自己愛と怒り


自己愛の概要( Ⅰ )自己愛からくる怒り( Ⅱ )の二段階構造でお話しします。

Ⅰ. 自己愛とは捉えどころの難しい概念だ
たとえば自己愛(自分の気持ち表に出したい気持ち)はあるものの抑圧している状態では、ただ苦痛を訴えかけている人間でもとても自己中心的な人間に見えてしまうのかもしれない。

たとえば貧乏で1日100円分しか食べられない人からしたら1日500円分食べられる人はとても贅沢に見えるだろうし、もし自分も同等に扱われるべきだと考えている人であれば自分が不憫だと考え、苦痛または自己愛を通した怒りを覚える。

ベースとして自分の幸福や苦痛を我慢していてかつそれを『普通』と捉えている状態があれば、それ以上の幸福を享受しようとする人間は過剰に思える。

その上に自分が苦痛を抱いていて、かつその相手を思いやる気持ちや尊重する気持ちよりも自己愛(尊厳)が上回る場合、その苦痛による攻撃感情が相手にもたらされる。


Ⅱ. 『自己愛を通した怒り-猛り』とは相手の気持ちを思いやることよりも自分のことを可愛く思う気持ちが大きいことから起こる怒り。

たとえば親から理不尽な苦痛を受け、その苦痛をもとに自分より力の弱い相手を虐めるタイプのいじめっこの構図に近い。
何故これが起こるかというと2つの要素が関連していて、まず親から理不尽な思いをさせられ『闘争欲求が強まったこと』、次に『親は尊重するがその虐める相手には尊重が弱い』ことがある。

もしくは親には物理的に逆らえない場合もあり得るかも知らない。
不等式をたてるとこうなる。
(親を尊重する気持ち) > (自己愛) > (虐める相手を尊重する気持ち)
上の条件下で本来親に向いてもいいはずの怒りが関係のない人に向く場合がある。


アンチフェミニストでやけに反発する人いるな、と思って着想を得ました。
社会に抑圧されている人が、痴漢被害に遭う人や赤ちゃんを連れている人を尊重する心が相対的に低いためにそちら側に攻撃感情が向いてしまう構図の説明でした。

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