実現出来てしまいそうに思える。

『BEATLESS』では人間よりも進歩したAIに対し、人間がどのように接していくのかといった点も描かれていた。人工知能の研究ブームが(これまで数回起きたブームとは違い)今回は一過性ではないのだと思うと、案外その葛藤は身近なテーマになるのかもしれない。

『ハーモニー』では多くの人がWatchMeというナノマシンで常時健康状態が監視されている世界だ。その世界では、システムに自らを監視されるのを拒む人も少なからずいた。何らかのシステムに自分の命運を預ける度合いは、これから先どのように変化するのか気になるところだ。

最後に出てきた内容は、特に脳と人工知能の両方を取り扱う本書ならではと思える内容だった。これは是非とも本書を手に取って読んで欲しい。
余談だが、物理的な本を手に取らずとも電子版もある。


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