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ニースのリンゴ🍎

ふと電車の窓から外を眺めていると、駅の近くに大勢の人が集まり市場のようなところで買い物を楽しんでいました。何かその場でのエネルギーを感じたくて、私は電車を降りて、その人混みの中に入っていきました。

場所はフランスのニース。フランス語がほとんどできない私にとって、それは今思うと1つのチャレンジであったのかもしれません。しかし私は、まるで地元の人間のように、目の前に並ぶ様々な色や形のりんごをザルの中に入れ、「これください」とお店の人に一言言いました。

その時の、若いお兄さんの友好的な笑顔は一生忘れることはないでしょう。確かそのお兄さんは私に何か話しかけましたが、私はその意味がわかりませんでしたが、私も笑顔で答えました。

「わざわざ遠く異国の地フランスに来てくれてありがとう。あなたの言葉から地元の人ではないことがわかりましたが、チャレンジしてフランス語を喋ろうとしてくれてありがとう。そして、私が苦労して育てて収穫したりんごを買ってくれてありがとう」

そんなメッセージが伝わってくる笑顔だったのです。

そして、私はまた電車に乗り、あてどのない旅を続けたのでした。

これは、2年前に娘と一緒にフランスに行った時のひとこまです。娘は毎日隣国モナコ公国のバレエの学校で合宿しながらレッスンを受けていたので、私は毎日異国の地で何もすることがなく、まるで映画「男はつらいよ」の寅さんのように、毎日ぶらぶらと暇を持て余していたのです。

今思い返すと、フランスでの毎日は私にとっては何も目的も計画も立てず、ただ行き当たりばったりを楽しむ本当に貴重な時間だったと思います。本通りを歩いて何かおいしそうな匂いがするとそっちに向かって歩いていったり、当時公開していたスター・ウォーズのポスターをみては立ち止まり、日本の車のメーカーの名前を発見してはその文字を眺めたり、電車に乗って気が向いたところで降りてみたり、ただぼーっと海を眺めたり、駅前で夫婦喧嘩して号泣していた女性をかわいそうに眺めたり、今思うと、その一瞬一瞬がなんと尊い一瞬だったのかと思ったりもします。

実は、私のオーストラリア人の友人で毎年のように日本に行くことを楽しみにしている方がいらっしゃいます。その方は、いわゆる観光地を巡るのが楽しみなのではなく、計画も立てずに名もない土地に行って地元の人とたわいのない会話をすることを楽しんでくださる素晴らしい方なのです。昨日もインターネットでその方と話していたのですが、まるで寅さんが降り立ちそうな、名もない駅の写真を見してくれて、思わず「あーいいなぁ、行ってみたいなー」とつぶやいてしまったのでした。

そして、冒頭で紹介した私のニースでの一人旅について話したところ、その友人も「それはいいですねえ」と答えてくれたのです。その時私はその友人とまるで一緒にニースを旅したかのような感覚になりました。孤独だと思っていた旅も、旅から戻った後にその話を誰か他の人と共有して共感してもらうと、その旅はもう1人旅ではないんだなぁと思いました。こんな旅の楽しみ方もあるんだなぁと思いました。

人生も旅だと言われます。私たちは、幼少の頃から学校教育の中で、全員一律の目標を掲げ、そこに到達するための努力を求められる日々を送ってきました。その目標へ向かう道からそれて、脇道に入って違う風景を眺めることをしようとすると、大人から強く引き戻されたりもしました。今思うと、メインストリートの脇には無数の小道が広がっていたんだなぁと思います。そして、その一つ一つの小道で様々な人との出会いや新しい風景との出会いがあったにもかかわらず、それをいっぱい逃してきたんだなぁと思ったりします。

今、私はオーストラリアの小学校で教師の仕事をしています。ここオーストラリアでも国定カリキュラムがあり、それに基づいて州ごとに教材が作成され、それぞれの教室でそれに基づいた授業が展開されることが期待されています。つまり、国全体で旅の行き先が決められており、そのたったひとつの目的地に到着するために、教師たちは子供たちを鼓舞して前に進まなければいけない不自然な旅を続けているんだと思います。

授業の中でも、その時間内で行いたいタスクや目標が存在します。しかし、子供たちは人生の中でも教室の中でも、もっと多様な旅をしたいと願っています。子供たちは脱線の名人です。簡単に予期もせず横道に入ってしまうことがあります。

以前の私であれば、そういった子供たちに罰を与えたりしながら、何とか全員で1つの目的地に到着しようと必死になっていたわけですが、それなりに年齢を重ねてきて、それなりに様々な人生の旅を重ねてきて、今回コロナによって世界の景色が文字通りがらりと変わり、これまでと同じ旅を続けることができないと分かった時、子供たちとこれまでと同じ目的地にたどり着く旅を続けることがいかに不自然で、非現実的であると言うことを肌身で感じるようになりました。

しかし、まだまだ未熟な教師である私には、やることに限界があります。1つの授業の中でみんなで一緒に向かいたい目的地もあり、そこに向かう努力もします。でも一方で、子供たちがそれぞれ別の小道に入り、新しい「りんご」を発見をした場合、そこにも関心を示し、皆をそこに呼び寄せて、一緒にその「りんご」を楽しみ、その小さな旅の経験を豊かなものにしたいとも思っています。

そして、その生徒が勇気を振り絞って、その新しい「りんご」を買って食べようとすることに対して、ニースの市場のお兄さんが示してくれたような笑顔その子にもあげたいなぁと思っています。

ニュートンはたったひとつの「りんご」から万有引力の法則を発見したと言われています。別にニュートンの万有引力を発見しようと思って計画を立てて毎日「りんご」を見つめていたわけでは無いはずです。ニュートンも人生の旅のふとした一瞬に、「りんご」が目に飛び込んできたはずです。

子供たちが、自由に「りんご」を発見できる余裕を持った旅を続けていたいと思ったのでした。その「りんご」がその後、どんな新しい発見につながるかは誰にもわからないのです。

オーストラリアより愛と感謝を込めて。
野中恒宏

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