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閉ざされた夜


満たされた夜に小説を書くのが好きだった。
日頃の憂を全て忘れて、唯一の趣味に没頭できる寝るまでの数時間の事を、私は「満たされた夜」と呼んでいた。
昼の間は、何か小説の題材になりそうなものがあればすぐ紙に書き記した。
夜になると、そうして溜まった紙の山から面白そうなものを取り出しては文章を書いた。満たされた夜にしか書けない話が、沢山あった。


私は今迄病院に行く事を頑なに拒んでいたのだが、それは、病というものが私にとって呪いとなるからである。
幼い頃、外で元気に走り回った後家に帰ると、「様子が変だ」と言われたので熱を測ると、三十八度の熱が出ていた。それを見た途端に先ほどまでの元気は消え、体の力が抜けて倒れてしまったという事がある。
また、これも幼い頃、近所の子供から「不細工」だと揶揄われたことがあった。そんな事を面と向かって言われたのは後にも先にもこの一回限りだが、その言葉は私の中で呪いのようにずっと離れず、何かある度に「私のような不細工は遠慮をしなくては」と思うようにさせたのだ。
ずっと私は不細工なのだとばかり思っていたのだが、大人になってからは寧ろ整っている方だと言われる事が多くなった。
皆は私が自分の外見についてこのように思っている事を不思議がるが、私にとっては最初に貼られた“札”が全てであり、一度貼り付けられた呪いの札を剥がすのは難しいのだ。

私は小さい頃から何かにつけて「変わり者」だと言われていた。そう言われる度に私は小さくなった。人の目が怖くて、自分では動く事が出来ない人間になったのだ。

それから、突然に不安な気持ちに襲われる事という事が度々あった。その不安の虫は一度起きるとしばらく治らなかった。世の中の全てが不安になり、何も手につかなくなる。
これはきっと何かの病気に違いないから、いつかは医者に診て貰わなくてはいけないと思っていたが、やはり札を貼られてしまうのが怖かった。
そのせいで周りから色眼鏡で見られる事が怖かった。それから、自分自身にかけてしまう呪いも。
きっと病名を告げられたら、それは私の一生の呪いになるだろう。
私はその病人として、病人らしく一生を送るのだろう。


私は何もない日には町へ出かける。
小説の題材になるものがないか、探しに行くのだ。
そこで私は人々を観察する。
何故みんなあんなにも楽しそうなのだろう。
まるで何の不安もないかのように見える。
こんなにも毎日が苦しいのは自分だけなのだろうか。全てに対し不安をかかえ思い悩んでいる自分が悔しくて仕方がなかった。
私も、この病気さえなくなればあのように楽しそうに生きられるのだろうか。
暫くして、私はようやく病院に行く事を決心した。

そして先月、私は精神科医から精神病の診断を受け、その治療の為にといくつかの薬を処方された。
薬の副作用によって気絶にも似た強い眠気が訪れると、私の夜は失われる。




ー精神科にて
「不安はなくなったでしょう?」
医者が問う。
朝起きて、仕事を終えたら薬によって強制的に眠る。
毎日がこの繰り返しだから確かに不安はなくなったと言えるだろう。
それは、何かに迷う時間すら奪われているからだ。
ここのところ、物事を深く考えられなくなってきている。
私は昔から何かにつけて長考してしまうという癖があった。それは、どんな些細な事柄に関しても、だ。
これは、長年悩んでいた私の短所でもあり、そして長所でもあった。
判断力が鈍く、これから何を食べようかと店先でじっくりと考えこんでしまうようなところはどうにか直したかったのだが、物事を細かな部分まで見る事ができるという利点もあったのだ。
そのお陰で文章が書けていたのだがら、薬によってそれができなくなることを思うとゾッとする。
薬によってまともな人間になろうとしているのだが、その薬が何も出来ない自分の唯一の取り柄を消すことになるとはなんたる皮肉だろうか。
そんな事を考えているうちに私は黙りこくってしまっていたようで、医師が心配そうな顔でこちらを見ている。
こういう事はよくある。思考の海を深く潜りすぎると人の声が聞こえなくなり、私も言葉を発するのを忘れる。
今は何を問われていたのだったか。

