9月3日(死にたくなる日)
つらい。とにかくつらくてしょうがない。
妊娠中はホルモンバランスが崩れて情緒が不安定になるらしい。
ふむ、そういうことならこの気怠さと自己嫌悪感もうなずける。
凄まじいのだ。負のエネルギーが。
ついこの間まで心の底から笑っていたはずなのに、今ではもはや私が生きてる意味がわからない。
もしかしたら人が生きる意味なんてもともとないのかもしれない。
そんなの考えたって無駄なのかもしれない。
では、私が死んだらどうなるのだろうか(突然)
彼氏は怖い怖い私の親に挨拶しなくて済むし、彼氏の家族は私という他人と住まなくていいからストレスもないだろうし、お母さんもお兄ちゃんも未来永劫私みたいなバカの面倒見なくて済む。
べびちゃんも私みたいなバカ親の元に生まれなくて済む。「なんで産んだんだ、おろせばよかったじゃないか」と悲しすぎるセリフを将来言うこともない。
私が事故か何かにあって死んで無になることに、デメリットなんか何一つとしてない。
むしろ私の周囲の人間にとってはいいことだらけではないだろうか。流石にみんなちょっとくらいは悲しむんだろうけど最終的にはいい結果になる。
それなのに私はなんで生きてるのか。
ぜんっぜんわからない。
私が死んだら悲しいと言ってくれる人もきっといるんだよ。
でもね大丈夫だよ、悲しいのなんてすぐ終わるよ。
私は私がいないほうがみんなを幸せにできる自信があるよ。
あーあ。それなのになんで死なずに生きてるんだ私は。
ごめんね、怖くて死ねないんだよ。
自分から死ぬのはまだ怖いよ。
文句ばっかり言って辛そうな顔をして情けないよ。
早く死にたいなあ。
死にたい死にたいばっかり考えてるのにお腹の中のべびちゃんは一生懸命細胞分裂して生きよう生きようとしている。
そのことを思い出して我に帰る。
私はなんて自分勝手なんだろうと思う。
自分で望んでべびちゃんを作っといて、今更になって死にたいなんてべびちゃんからしたら話が違う。
家に呼んどいて玄関で帰れと言ってるようなものだ。
なんて失礼で非常識でバカな母親なのだ…
ごめんね…生きるよ…頑張るよ…辛そうな顔してみじめったらしく子育てなんかしないからね…ベビがママの顔を見る頃にはちゃんと笑ってるようにするからね…
以上、妊婦肉まんの小劇場である。
私は妊娠してからと言うものほぼ毎日、というか数時間おきにこの流れをやっている。
妊娠しただけでなぜこんなに情緒不安定になってしまうのかが全くわからない。
まあ、親に絶縁されたことと義実家とのストレスにちょっとぴえんえんしてるだけなんだけど。
ホルモン、早く安定してくれ。
あと意地悪言ってくる人間の口は永遠に閉じてくれ。
そういや妊娠したとき、会社の先輩に「これからきっと嫌なことを言われたりすることもあると思う。でも全部無視するんだよ。どっしりかまえるんだよ。」と言われた。
あの頃の私はそんなに深く捉えていなかったがいまになってこの言葉が身に染みる。
嫌なことを言われてジタバタしている私にぴったりの金言だ。
先輩、こういうことだったんですね…
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ともかく、情緒不安定妊婦の道のりはかなり長い。
だってまだ5ヶ月である。
残り5ヶ月も絶対に山あり谷ありになるのはわかっている。
私の人生、妊婦じゃなかったときからわりと波乱万丈気味だったのだ。
そんな私が妊婦になった以上乗り越える波はちょっとやそっとのものではないと心得ている。
しかし、心得ているとは言ってもちょっとつらい。
職場のトイレで泣いたり家のトイレで泣いたりしている。
涙が決壊しそうなときはすぐトイレに駆け込んでいるためもはやトイレは友達。
実家並みの安心感すらある。
こんなに落ち着いて泣ける場所なんて世界のどこにもない。
トイレに幸あれ…
ていうか、超つらい時期って真っ暗闇でなにも見えないなか「歩け、止まるな、進め」って言われてるようなもんだからすっごく寂しいし、怖いし、たくさん転ぶし傷つくよね。生きていく自信も丸ごとごっそり持っていかれる。
そんな終わりの見えない毎日が結構続くんだよね。
もう傷つきたくなくて、自分を守ってあげたくて、全てを終わりにしてしまいたくなる日がやってきたりする。
マジどうすりゃいいんだよって何かにキレながら真っ暗な部屋で天井を見上げる。
そうするといよいよひとりぼっちの感覚は研ぎ澄まされてくる。寂しい。
どうにかしたいけど、どうしようもない。そんな日は寂しいだとか苦しいだとか後悔だとかいう息が詰まりそうな感情を全て抱えて無理やりにでも眠りにつくしかない。
どう考えても死んだほうが楽だ。
なんとまあネガティブなのでしょうか…
ここからポジティブのターン発動するからもうちょい我慢して…?
肉ちゃんね、「死んだほうがいい」という考えに行き着くといつも同じことを思い出すんだけど、ちょっとそれ聞いてくれる?
母親の再婚相手に殴られてた中学時代のことなんだけど、毎日「今日こそ死のう」と思ってた。怒声と暴力が飛びかう日はカッターを握りしめて眠った。限界がきたらそのカッターで死ねばいいからね。
でも怖くて死ねなくて、そんな自分が心底惨めだった。
そのときの私は、自分が幸せになるなんてありえないと思ってた。
でもね、結局私は幸せになった。
もちろんそのあともつらいことあったりしたけど、高校では友達に恵まれて、大学では自由を謳歌した。
あのとき死んでなくてよかった…と思ってる。
あの日々を思い出すと、(別に死ななくていいや)と思えるんだよ。辛かった経験はいつか自分を守ってくれるってガチもんの話なのだ。
今より100倍くらいつらい経験をした私は大丈夫。
死なない。
あと何年かしたら(生きててよかった…)と思ってる気がするしね。
なによりべびちゃんもいるしね…!
ママは生きまちゅよ〜🥺✌️
いつもなんの話をしてるのか分からなくなってきてnoteを終えているのだけど、もしかして皆さんにバレちゃってますか?
このnoteを読んでる方の中に死にたいって思ってる子、いるかな。いないといいな。みんな幸せだといいな。もしいたら、死なないで欲しいな。
私なんかまだ22年しか生きてないから大したこと言えないし、生きる喜びを偉そうに語れる立場じゃないんだけど、とりあえずコロナ終わるまでに20万くらい貯めてバリ島とか行くのはどう?
私も出産終わって一年くらいしたら海外行こうと思ってるんだ。きれいな海見て頑張った自分をヨシヨシするんだ。
赤ちゃんは?とか、仕事は?とか考えてないよ…!
そんなんどうとでもなるからね…!
ていうか、本当につらかったら死ぬのもアリなのかもしれないけど、夕陽が海にとけていく様を見ながら食べる海鮮めっちゃ美味しかったのでもしいつか本当に死にたくなったらバリ島でも行って考えることにする。
日本という小さな国のコンクリートに囲まれたところで死について考えてもいいことなさそうだしね…!
だから私はなんの話をしている?
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