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家族は、スタートした時点で完璧を求められすぎていると思う。 #家族

椅子がずどーん!!と投げられ

フォークがぐわしゃー!!と、目の前の絨毯に刺さる。

擬態語で表すとそんな感じの光景を前に、
小学生の私は怯え

台所から包丁を持ち出して、

「喧嘩はやめて!!」と両親を脅していました。

今でもはっきり覚えているその光景は、
何度となく繰り返された、父と母の喧嘩でした。

ふりかえってみると、2人が仲良くしている光景なんて1回も見たことがなくて、
私が小さい頃は、
「本気で離婚することに決めたから、覚悟しろ」と
1ヶ月に1回は言われていた気がします。

29歳になった今は、同じことを言われても
「あーはいはい」って流せますが、

当時は、家族という枠組みがなくなってしまうかもしれないということが怖くて、
パパもママどっちかなんて選べないし、どうしたらいいんだろうと毎回泣いていました。

親どうしだけでなく、私と両親との関係も、
決していいものではありませんでした。

父は単身赴任が多くて、あんまり一緒に過ごす時間がありませんでした。
だから、やっとシドニーで親子3人揃って暮らせた時は
ふだん近くにいない父が毎日同じ家に居る、ということに違和感があって、

父に麻薬を打たれる夢とか(なぜ)
水責めで殺される夢とか(怖すぎ)

悪夢ばっかり見ていました。

ちゃんと喋ったこともなかったし、今から思うとコミュニケーション不足でした。

でも、母に怒られてないてる時にこっそり慰めてくれたりとか、
シドニーの家の庭で、大きな葉っぱを取ってきてくれて、雨傘の代わりにしてくれたりとか
心に残っている思い出はいくつかあります。

小学生のとき、母の上に馬乗りになって、
泣き叫びながら殴り合いの乱闘になったことがあります。

母はいわゆる教育ママで、小学校受験に始まり
バレエ・ピアノ・新体操など、私は早期教育をみっちりと受けていました。

幼稚園に入るまで友達と遊んだことがなかったし、
小学校に入ってからも2年生から進学塾に通い、習いごともやっていたので
遊ぶよりは勉強の時間の方が長かったです。

母は、私が東大に行くことを信じて疑わない人でした。
だから、それにあった幼稚園、小学校、中学校・・と
エリート街道を進ませるために、必死だったんだと思います。

だから、塾の成績や習い事の出来が悪いと、こっぴどく怒られました。

印象的なのは、
ピアノのレッスン中にうまく弾けず、ピアノのふたを両手の上に落とされたのと(少女漫画か)

社会科の勉強中に私がちゃんと暗記できなくて、爪で腕をつねりあげられて壁に投げ飛ばされたことです(今でも爪痕が残ってます)

遊ぶ=悪、サボり 
だったのですが、本を読むことだけは許されていたので、
読書家になりました。

あと、1人っ子だったので、家ではぬいぐるみを相手に1人2役で話して遊んでいました。

そんな生活で、最初は怖いだけだった母が、だんだん憎くなっていきました。

もっと遊びたいし、怒られるのはイヤだし、勉強もしたくない。

その思いが募って、成績のことで叩かれた時、初めて母に抵抗をし
取っ組み合いの喧嘩になったんです。

今でも、馬乗りになって見下ろす母の顔を覚えています。
いつの間にか私の方が力が強くなっていて、押さえつけながら
私の好きに生きさせて!!と何度も叫びました。
母は母で、突然の娘の抵抗にブチ切れ、暴れまくっていました。

あとから思うと、母は母なりに一生懸命だったので
娘に組ふされ、抵抗されたことはとてもショックだったと思います。

そんなサイアクな親子関係でしたが、
ある時を境に少しずつ変わっていきます。

それは、

私が高校で不登校になり、うつ病になったこと。

親子でカウンセリングに行かされると、決まって
「親が悪い」
「今まで抑圧してきた育て方が悪い」

と、母が責められるのです。

私は自分のうつ病自体がまだよくわかっていなかった状態ですが、
ずっと親におさえつけられていた感覚はあったので
内心なるほどと思う部分もありました。

でも、その時は全部自分が悪い、自分なんて死ぬべきだと思っていたから
(これはうつ病の症状です)
そうやってただ親が悪いと言われるのにも、違和感がありました。

私が不登校になったことに一番怒ったのは父だったし、
カウンセリングで一番ショックを受けていたのは、母でした。

うつ病であらゆる気力がなかったので、
父に怒鳴られても学校には行けなかったし
母が落ち込んだりヒステリーを起こしていても、言葉をかけてあげられませんでした。

その結果、母は卵巣癌になりました。

しかも、ステージ3か4で、
お医者さんからは「覚悟してください」と言われました。

病気になってから、母は変わりました。

正確には、病気になった時に母を支えてくれたバンドのおかげで
変わったのかもしれません。

病気になるちょっと前から、母はロック系ビジュアルバンドの追っかけをしていました。
今までクラシック一筋で、ロックなんてうるさいだけと言っていたのに
ライブには毎回行くし、ボーカルが出る舞台には全ステージ行くくらいだったから
それだけで以前のお堅い母とは大違い。

