格好悪いふられ方

「格好悪いふられ方」という歌は知ってはいたが、曲の冒頭を歌いながら大江千里の似ているのか似ていないのかわからないモノマネをするタモリの印象ばかりが強く、一曲を通して聴いたことがなかったし歌詞の全体を読んだこともなかった。

大人になってずいぶん経ってから、ラジオでこの曲を耳にして、歌詞の全体を読んでみた。

それまでは冒頭の数行の歌詞しか記憶になかったので、恋人に振られ、大事なことに後から気付くという、ありふれた失恋の曲と思っていた。

全体を読んでみたら、その気持ちはガラリと変わった。
思いの外苦しく、そしてなぜか清々しく、恋人への未練と訣別の想いが同居する複雑な歌詞だった。

失恋の辛さはよく歌われるけれども、この曲の底に眠る恐ろしさは、今の苦しさのみならずこの失恋が自分の(「結婚」というワードによって示される)未来までに影響することを予見してしまっていることにあるだろう。そして「結婚しても 同じだろう」に見られるような結婚というものに対する一種の諦め。それなのに別れた恋人とではない誰かと「おそらくぼくは結婚する」。

「格好悪いふられ方 二度ときみに逢わない」との歌詞から、これはほぼリアルタイムのことを歌っているのかと思いきや、サビの部分をみると「きみが欲しい いまでも欲しい」「あの日の夢を 生きているかい」とあって、別れた時点から長い月日が経っているのかなとも思う。
あるいは、後から別れた時のことを思い出しているのだけど、その時の鮮やかさが失せないことを表現しているのか。
いずれにしろ、歌っている「今」の時間軸が曖昧に揺らぐことで、失ってしまった恋のインパクトが長い時間に及んでいることが感じられる。

しかし「幸せかい 傷ついてるかい」「もしもきみに 逢わなければ 違う生き方 ぼくは選んでいた」「いつかバッタリ出逢ったら 友達みたいに話せるさ」とその恋人を、自分と距離の隔った過去のものとして受け入れてもいる。

過去の残像を拭い去れないまま生きていくこともやむを得ないのか…
油断すると気が滅入りそうな歌だ。

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