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引き継がれる手

最悪な日の次の日は、きれいさっぱり最悪から脱せているわけではない。最悪から気持ち悪くぬるりと起き上がり始めるか、最悪が続いているか、最悪なケースは最悪がさらに最悪になっているかだ。

不幸中の幸いか、私は最悪をとどめるまでに済んだ。片道2時間半をかけて目指した美術館は閉まっていて、日の出を見ようとしたらバッテリーは上がっていて、出てきた太陽の逆行で岩を見逃してレンタカーの未来を破壊した。世界中のすべてに生きていることを否定された気持ちになって、ハンドルを握りながら何度も泣いた。千と千尋の神隠しの千尋くらい泣いた。でもそのくらいのことは、昨日までに起きた世界から私への拒絶反応と同じくらいだった。最悪は、続いていただけだった。

昨日の夜、母に思わず「生きてていいのかわからなくなった」と素直にLINEした。当然いいのだと帰ってくるが、反論をじくじく述べているうちに母は気前よくたった二泊三日の私の旅行の二日目の夜から合流しに来てくれることになった。なら薬なんてなおのこと郵送してもらわなくてよかったのに。

さっきその母と会った。何年振りの再会だなんてわけではないけれど、お互い慣れない土地での再会に、思わず手を取り合った。その手の取り方は、かつて母の母、私の祖母が久しぶり会ったときに迎え入れてくれた時の温かな手であり、見送ってくれる時に力強く応援を添えてくれる手だった。10年近くぶりに、それを思い出した。祖母はそうやっていつも手を取って送り迎えをしてくれる人だったけれど、母にもそれがきちんと伝わっていた。それだけで泣きそうになるくらい温かくて力強くて、存在を認めてくれる手があるのだ。私はその手を忘れてないようにしたいし、いつか誰かにその手を差し伸べられるようになりたい。

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