そうだ、不安があるかどうか、だ。
「ええ、不安はなくなりました。でもそれは、」
私は、先ほど頭の中で考えていた事を出来るだけ簡潔に説明した。
長々と話していると終着点を見失うのだ。



薬を飲み始めてから、夜が駄目なら、と朝起きてから文章を書こうとしたが、上手く出来なかった。
朝はまだ何も起こっていないからだ。
1日を無事に終えて、尚且つ心が満たされていなければならない。
心許せる友人と語り合ったその日の夜などが一番満たされていると感じる。
満たされた気持ちを誰にも邪魔されないように、列車に乗って大切に持ち帰る。寄り道などはせず一直線に家へと向かう。
そして家に帰り一人になった時に、初めてそれを広げる。家全体に満たされた空気が漂い始め、私の頭の中で物語が進み始める。
そして、思う通り書き上げた後に、ぐっすりと眠るのだ。
あれほど幸せな事はなかった。
もうそれが叶わないのだと思うと、悲しくて悲しくて、生きてはゆけなくなる。


私は何故だかいつだって漠然とした不安があり、それは幸せな時ですら頭から離れなかった。
寧ろ、幸せであればある程、後の不幸を考えると恐ろしくなるのだ。




「先週に比べてかなり顔色が良くなっているよ。良かった。また来週もいらっしゃい」
いいや、夜を失った私が良くなるものか。

その頃から、私は薬を飲まなくなっていった。
色々な事を考えているうちにうっかり食事をするのを忘れ、食後の薬も飲まない。
というのを何度か続けていくうちに、陰鬱な気持ちになる事が多くなり、頭の中が不安に支配されて、そのうち薬のことなど頭からすっぽり消えていたのであった。

そしてあの日、だ。
漠然とした不安が頂点に達していた私は、どうしたらこの気持ちが晴れるのかと考えた末、不安になる原因を全て消せば良いことに気がついた。
つまり、私が一番恐れているのは幸せが不幸になる事であるから、その幸せ自体を自分の手で消してしまえば不幸になる事もないのだと考えたのだ。
その夜、私は一番仲の良い友人に別れを告げた。
彼女にはよく自分の書いた小説を読んで貰っていた。
幸せはいつ無くなるのか分からないものだ。いつか、離れるその日が来る前に自分から離れた方が良いと思った。それなりに適当な訳を言い並べ些か乱暴な方法で友人を突き放した。彼女には悪い事をした。きっと大層嫌な思いをしたに違いない。自分の事しか考えられない身勝手な人間はこのような方法を取るしかなかったのだ。

そうやって、自ら望んで手放したはずの幸せだが、何故だか悲しくて、悲しくて仕方がなかった。
抱いていた不安は一つも消えなかった。
ただ、心に大きな穴がぽかりと空いたまま。
私の歪みは更に大きくなるばかり。





気晴らしに、文章でも書こうと思ったが、何も書けない。
薬を飲むようになってから、長い話はかけなくなったが、それでも時間がある時を見つけては面白そうな出来事を書き留めるという習慣だけは続けていた。だが、それも出来なくなっていたのだった。
愚かな事だ、よく考えれば分かることじゃないか。私は自分の為に文章を書いていたのではない。彼女からの言葉が欲しくて文章を書いていたのだ。
元々、自分は文章を書くのが好きだったのだが、自分の書いた文章がどうしても気持ちが悪くて仕方なかった。だが、彼女は私が書いた文章を褒めてくれた。
私にはそれが嬉しかった。
それから、文章を書いては彼女に見せる様になった。
彼女以外にも褒めてくれる人は居た。だが、彼女からの言葉が一番嬉しかった。
半ば、彼女のために文章を書いていた様なものだから、その読んでくれる人が居なくなっては何も書けなくなる。
愚かな私は、失うまでその事に気がつかなかった。
その事に気がついた時、同時に、私は満たされた夜が永遠に訪れない事を知った。       これは、幸せを幸せと感ぜられなかった私への報いなのだ。






