黙殺されてきた怒り

私がこういうことをいうと、必ず誰かに「いやそれはおかしい」といわれるのだけど。

正当なやり方ではなかったとしても、激しく怒ることや、感情を爆発させることでしか、伝えられない状況がある。

たとえば街中を行進するデモ。絵画を汚したり、建物を占拠したりする迷惑な行為。ひとの楽しみを奪い、突然批判的な言動を浴びせかけてくる類の行動。

それらが抱えているのは、だれにも知られることなく、ないものとして扱われてきた怒りなのだろう。

ヒステリーに見えるかもしれない。

正当な意見の表出とは見られないかもしれない。

大上段から刃物を振り下ろされているように感じるかもしれない。

でもそれしか手段が残されていなかったのだ。ないものとして扱われてきたものがたしかにここにあるのだと、ひとびとに気づいてもらうには、見てもらうように行動しなければならない。

黙殺されてきた怒りについての責任を考えるとき、私には話を聞くことしかできない。相手の抱えるものが、たしかにそこにあると、わかりつづけなければいけない。


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