『愛のcoda』を読む。


突然ですが、私はキリンジ(現KIRINJI)が

大好きです。

最近またよく聴いていて愛が溢れてきたのと、お腹が痛すぎて眠れないため、キリンジのある詩について解説めいた感想をここに記します。

まずキリンジをご存知でない方のために簡単に説明すると、

堀込高樹(兄)と堀込泰行(弟)の兄弟が結成した日本のバンド(2015年に弟が脱退した後は様々形を変えながら"KIRINJI"として現在活動中)
②1960~70年代のポップミュージックに影響を受けた初期のサウンド(王道ポップス)→エレクトロやブラジル音楽、ポストパンクなど様々な要素を取り入れ、作品ごとに大きな変化を遂げている
堀込高樹(メガネで大きい方)の文学的な歌詞がすごい!
短編小説を読んでいると錯覚するような奥深さ

こんな感じです。(超個人的見解)
今回はあまり触れませんが、弟の堀込泰行さんの爽やかで耳に残る歌声も相まって初期キリンジの独特の世界観が生み出されています。

さて、今回は③について!
堀込高樹さん作詞の中でも特に好きな『愛のcoda』を自分なりに解釈して、妄想しようと思います。


◎タイトルに込められた意味◎

①辞書的な意味

coda
〔楽曲の〕コーダ、終結部
〔スピーチなどの〕締めくくりの言葉
〔小説などの〕最終章

『愛のcoda』をあえて和訳するならば『愛の最終章』。
この楽曲は【愛し合うふたりの終わりの時】を描いています。

②『愛のコリーダ』との類似

大島渚監督の『愛のコリーダ』という映画作品をご存知ですか?私は大学で受講している講義の中で学びました。これは実際に日本で起きた阿部定事件をテーマにした映画作品です。

『愛のcoda』というタイトルは、この作品を連想させます。

映画解説・あらすじ
大島渚監督がフランス資本で、昭和初期の“阿部定事件”を映画化した問題作。昭和11年。料亭の女中定は店の主人に心惹かれ、情事を重ねるようになる。その情事が男の妻に知れてしまい、二人は駆け落ちを決行する。快楽におぼれる日々を重ねるうちに定は男を永遠に手放したくないと思うようになり、ついには男を自分だけのものにするため首を絞めて殺害し、さらには男の陰部を切り取ってしまうのだった。

かなり衝撃的な内容ですよね。
この映画は公開された1976年当時、「芸術」か「猥褻物」かという激しい論争を巻き起こしました。しかし本質的には【男女の情事】【性愛を含めた愛の尊さ】を描いた作品です。

そんな『愛のcoda』と『愛のコリーダ』のタイトルが似通っている点は興味深いです。
私は「あえて」だと思っています。(なんといっても堀込高樹さん作なので)

①と②のポイントから、
『愛のcoda』とは

【愛し合うふたりの終わりの時】と
【性愛を含めた愛の尊さ】を描いた歌

ではないかと考えます。

さっそく歌詞を読んでいきましょう。


◎別れと回想◎

雨に煙った飛行場はモノクローム
傘を捨ててコートを脱ぐ
銀の翼が唸りをあげ走りだせば
窓をつたう愛のしずく 飛び散った

飛行機を「銀の翼」と表現する美しさ…。
いきなり冒頭から飛行機での旅立ちが描かれています。

「傘を捨ててコートを脱ぐ」というフレーズから、主人公は男性ではないかと考えました。また、キリンジは男性目線の歌が多いことからもこう推測しました。

「雨」「煙った」「モノクローム」「飛び散った」という言葉から味気なさ、陰鬱さ、不吉さを感じます。


あなたの孤独、その清しさに
心うばわれ 激しく求めた記憶
春の宵 光の夏 途切れたフィルム

ここはふたりの出会いを回想する場面
男女の情緒が艶かしくかつスタイリッシュに描かれています。

「激しく求めた記憶」の後に「春の宵 光の夏 途切れたフィルム」を配置するセンス、凄くないですか?
「激しく求めた」という直接的なワードの後に「春の宵〜」と美しい言葉を並べることで絶妙なバランスを保っています。
またここの畳み掛けるリズムが、彼らの時間の儚さと濃密さを物語っているようです。

