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これまでと、これからと。

朝日インタラクティブでメディア事業を担当しております小関路彦です。
取締役として着任してまもなく3年がたち、4月からは代表取締役社長を拝命します。
noteでは肩肘張らず、会社のこと、趣味のこと、個人的に考えていること、などを綴っていこうと思います。

初回は、自己紹介をかねて、これまで何をしてきたのか?を振り返ってみます。じつは先日、オンライン飲み会で某執行役員から「小関さんて何やってきたんですか?」とド直球な質問を受けました。あれやってこれやって~と説明したものの、話が散らかって全然まとまりませんでした…。

そんなこともあって、改めて振り返ります。

出版時代

2000年に朝日新聞社に入社し、最初の5年間を出版局出版販売部で、次の1年を書籍編集部の編集者として過ごしました。

出版局では書店営業を担当していた期間が長く、毎日のように書店まわりをしていました。新刊を案内し、既刊の注文をもらい、会社に戻ったら電話メモとともに注文を処理する、という仕事が基本のパターンです。
楽しみだったのは地方出張で、アポイントの電話をすると「なに食べたい?」と酒席の話から入ることもしばしば。地元の方に連れて行ってもらうお店は間違いなくおいしい。おまけに担当地域が北海道から東海までと広かったので、全国津々浦々の美食に触れることができました。弱かったお酒も、少し鍛えられました。

2006年には、テレビ朝日に出向しました。出向にあたっては「朝日新聞×テレビ朝日で出版のコラボ商品を作る」という明確なミッションがありました。結果的に、テレビ朝日のみなさんの強力なバックアップのもと、「相棒」ノベライズ版と、「世界の車窓からDVDブック」(パートワーク)の2つの企画を立ち上げることができました。
テレビの影響力は絶大です。「相棒」のノベライズ版は今でもドラマの新シリーズとともに新刊が出ています。最新巻では累計265万部を突破しました。刊行当時は、まさか15年後にも新刊が出続けているとは想像しませんでした。

2007年に出向から戻って出版局のデジタル・ライツ部に所属。ここで初めてデジタルの世界に触れます。完全に「紙の世界の人」だった私は、用語検索サイト「コトバンク」(開始時は「みんなの知恵蔵」)の検討会議で飛び交う言葉が全然わかりません。API? UGC? 会議中にメモをとり、終了したら必ずウェブで意味を調べていました。ただ、調べてもさらにわからない言葉で説明されていることが多々ありまして。慣れるまでかなりの時間を要しました。

新規事業と協業の日々

2009年に、KDDI、テレビ朝日との協業でフィーチャーフォン向けのニュースサービス「EZニュースEX」を立ち上げるメンバーに入り、出版を離れて新聞社デジタル部門の道が始まります。このときに、新聞記事がどのように入稿されて、どんな作業を経て世の中に出ていくのかを学びました。同時に、ニュース配信の編集デスクも担当しました。締め切り時間前の切羽詰まった作業では、いやな汗をいっぱいかきました。

「EZニュースEX」を開始した後、次なる新規プロジェクトとして「電子書籍事業」が立ち上がりました。「これからは電子書籍の時代」と言われ、毎年のように「今年は電子書籍元年」と言われていたころです。
朝日新聞では書評サイトの「ブック・アサヒ・コム」(いまは「好書好日」)を立ち上げ、一方でソニー、KDDI、凸版印刷と合弁で、電子書籍配信会社の「ブックリスタ」を設立しました。4社協業は刺激に満ちていました。協業は参画社数が多くなるほど、各社の社内合意を得るハードルが高くなります。しかし、アイデアやノウハウの多様性もぐっと幅が広がります。カルチャーの違いもあって議論が噛み合うまでに時間がかかることもありますが、それでも当時の議論には熱気がありました。電子書籍黎明期をブックリスタで過ごせたことは、間違いなく今の仕事の糧になっています。

振り返ると、2006年以降は他社との協業、新規事業を中心にやっていました。社内にとどまらず、新しい事業にチャレンジし続けられたことは幸運というほかありません。だからといって、思い出を美化するつもりはありません。うまくいなかったこと、苦い思い出も多数あります。いや、うまくいかなかったことのほうが圧倒的に多いですね。

朝日新聞デジタルの営業に

さて、新規事業の時代はいったん区切りを迎え、2013年からは新聞社デジタル部門の営業部隊に配属になり、旗艦媒体である「朝日新聞デジタル」の営業を担当します。法人営業チームに属しましたが、ダイレクトに商品を売るというより、企業とのアライアンスで読者を増やしていく(BtoBtoC)施策をメインに担当しました。
また、同時に担当したのがニュースの外部配信です。放送局、デジタルサイネージ、ニュースポータルなど、朝日新聞のニュースを自社以外の場所に提供する仕事です。
担当していた時期は、スマートフォンの普及とともにニュースアプリの競争が激しくなっていました。すでに地位を築いていたヤフーに加え、スマートニュース、グノシー、LINEなど、次々に配信先が増えていきました。配信先によって記事の読まれ方が異なるため、日々データを見て、社内にフィードバックしていました。

朝日インタラクティブへ

そして朝日インタラクティブにやってきたのが2018年6月です。じつは、かねてから上長に「朝日インタラクティブに行きたい」と伝えていました。ウェブメディアに身を置きたかったのです。出版、テレビ、新聞を経験しました。しかし、どれも伝統的なメディアで、これからウェブ展開に力を入れようという媒体です。もともとウェブで始まった媒体はどういう戦略を描いているのか、伝統的なメディアはどう見えているのか、興味がありました。

希望がかなってやってきた朝日インタラクティブは、想像以上にパワフルな会社でした。打ち合わせに出るたびに、メンバーには尊敬の念が深まるばかり。同時に、自分がこの組織にどんな貢献ができるのか、足を引っ張ってしまうのではないか、という葛藤との戦いも始まりました。
3年たった今でも、迷いがないわけではありません。ただ、私は朝日インタラクティブのメンバーを尊敬し、朝日インタラクティブのメンバーと働けることに喜びを感じている、このことに変わりはありません。

会社を成長させるためには、自分がしっかりマネジメントをしなければいけない。背伸びせず、虚勢を張らず、できることをしっかりやっていく。常に自分に言い聞かせてきました。

これから

社会人になってから思いもよらないことの連続で、4月には代表取締役社長に就任いたします。

「務まるのか?」と自問しました。「みんなはどう思うだろう?」とも考えました。高野社長とオンラインでじっくり話しました。

頭を整理して出てきた答えは

「好きな会社で、尊敬するメンバーと仕事ができるのに、ひよってる場合か!」

いや、当時はこんなテンションではなかったと思いますが(笑)、要約すればこういうことです。

朝日インタラクティブは、変化を楽しみ、チャレンジしていく会社です。

私自身もまた、それを実践していきたいと考えています。

未来は予想不可能で不確実なものですが、一歩ずつ足元を確かめながら、歩んでいきたいと思います。

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朝日インタラクティブの代表取締役社長。