ちょっとずつ、私への風当たりも和らいでいきました。

私が不登校になったばかりの時は、
学校に行きなさいと毎日怒っていたけれど

だんだんと
「行きたくないなら今は行かなくてもいいよ」
と、言ってくれるようになりました。

そして、ちゃんと起きてくるかわからない私のために、
毎朝美味しい朝ごはんを作ってくれました。

炊きたてのごはん、甘い卵焼き、お味噌汁の匂い・・

ベッドの中でうじうじと寝込んでいる私の所にも、その温かい香りは毎日届いていました。

病気で入院してからは、母の中でより価値観が変わったみたいで
「やりたいことをやりなさい」と、言うようになりました。

結局、手術をしてみると母の癌はそこまで進行していなくって、
今では10年経ち、もう完治しています。

入院中、そのバンドのボーカルのお父さんがお見舞いに来てくれたりとか
ボーカルの人からメッセージをもらったりして、気を強く持てていたみたいで
「何かを好きという気持ちがあれば、生きられる」と言っていたのも印象的でした。

完璧な娘に育つはずだった私のドロップアウト、
今まで毛嫌いしていたロックバンドのファンになったこと、
そして癌。

この3つが、母を変えたんです。

正直、うちの母はめちゃめちゃ太っていて
大変申し訳ないけど
友達に見られたら恥ずかしいから、保護者会とか呼びたくありませんでした。

それなのに、バンドを好きになったことで
母は本気のダイエットを始めて
雑誌モデルにスカウトされたり、女優さんですか?と本気で言われるぐらいの美貌に大変身しました。

・・・20代のうらわかき女性の話じゃないですよ。
50歳近い人でも、変わろうと思った時に変われるんだ!と、こっそり元気をもらいました。

私が高校に一時的に復帰する時は、
周りからどう見られてるのかとても怖くて
きもいとか、ブスとか言われるんじゃないかと不安でした。

そんな時も、一緒にダンベル運動をして
「これで綺麗になったから大丈夫!」って言ってくれて、
いつの間にか、母は私の良き理解者であり、応援してくれる人に成っていました。

というか、昔からそれは変わっていなくって、
ずっと愛情をかけてくれたんだと思うけど
表現方法が変わったんですね。

父と母の関係性

母と私の個別の関係性は良くなったけど、相変わらず夫婦仲は最悪でした。

拍車をかけたのは、私が実家を出たこと。

1年半くらい違う場所で住んでいたのですが、
去年戻ってきて、驚きました。

まず、会話がない。

今までは怒鳴りあいとか、罵り合いとかあって賑やかだったのに
シーンとして、会話さえありませんでした。
それまでいかに私をはさんで会話をしていたのか、と気づかされました。

そして、

食事を一緒に食べない。

母はここ5年くらい韓流ドラマにはまっていて、食事時は必ず見るわけですが、
父はそんなもの見たくなくて、バラエティが見たい。
母てきには、バラエティ=くだらない

・・ので、チャンネル争いが勃発。

やはり勝負は母が勝ったらしく、

なんと母は食卓で
父はパソコンの前でご飯を食べていました。

2人の中では当たり前の日常になっていたみたいですが、
初めて見た時は驚愕しました。

これ、
ひきこもりの息子が部屋でゲームしながらご飯食べてるのと同じじゃん!!
と。

2人がたまに話す会話は、全部実用てきなことなんだけど
なんでもないことで、まぁ喧嘩する。

罵り合いの天才だな、と思うくらいです。

例えば、
「確定申告の書類どこやった?」
「卵がないんだけど」
とか、そんな話題でさえ、喧嘩になるのです。

私は超省エネで、喧嘩とかしたくないので、そのパワーをある意味尊敬します。

その時、私には婚約者がいたのですが、彼の家はとても仲よし夫婦だったのです。
だから、私がどんなに父母の仲が悪いことを説明しても、
「話せば解決するから大丈夫!」と言ってくれていました。

その気持ちはすっごく嬉しかったんだけど、小さい頃から
父母がバトルする環境で育った私には、
そんな言葉はきれい事にしか思えませんでした。

仲が良い家庭に育ったから、わからないんだなあと思っていて、
大丈夫!と言われるたびになんだか寂しい気持ちになっていました。

この2人が、仲良くなる可能性なんて1ミリもないし、
むしろ罵り合ってくれる方がまだ会話があっていいもん。
くらいに思っていました。

・・と、それが
まさかのまさかで
最近、家族関係がなぜか変わってきたかもしれません。

きっかけは、借金でした。


ここに来てまさかの借金かーい!!

