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父をたずねて数千里

映画「セントラル・ステーション」

ロードムービーは切ないです。旅はいつか終わることをみんな知っているから。この作品では、見知らぬ関係の中年女と9歳の少年が一緒に旅をしますが、旅が終わると二人はそれぞれの居場所に戻り、少年の記憶から中年女はだんだん薄れ、いずれ消え去るのです。

お父さんの家をたずねる旅

1998年の作品で、リオのセントラル・ド・ブラジル駅のシーンから始まります。ラッシュアワーの様子は日本に負けず劣らず殺人的。扉が開く前に窓から入って席を争奪します。この駅の片隅で中年女が手紙の代筆をしていて、次から次へと代筆を頼む人がやってきます。ほとんどがラブレターです。女はドーラといって、やつれっぷりからして50代以上に見えます。リオ郊外のアパートに一人で住んでいて、あずかった手紙を投函せずに破いて捨てるような人です。ある日、別れた夫に宛てて復縁の手紙を依頼した親子がいたのですが、母親が直後に駅前の事故で死んでしまい、残された少年ジョズエとドーラが手紙の宛先を頼りに父親を訪ねていく旅が始まります。

将来の夢はトラック運転手

まず向かうのは、手紙の宛先にあるボス・ジーズス・デ・ノルテ(Bom Jesus do Norte)という町。調べてみたところ、リオより数千キロ東北に位置するようでした。ブラジルの国土は広く、日本のおよそ23倍。彼らはそのルートをバスで旅しますが、途中でお金をなくして遠距離トラックに乗せてもらうロードムービーらしい展開もあります。手紙の住所に父親はおらず、人づての情報を得て向かったのは、ヴィラ・ド・ジョアンとうところ。ここは調べても検索にかからず。劇中では、バスが着いてもバスステーションはなく、切符売り場兼キオスクみたいな小屋にいる店員が「ここは地の果て」と言っていました。

ブラジルの交通手段は常に混雑

バス停や食堂、バスからの風景や、村のお祭りを見ていて、もし自分がそこにいたら、どうなるだろうと思ってしまいました。一人だけアジア人。言葉も分からない。宗教の教えも分からない。あるのは孤独だけ。まさしく、旅人です。
ドーラは行く先々でも手紙の代筆をし、最後にたどり着いたジョズエの異母兄弟の家でも出紙を読んでほしいと頼まれます。1998年の時点で、ブラジルの識字率はそんなに低かったのでしょうか。ヴィラ・ド・ジョアンでは子どもは裸足で遊んでいるし、時代がもう少し前の設定なのかとも思いましたが、住まいに冷蔵庫やテレビ、プッシュホン電話があり、リオには高層ビルが建ち並んでいるので、やはり90年代かと。仮に識字率が90パーセント、人口2億人の場合、非識字者数は2000万人ということになります。
ジェズエと旅をして、ドーラはかわります。旅の前、仕事で書いた手紙を破り捨てていた彼女は、旅の終わりに、ジェズエの母から託されたジェズエの父親宛の手紙を大切にして、届けました。そして、女らしいワンピースに着替えて、口紅を差し、出発するラストシーンは、同じ中年女子としてジンときます。
どうして赤の他人のドーラがジェズエを父親のもとに連れていこうとしたのかは、彼女の生い立ちが大きいようです。「16歳で家を出て、数年後、父親と街で出くわしたとき、父親から娘と認識されなかった。父親と会ったのは、それが最後だった」と身の上をジェズエに明かすシーンがあります。

監督はヴァルテル・サレス。本作のあと「ビハインド・ザ・サン」「モーターサイクルダイアリーズ」などを撮り、プロデューサーとして「シティ・オブ・ゴッド」を手がけています。「ビハインド・ザ・サン」にジェズエ役のヴィニシウス・デ・オリヴェイラが出ていますが、その後の出演作は分かりません。いまは30代になっています。ドーラ役のフェルナンダ・モンテネグロは現役で、2019年のブラジル映画「見えざる人生」に出演しています。

セントラル・ステーション  Central do Brasil
1998年/111分/ブラジル
ヴァルテル・サレス監督


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