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ついに、更新するのを忘れていました。

aこんばんは、しめじです。
多分469日目とかだったと思うんですが、ついに昨日、つぶやきすら書くのを忘れていました。
もっとも、ここ2,3ヶ月、400日超えたあたりから、本来の趣旨だった教育の話も大分減ってしまって、単なる一教員の日記でしかない(日によっては教員であることすら関係ない日記でしかない)ことを書く日が増えており、だったら自分の日記帳ではよいのでは、とうすうす思い始めていたので、一旦ストップする良い機会だったかもしれませんね。

というわけで、毎日何か書く、というやり方は終わりにしようと思います。
不定期でもいいので、もうちょっと教育、国語に関係ありそうなトピックを選んで書いていければいいな、と思います。

iPadの使用状況について。

以前、USBtypeCーHDMIのケーブルを買って、私物のiPadを教室のプロジェクタにつなぐ、という話をしたのですが、先週はすべてそれで授業を行いました。

漢文の授業が始まったので、教科書誌面やワーク誌面(…この場合の「シメン」は「誌面」と「紙面」どっちが正しいんだろう。あとで調べてみよう)を映して、それに直接apple pancilで書き込みを行って授業を進めています。

利点1 座れる。

プロジェクタの入力装置が黒板の横に設置されているので、iPadをそこから大きく動かすわけにはいかないですし、そもそも書き込みをリアルタイムで行うので、机の上の方が楽です。
というか、不安定な状態で書き込んでも、字が汚くなるだけで生徒が見づらい。

結果として、机(大体の教室に、ものを置いたり提出物を一時積んでおくための空き机みたいなものがあります)に置いて授業をすることになります。

なので、もう、その机を生徒の方に向けて、私も座ってしまうことが多いです。
もちろん、後ろの方まで目が行かなくはなるので、こまめには立ちますが、説明している間は結構座っています。

まず、座ることによって、生徒の視界から私が消えます。
結果として、生徒がちゃんとスクリーンの方を見ているように見受けられます。
やはり、前で動きながらしゃべると、目立つんですね。

そして、私が楽です。
ここ数ヶ月、貧血がひどかったので、その日の4回目の授業とかはずっとたちくらみみたいな感じになりながら行っていて、結構苦痛だったものの。
座れるようになったので、最後まで楽にやり通せます。

立ちっぱなしでしんどかろうが、座って楽だろうが、同じ話ができるなら、それで十分。
教師が立って話をしたほうが学習効果が高い、という研究結果があるなら考え直しますが、今の所、「適宜座る」というスタイルでも問題ないように思います。

そして一番の利点が、私が邪魔にならないこと。
やはり、どうしても前に立って板書をすると、どう頑張っても誰かの視線を遮ることになります。
ただ、学部生時代の癖で、生徒に向かって話すときは絶対に生徒の方を向いてから、を徹底してしまうので(高校は、結構黒板に向かって喋ってる人が多い)、書いて、教壇から降りて黒板を全部見えるようにしてから話す、を毎回繰り返していました。

すると、間延びするし、私の移動距離が増えるので、気を取られてしまうこの集中を削いでしまう。
それがずっと気になっていました。

プロジェクタの電子黒板機能も、結局は前に立ちはだかることになります。
一昔前は「チョークアンドトーク」などと揶揄された、黒板にチョークですが、電子黒板になっても、直接書き込むならモノが変わっただけ。
最初から、立たずに、動かずにすむこの方法には、結構な利点があるように思います。

利点2 生徒が見ているものと全く同じものを見せられる。

当たり前といえば当たり前なんですが、これが、「黒板」時代にはできなかったことでした。

例えば、以前も書いたように、PDF化されていないワークなども、PDFとしてスキャンして、ノートアプリにためていけるので、必要な問題部分だけ大写しで撮影し、切り取り、傾きを補正して、投影するとかなり見やすくなります。

教科書も、例えば見てほしいところがあれば、今までは「〇〇ページの何行目を見て」とか言ってやっていましたが、それが例えばChromebookをプロジェクタにつなぐとその紙面そのものは投影できるようになりました。

それが今度は、直接「ここだよー」とラインマーカーを引いて見せることも可能になります。

人によっては「甘やかしている」と見られるようですが。
やはり何十人と授業を受けていると、ページ数や行数といった数字の情報が聴覚から入ってきたときにうまく認識できない、というケースをはじめとして、スムーズにこちらが見てほしい情報を発見することができない生徒は普通にいます。

で、そこを苦労するのは、別に勉強でもなんでもありません。
もちろん、辞書を引く、自分で確かめる、自分で読む、自分で書く、そうした手続きをきちんと踏むことが長期的な記憶の定着に効果があるとかないとか言われていますが(私が事細かにいちいち辞書を引かせる目的は別にあるので、本当に記憶の定着に意味があるかどうかはここでは置いておきます)、イメージとしては、その前の段階。

そこのつまづきは、可能ならなくしていきたい。
超大げさに言えば、学習活動のバリアフリーを目指すというか。
でも、そういう概念って、いまいち重視されてきませんでしたよね。特に学校教育。ずいぶんと長い間、とにかくなんでも苦労しとけばいい、みたいな感じだったというか。

ちょっとでも、余計なストレスは減らしていきたいな、教師である私にとっても、受講者である生徒にとっても、とは思っています。

では、今夜はこのへんで。

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読んでくださってありがとうございます。
こんばんは。日本の右半分のどこかにある公立高校の国語教師です。教科、教育のことを中心に、雑多に書きたいことを書いています。 https://shim-eji.jp