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バスキア

久しぶりに「生きている」絵画を見た。バスキアである。美術館で絵画の鼓動を確かにきいた。

ユニクロに行くと、ジャンミッシェル・バスキアのアートワークを施したTシャツが売られていた。今から五年前のことである。胸の部分ににドクロのようなドローイングをプリントしたものと、いつもの王冠マークをワンポイントでプリントしたものなどがあり、私は喜んで二着購入した。他にキースへリングやリキテンシュタインなどがあった。ユニクロは例年、アート作品を絵柄としたUTグラフィックTシャツを販売している。衣服としてのデザインの見栄えを意識したものである。ユニクロは、他にも映画や漫画のキャラクターやゲームソフトのポケモンなどとも提携してキャラクターをプリントした商品展開を行なっている。バスキアの骸骨のモチーフもTシャツにされると到底地下鉄の壁にグラフティを書きなぐっていた麻薬中毒の人物から出てきたものに見えない。爽やかでポップな重くないTシャツの「模様」だ。この模様からバスキアの絵画を理解することは難しい。これは大衆化の矛盾する部分ではないだろうか。芸術作品を普及させることは、その真価を伝えることにはなり得ない部分である。
ウォーホルが利用したシルクスクリーンのモチーフは、コカコーラのびん、キャンベルスープの缶、マリリンモンロー、プレスリー、毛沢東、ディズニーのキャラクター、ドルマークなどさまざまである。これらは全て当時のアメリカ大量消費社会を象徴するポピュラーなもの、いわゆる大衆性であろう。そしてシニカルにこれが現代だとシルクスクリーンにして表現している。美術作品なのである。ウォーホルが活躍していた頃、まさにドルマークの💲がシルクスクリーンで印刷された作品を、金融相場で一山当てた人物が高値で購入している姿をテレビの報道番組で見た。1963年ウォーホルは、ファクトリーを開き、シルクスクリーンの職人を雇い作品を出品販売していたのだから、なんだか日本の江戸時代の浮世絵の元絵の作者の葛飾北斎と版元のようなことをやっていたのではなかろうか。ウォーホルが真似をしたのかもしれない。ポップアート呼ばれる作家たちの絵画作品の内容を見ていくと、その表現しているものはやはり時代を象徴している。例えばラウシェンバーグやジャスパージョーンズの作品のマチエールに注目がいく。さまざまなオブジェを絵画に混ぜ込んで描かれているが、そこには絵画作品としてしっかりと油彩でペイントされている。ジャスパージョーンズは、静物画でりんごや瓶を描くように、平面的な記号である国旗をやや、筆跡を感じさせるように油彩画の絵の具の重なりを見せて描いてある。ラウシェンバーグのヤギにはペイントされてタイヤが巻かれてはいるがそれはキャンバスの絵画の上にある。
アート作品は最初から必ずしもより多くの大衆の目にとまり、多くの支持を得たものが必ずしも優れた作品とは言い難い。それは、ポップアートの作家たちよりもずっと遡ってもやはり同じことが言える。セザンヌを支持したのはピカソであり、アビニヨンの娘たちでピカソは正常ではなくなったと噂された。印象、日の出という作品は評論家にまで印象主義と揶揄された。それが大衆であり、一般社会であろう。地下鉄の駅でグラフティの書きなぐりをしているバスキアの姿を見て、果たしてそんな彼を一般大衆は、素晴らしい芸術家と呼ぶであろうか。汚い壁の書きなぐりの絵の中に才能を見つけ出せるだろうか。やはりそんな彼らの中に才能を見出すのはその研究者や、深く美術に携わってきた人々だ。彼を見出した画商の選択眼はのちのバスキアの活躍を考えると鋭かったといえよう。一般大衆が芸術作品を見る手がかりとするものが、評論家の文章や展覧会の企画内容だ。価値のはっきりしないもの、他と比べることが難しいものにはっきりとした価値観を見出したいから、大衆は芸術に関して、より広く深く学習してその価値を理解している人に裏付けを求めるのだ。作品が世に出て評価されるためには、もちろん多くの人の目にとまることも必要ではあるが、広く普及し気に入られるには先ずはそのように作品の良いもの、質の高いものとして紹介されることがきっかけとなるだろう。まずは作品が普及することで多くの人々の目に触れることにより、多くの選択眼にさらされ作品の評価も磨かれるだろう。もちろん作品や作者のネームバリューなど知らなくても、良いものは良いと判断できる選択眼は必要であろう。
アートを一般化するには美術館の関係者はもとよりそこに携わるキュレーターや展示の企画をする人々が、大衆への働きかけ方の方法を知らなければ難しい。よく雑誌で展覧会やその作家に関する特集が組まれる。作品や作家、展覧会をより魅力的に伝えるためのキャッチコピーや見どころの紹介、目玉作品などを、あらゆるメディアを駆使して伝えている。美術館のショップには作品にちなんだグッズや、イミテーションや、フュギアなどがたくさん売られている。しかし、そのような表面的な物珍しさだけでは作品の真価はなかなか伝わらない。その作家の魅力の本当の深い部分は、評論家や研究者が論文や書籍に表しているところが真実に近い。芸術作品がより正しく世間に広まり伝わるように、芸術の真価は、今後もより深く研究されていく必要がある。

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