「それは離脱症状ではないだろうか」
古い付き合いある友人が、予告もなく私の家を訪ねてきた。ちょいと顔を覗きにきただけのようだったが、私は堰を切ったようににおいおいと泣きながら今迄の全てを話した。
すると友人はこう言ったのだ。
なんて事はない、私の状態が段々と悪くなっていったのは、私が勝手に薬を飲まなくなったからだったのだ。離脱症状などという言葉は初めて聞いたが、確かにあれほど強い薬をいきなり断って平常でいられる訳がない。
あの日は、その症状が取り分け強く出ていて、それであのような愚行に出たのだと納得した。色々な事を考えすぎたあまり、混乱し思いもよらぬ事を言ったり、行動に起こすという事は多々あったが、あの日はそんな自分の悪い部分が凝縮されていた。
なるほど、結局は自分で自分を不幸にしただけなのか。自分の愚かしさに笑いすらこみ上げてくる。
気づいた所で何かが変わるわけでもなく、更に精神は蝕まれていく。
涙はいつまでも止まらず、それは働いている間も流れ続けた。
私は死んだようにただひたすら手だけを動かした。
そして、三日三晩泣き続けて、ある朝布団から体が動かなくなった。今日だって何も用事が無いわけではないのだが。熱があるわけでもないのに体が動かない。
数日前から頭にあるのは「死」という言葉だけで、どうやら今すぐ早くこれを実行しなくては私の心は晴れないようだ。


漠然とした希死念慮は完全なる自分への殺意に変わった。
私は仕事を放り出し、要らないものを全て捨て、遺書を認めてから、川へ身を投げた。

『やはり、私には生きてゆく事が難しいようです。お許しください』





水の中で私は「夢」を見た。
それは死後の世界のようであった。
全ての選択を間違えた
全てから逃げてきた
死んでも何も終わらない。
このまま浮遊をするだけ
ただ見ているだけ
これ以上は逃げられない
もう何も変わらない
指を加えて見ているだけ
誰も私に気付かない
生きている人間が恨めしい
悔恨だけが残り
意識だけがそこに留まる




私の自殺は失敗に終わった。
水から引き上げられた私は、どうしてか息を吹き返してしまったのだ。
そして、親戚に引きづられ郷へ返された。
暫く此処で暮して心を休めて欲しい、と言われた。

布団の中で「夢」のことを考える。
あれは死後の自分だったのだろうか。
死んでも苦しさから逃げられないのであれば、このまま生きていた方がまだマシじゃないだろうか。
それとも、アレはただの幻であって、死んだら全てから解放されるのだろうか。
もう、何も考えることはなく消える事が出来たら、どんなによいだろう。



「今、判断を下すべきではなかった。もう少し落ち着くまで待つべきだった。」
新しく連れてこられた病院で、医師が言う。
此処では違う病名を告げられた。
呪いがまた一つ、増えた。


「そのような状態で、人と別れるのは良くない。仕事も辞めるべきではなかった。重たいものは一つづつ、一つづつ、ゆっくりと外すべきだった。一気に外すとあなたが苦しくなるだけだ」
全てを一気に捨てたのは良くなかったらしい。


「死んではいけません。死にたくなったら、私を訪ねてきてください。いつでも力になります」
……。


私は本当に全ての選択を誤ってしまったようだ。




あの楽しくて幸せだった日々に想いを馳せて一歩も動けない。
今はただ、死なぬように毎日自分を必死に宥めながら生きている。死にたい。だが、死後の世界を見てしまっては死ぬのが怖い。
もう、生きる理由などとっくになくなっているのに。

今の私は殆ど幽閉に近いような状態である。
自殺などという「過ち」を犯さぬよう、見張られているのだ。
美しい夜を失った今の私に書けるのは、せいぜいこのような日記程度である。
自分の愚かしさと引き換えに、満たされた夜はもう二度と訪れない。
今はただ、死を待つばかりである。


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