と、私もびっくりしましたが

うちには、謎の借金があったようです。
しかも、何百万とかでは済まない、割と高額の。

父はつい最近までこの事実を隠していて、
なんでそうなったかまでは話してもらえてないのですが

借金という超マイナスポイントを通して、

なぜか、父と母の仲が急速に改善されているのです。

2人の心境はちょっとまだ正確には分からないですが、

借金があると知った母が、
これはやばい。
家族同士で協力せねば・・!と、奮起したみたいですね。

で、父に優しいことばをかけるように。

例えば、
「明太子いる?」とか
「このラーメン、あっちのスーパーで買ったら安かったのよ!!次はあっちに行ってね」とか

・・え、それ優しいことばなの?って思ったかもしれませんが、
それまでは明太子なんて貴重なものは父に与えられなかったし(もちろんこっそり食べてますが)

高いラーメン買ってきたら
「なんでちゃんと調べとかないのよ!!これだからあんたは(以下略)」と
大バトルなので

それに比べたら、とんでもなく優しいことばだということはお分かりいただけたかと思います。

母が優しくなると、父も変わるんですね。

「あーうん、明太子ちょうだい(ちょっと甘えてる)」とか
「あっちのお店は安いけど、遠いから不便なんだよなあー(やっぱり甘えてる)」とか。

今までは罵倒だらけで会話にさえなってなかったのに、
すごい!
ほんのちょこっとだけど、お互いへのいたわりまで感じるじゃないですか。

辛く当たる相手には自分もキツくなっちゃうし、
優しく接してくれる人には、自分も優しくなる。

他人は自分の鏡って、まさにこのことかと思ってます。

これが、ここ2週間くらいの出来事なので
この先どうなるかわかりませんが

もう2人は修復不可能でしょ。と諦めていた私も、
出来る限り2人の仲を温かいものにしたいと再び思うようになったし、
もしかして、今がこれまでで一番家族っぽいかもしれません。

借金があるって言うのも、そんなに深刻に捉えてなくて、
まあ頑張ればすぐ返せる感じがします。

それに、今までは
父と母は仲が悪いけど、それは2人の責任で
自分は被害者

みたいにどこか思っちゃってて、家族を他人事のように捉えていたのかもしれないです。

離婚するっていう選択肢も何度もあっただろうに、
今も家族でいる道を選んでいるんだから、
諦めたらもったいない。

うちなりの家族の形が見つけられるチャンスかもしれないです。

私の理想の家族は、

お父さんとお母さんが仲良しで、
兄弟もいて、
賑やかで。

休日は家族でどこかに遊びに行って、
悩みごとができたら兄弟に話して。

たまにはお父さんと飲みに行って仕事の話を聞いてもらったり、
お母さんと恋愛の話できゃっきゃと盛り上がる。

そんな家族でした。

でも、これも無い物ねだりなのかもしれないです。

どんな形であれ、今の私に家族はこの2人しかいません。

血のつながりにとことんこだわるつもりはないけど、
せっかく、家族という形を続けられてるんだから
まだまだ、諦めるのは早いですね。

最近思うのは、
結婚って、愛し合っているとは言っても他人同士がいっしょになることで、
価値観とか育った環境が違う2人が、
子育てとか、家計のやりくりとか
大変なことを乗り越えていかなきゃいけないハードライフなのに

家族という枠組みが、スタートした時点で完璧を求められすぎてしまっているんじゃないかということです。

人間、誰だって成長していく。
最初から完璧なことはない、と何度も教えられるのに

家族だけは、最初から
休日にマイカーでお出かけをする、ニコニコな家族だけが
家族なのだ、と
そういう刷り込みが強すぎるのかも。

今の自分の家族もそうだけど、
将来結婚して、家庭をつくるときは

家族だって、始まりは0歳児。
どんどん成長するし、途中でつまずきもする。
最初から完璧な理想像を求めるんじゃなくて、
自分たちなりの家族を追求していけばいい。

そう思って、1から築き上げていきたいな。

と、思っています。

うつ病も、ドロップアウトも、借金も
マイナスなことだけが起きるとは限らないですもんね。

今が完璧な家族!!とは言えないですけど、
よくしていける可能性はあると思うし、
諦めないでみようと思っています。

今後の家族ライフに、期待!!

※私の不登校、うつ病からの完治の経緯は、有料マガジンにて連載しています☆

















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とても嬉しいです!!頑張って書きます。
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ホテルのマーケティングを中心に、個人でお仕事をしています。うつ病やストレスが原因の体調不良の経験から、休み方が分からない方へお休みの方法をご紹介するメディア「休もう。」を運営しています。https://yasumou.com/ その他:30歳からチェロを弾いています。