3月16日(鬱々)

早くおうちに帰りたい。誰にも傷つけられなくて済む場所にいたい。
もしこの世界に、天地万物の運命を決めている大いなる存在がいるのならば、ぜひお願いしたいことがある。

「もう勘弁してくれ」

私は疲れてしまった。

恋人は癒しと理解をベースとした存在などではなかった。
友人には友人の人生があってけして私を優先することはない。

私が抱いた身勝手な失望を誰にも悟られないように生きていくのは疲れた。

できることなら誰にもがっかりされたくないし誰にもがっかりしたくない。
大切な人にがっかりしてしまったとき、私はまた私のことが嫌いになる。

もう何もしたくない。
疲れるから。
悲しい思いをすることになるから。

好きなことだけして生きていたいから好きなことを仕事にしたかったけどそんなの無理だからって努力もしないで諦めた。
バカだ。

生きるために働くのは、予想以上につまらなく味気なかった。

毎日当たり前のように決められた場所に行き、当たり前のように決められたことをやる。
よくよく考えれば狂気である。
だって地球はとても広い、本当にたくさんのいろいろなものがある。

私たちは自由であるはずなのに、自分の命は自由に使うべきなのに、なのに、毎日同じ場所を行ったり来たりしている。
それに安心を覚え当たり前としている。

私もお前もあいつらも、とてもまともとは思えない。

それでも、臆病者の私にできるのは一人ぼっちにならないよう「社会」という得体のしれない組織にしがみつくことだけ。

なんて情けないのだろうか!!

そもそも、私にこの世界を生きるのは無理がある。
だって私の精神は、惨めったらしく繊細で、外からの刺激にめっぽう弱い。

自分で気にしていることを他社に指摘されようものならその日は何も手につかない。
やはり私はそうなんだ。だめな人間なんだ。と己を責めて日が暮れる。

汚いものを見ては自分を重ねて落ち込み、きれいなもの見ては自分との距離を測り傷つく。
自信もなく胸を張れるものもない、あるのはプライドとも言い難い意地と心の片隅で大きく膨らんだ自己顕示欲だけ。

誰かに喜びを与えることもできず、親からの恩恵を享受するだけの私。
どこかで聞いたような言葉を無理やり引っ張ってはつらつらと不平不満を書き連ねることだけに長けてしまった。
無駄に本を読んでしまったせいだ。

なぜこの年まで生きてしまったのだろうか。
答えるまでもないが、死ぬ勇気がなかったのだ。

中途半端な夢を未来に持ち、中途半端な絶望を抱えながら薄ら笑いで歩いてきた。
幸せを高らかに歌うことも、泣き叫ぶこともせずに。

これから先どう生きていこう。誰かに支えてもらいたい、一緒にいてもらいたい。
しかし他者を頼れば私はきっともっとだめになる。
一人で立たなければ、いつか相手をつぶしてしまうだろう。
相手の苦しむ顔を見て、私はきっと死にたくなるだろう。

だからといって一人で生きていけるほど私は強くない。

理想論を語ろうとすれば現実がまぶたの裏や脳裏に現れる。
「私の存在を忘れるな」と言ってくる。
そんな現実様に一言申し上げたい。

私はけしてお前を忘れたいわけではない。

悲しく厳しく意味の分からない現実に、喜びを見出ししっかりとした意味を持たせるようなものがほしいだけなのだ。

理不尽に傷つけてくる者たちに理由を問いたいだけなのだ

私がお前たちに何をした。

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