ちなみに「春の宵」は中国北宋時代の詩人、蘇軾の「春夜」という漢詩に出てくる言葉です。

「春宵一刻値千金」
→春の宵は素晴らしく、そのひとときは千金にも値する

二人が過ごした時間はそれほど甘美で尊いものだったのでしょう。


すべてを覆いかくす雲の上で
静けさに包まれていよう

再び現在に戻り、飛行機の中の場面
どんなにザァザァ降りの雨の日でも、雲の上を飛んでいる間に見えるのは真っ青な空と、まぶしい太陽だけ。
全ての喧騒や悩みを忘れられる時間。(=逃避)


不様な塗り絵のようなあの街も
花びらに染まってゆくのだろう

"無様"という、下手すると曲の雰囲気をぶち壊すようなどぎつい言葉を、ここに使う勇気。

どんなに美しい色でも、たくさんの色を混ぜるとどす黒くなってしまいます。
本来あるべき色があるべき場所に使われず、不格好になってしまった絵。

主人公が街に対して感じていた「違和感」を表現しているように思いました。
また、「無様な塗り絵のような街」のイメージは「モノクローム」とリンクします。
「花びら」(ふたりが出会った春の季節)が、味気ない世界を一瞬で彩る様は
彼女との出会いの幸福感、幸せな時間を感じさせます。

今はただ春をやり過ごすだけさ
地の果てで

「春の宵」とまで表現された甘美な季節。
しかし、 彼女がいない今はもう「やり過ごす」ものでしかない。対比がなされている。

灼け付く日差し ひるむ背中 立ちつくした
頬をつたう汗をぬぐい踏み出せば

「ひるむ背中」「立ち尽くす」→怖気付いて、
尻込みする様、呆然とその場に立ち尽くす

「灼け付く日差し」「頬を伝う汗」→砂漠など灼熱のイメージ、過酷な環境

「踏み出せば」→未踏の地へ進むイメージ

後ろの歌詞と合わせて読むと、彼女との別れ(主人公を見捨てた?)→彼女は列車に乗ってどこかへ→呆然と立ち尽くす主人公→列車を追うが到底追いつけない→何もない状態からの再出発→飛行機ということかな…。

胸の傷から夕陽が溢れて
軋む列車を追いかけて赤に浸す
青が散る 夜に沈む 星がこぼれた

「夕陽が溢れて→赤に浸す→青が散る→夜に沈む→星がこぼれた」
という、夕暮れから夜への経過を表すフレージング。言葉選び、比喩、テンポ感といいたまらなく良い。
特に「赤に浸す」なんて夕陽が地平線に沈み、絵具をこぼしたようにじんわりと赤く染まる様子が目に浮かぶようだ。

帰りのチケットを破る意気地も
愛に生きる勇気もない
不様な塗り絵のような人生が
花びらに染まっていたあの夏
今はただ春をやり過ごすだけさ
地の果てで

帰りのチケットを破る(=彼女と決別する)意気地も、
愛に生きる(=彼女と共に生きる)勇気もない。
彼はただ時が経つのに身を任せるだけ。

今でもあなたは探しているの?
醸し出されることのない美酒を

主人公は「あなた」(かつて愛した女性)に問いかける。「美酒」とは、【愛】そのもの。
つまり主人公はかつて愛した女性に
「まだ、実在するかどうかも分からない愛を追っているのか?」と問うている。

雨に負けぬ花になるというの?
やわらかな心を石に変えて

「雨に負けぬ花」とは彼女そのもの。
「やわらかな心を石に変えて」=愛に生きる硬い決意
冒頭にも出てきた陰鬱な雨にも堪えうる、強さ。

不様な塗り絵のような街でさえ
花びらに染まるというのに
今はただ春をやり過ごすだけ

ここにきて「ただやり過ごすだけの主人公」「愛に生きると決めた彼女」との対比が生きる。

浅い夢酔えないあなたのように
行き先も理由も持たない孤独を友として

主人公はリアル(現実)に生きる人間。
「浅い夢」(美酒)に酔う「あなた」(彼女)とは違い、
「美酒」には「酔えない」(愛には生きられない)。
主人公はひとりに飛行機に乗り、あてもない旅に出た。

99%主観であり論理破綻してると思いますが、歌詞の解釈は個人に委ねられる部分が大きいと思うのです、許してください!

それにしても、「あなたの孤独 その清々しさに 心うばわれ」た主人公が、最後には孤独に旅立つ虚しさと皮肉…。いかにも高樹。

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