不思議な話かもしれない話を思い出した話①
先日「すずめの戸締まり」を観てきました。
新海誠監督の災害3部作「君の名は。」「天気の子」に続く最終作品らしいです。
全作品劇場で観たのですが「君の名は。」で少しうるっとしかけたことはあったけど新海誠監督の作品で泣いてしまったのは「すずめの戸締まり」が初めてでした。
この作品の中では地震をテーマとし直接的に「3.11」を描いているため…あのときのことを思い出してしまいました。
それがきっかけで思い出したことがあるのですが、その話をする前に作品の感想について少し話します。
ざっくりとした感想はこちらに書いてあります↓
映画『すずめの戸締まり』のレビューを書きました! | Filmarks
https://filmarks.com/movies/100650/reviews/144783852 #
ついでに感想の補足をさせてもらいますと──
他の方の感想で「ダイジン」(白猫の姿をしたキャラクター)がかわいそうというのを多く見かけたんですが私はかわいそうとは思わなかった派です。
この世なんて誰かの犠牲の上に成り立っていて私達は生きていると思ってるから…
きれい事って嫌いです。
ダイジンの扱いや描写もリアルだなと感じたフィクションぽくない部分のひとつでした。
鈴芽が「死ぬのは怖くない、生きるか死ぬかなんて運にすぎない」みたいなセリフがあったと思うけど、そのとおりだと私も思います。
ここから私が思い出した話をします。
予知なのか引き寄せなのか私のこじつけ妄想なのかは分かりませんが強迫観念みたいに頭の中に突然湧いた思いが消えないことがあると…
あとで現実に起こる現象を何回も体験していたりします。
かなり前からといっても2000年前後あたりからだったか大きい地震が来るような思いが頭から離れなくなってしまってアニメ「マグニチュード8.0」みたいな創作プロットを強迫観念が消えたらいいなという思いから個人的にノートに書いて発散していたりしました。
プロットの内容は外出先で被災し自宅を目指す話です。
日本なんて地震大国ですし周期的に大きな地震が来るので予知でもなんでもなく単なる防災意識から来る強迫観念だよね?
くらいに私は思いたいし、なるべく無視するようにしていたのですが…
月日が経つにつれて、その大地震という強迫観念が日に日に強くなっていくんです。
もう無視できないくらいに強い思いが強まった…そんなある日のこと
私は何回も転職していた時期があったのですが…
「この次に転職する場所は慎重に選ばないと大地震が起きた時に帰宅難民に確実になる」
って思いがピークになってしまいました💦
初めてここでぶっちゃけますが
仕事をしていた時に大地震が来ても自力で帰宅出来る場所で働こうと思って、その理由だけで職場を探しました。
当時の私では家の近くでなかなか採用してもらえる場所もなく、自分が出来る仕事も少なく…あそこならギリギリ帰宅できる勤務場所かなと考えて就職先は他県だったのですが当時の就活の中で一番近い職場にしたのです。
シミュレーションではないのですが県境に川があるため陸橋を渡るにはどうするべきかとか方法はないのかとか真剣に悩んでいたりしました。
これ以前の私は通勤時間が電車で1時間以上とか都内まで毎日何時間もかけて通勤していたくらいでしたので謎の強迫観念にかられて就活してしまう自分が自分でも不思議で仕方なかったです。
それから半年経つか経たないかの時に「3.11」が来まして…私は思いました。
やっぱり来たかと
最初に言っておきますと私は直接的な被災経験者ではありません。
ですが生まれて初めての大きな地震でした。
私の場所では最大震度6弱だったと思います。
それでも、あの時の揺れはとてもすざましかったです。
それが震度7だったり津波に遭われた地域はもっともっと大変な状況だったでしょうね。
あの日は普通に働いて勤務中に地震が起きて建物の外に避難したら再び大きく揺れて停車中の大きな車が走り出すように見えるくらい激しく蠢いていたのを今でもおぼえています。
職場は停電してしまい真っ暗で帰宅しようと荷物を取りにロッカールームへ入るとそこは阿鼻叫喚と化していました。
みんな家族を心配し電話していましたが誰一人として電話がつながりません。
どんな地震が起きたのか今何が起きているのか何があったのか家族が無事なのか何ひとつ分からない不安の空気が周りにはいっぱいでした。
私は冷静でした。
シミュレーションしていたように家に電話をかけました。
私は不思議なことに普通に家族である母と電話で会話ができてお互いの安否を確認できたんです。
このときに職場で電話が繋がったのは私だけだったのも不思議でした。
私には迎えに来てくれる家族はいなかったので自力で帰るしかありません。
最寄りの駅までの帰路は会社の送迎バスをひたすら待って駅まで行きましたが電車は動くことなくタクシーも一台もありません。
停電しているので信号も消えていて日が暮れて辺り一面が闇につつまれて真っ暗になりはじめました。
歩いて陸橋を渡れないことはシミュレーションずみです。
事前に調べておいたのです。
帰宅するための唯一の方法は一日に一本だけ自宅の最寄り駅まで行くバスが夜にあるだけです。
運が良ければ、そのバスが運行してくれて陸橋を超えて川も渡れて家に帰れるはずです。
冷静にそのバスをひたすら待ちます。
どうやらバスが運行するようです。
私は帰れました。
川を越えて自宅に近づくにつれて灯りが見え始めました。
真っ暗だった世界から光が溢れる世界に戻っていきました。
おかげさまで私の自宅の付近の地域では停電していませんでした。
かけがえのない日常という名の安堵感…それが、いかに大切なものなのかに気づいた瞬間です。
この時の気持ちは今でも忘れません。
「すずめの戸締まり」を見て思い出したのです。
この作品は「思い出す」がテーマとしてありますよね。
「大丈夫ちゃんと思い出したよ」
同じような不思議な話かもしれない話は、まだまだあるのですが長くなるので続きは次回以降にしようと思います。
自分に関する未来のことなら分かるかもしれないという類の不思議な話でした。
続きは、また今度
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