クラシックの音楽は尊い


クラシックの音楽が好きです。ショパン、リスト、ラフマニノフの順番で好きです。

以前のように、時間があって、好きなように外に出られるような毎日だったときは、クラシックを聴きながら、(もしくはオールナイトニッポン0を聴きながら)電車でどこかへ出かけるのが好きでした。

私は神奈川に住んでいますが、私の大学は埼玉にあるので、まさに毎日「翔んで埼玉」通学をしなくてはなりませんでした。それゆえ、私の持っている定期券はいわゆる「神定期」で、横浜から東京、埼玉にかかる主要都市をほとんど網羅しているのでした。

だから時々、その主要都市のいくつかで途中下車して、街を散策することもよくありました。私が好きなのは中目黒周辺で、自由が丘や恵比寿の駅まで歩くことがよくありました。そういう街を歩いて、知っていることが、なんとなくかっこいいことのようにも感じていました。

その片道2時間の通学や、途中の散策の間、私は本当にたくさんの音楽を聴きました。高校生の時から、吹奏楽部に所属していたこともあって、音楽を聴くことはほぼ生活の一部になりました。(吹奏楽部に入ると、音を聞いただけで、その音がどの楽器から奏でられている音なのかが大方分かるようになります。これは便利です。)
そういった理由で、私の好きな、椎名林檎さんの造る音楽も、小沢健二さんの音楽も、そして偉大で壮大なクラシックの作品の数々も高校時代からよく聞いていたものでした。

この中でも、クラシックの音楽が、上記に挙げた前者二つの音楽と圧倒的に異なるのは、「クラシック」とひとえに大きく括るとその作品の数が星の数ほどあることでしょう。クラシックというジャンルには、創成期から、ヴィヴァルディや、バッハ。古典派のベートヴェン、モーツァルト。私の好きなロマン派、シューマン、リスト、ショパン、そしてラフマニノフ…という名だたる作曲家たちがその時代の変遷とともに作風を変え、連綿と繋げた作品がすべて含まれているのです。

こんな風に、この中のたった一人の作曲家の作品でも、その生涯にわたる作品数は数十に及びます。つまるところ、聞き飽きるということが基本的にはありません。

クラシックは長いし、退屈で、眠たくなっちゃう。そう感じる方も多いでしょうが、クラシックは実は、生活の多くの場に溶け込んでいるのも事実です。

例えば私は本屋が好きですが、本屋では大概クラシックが流れていますし、レストランでもクラシックの流れることは多いですし、卒業式や入学式でもクラシックはよく使われていますから、題名だけ見て知らない曲でも、聞いたら知っていたというAHA体験が出来るのは楽しいです。

とはいえ、クラシックは長い。確かにそうです。クラシックは私の文章のようだ、と思うことがたまにあります。クラシックは全くロジカルではありません。

とどのつまり、クラシックは芸術であり、作曲家の人生観や感情を大きく投影したものでもあります。音楽は間違いなく芸術ですが、その汎用性のせいで、そう考える人が少ないと思うのは私だけでしょうか。例えば、ピカソの「ゲルニカ」を思い出してみてください。これは戦争下での作者の心情や見たものを絵として表した芸術であり、その実物を見るためには、スペインのマドリードまで行くか、それが日本にやってくるまで待つ必要があります。

クラシックの音楽は、ピカソやフェルメールのような歴史的画家と同じように、多くの歴史的作曲家がその想像力と、孤独と、愛を投影して作った芸術作品でありながら、現代日本に生きる私たちが電車の中で、比較的簡単にそれを堪能することが出来るのです。(もちろん、特定のピアニストや奏者の生演奏を選んで聴く場合には、ゲルニカを見るときのように、場所や時間を選ぶ必要があるでしょう。)

また、クラシックを聴いていると自分のツボにはまるフレーズを見つけることが出来るのも良いところです。

私の好きな曲の一つにラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」というのがあります。曲は全体で9分ほどありますが、私が別名「人生」と呼んでいるこの曲の中には、なぜだか私の心を揺さぶる数秒のフレーズが所々にあり、その部分を聞きたくて、曲全体を聴く。というようなことが多くあります。

そこだけくりかえして聴かないのは、曲にも文章や物語、また人生と一緒で文脈があって、私はそのフレーズに至る文脈をすべて含めて好きだからだと思います。


ところで私は、大学の先生と、よく本の話や、音楽の話をします。私の先生は私のように、ショパンやラフマニノフのような、抒情的な作品の多い作曲家を好まず、見た風景をそのまま音楽に移したような情景的な曲が好きだ。と言いました。

こういった楽しみ方が出来るのも、クラシックの良いところです。

ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第二番」やリストの「コンソレーション」、ショパンの「告別」のような、感情をそのままに表現するような曲もあれば、反対にベートヴェンの「田園」やラヴェルの「水の戯れ」のように、その見たものを忠実に再現するような曲もあるのです。

こんなことを書いている私は、結局のところ、音大生でもないし、クラシックで使われる楽器もほとんど吹けないし、弾けません。

けれど、眠れない夜。心配なことがある日。嫌なことをされて、言われて、でもそれを我慢した日。私のせいじゃないけど、なんかツイていない日。誰にもわからぬ苦悩。そんな毎日が続くことがあるでしょう。

そんな時、クラシックの音楽を聴くと、いつも自然と涙が出てきます。誰かが慰めてくれるような気分になります。なぜだか、そばにいてくれるような気分になります。「昔の人も、屹度大変だったんだなあ。」

いくつか聴いて、お気に入りを見つけたら、それは一生、その人を癒し、守ってくれる盾となってくれるでしょう。

嗚呼、クラシックの音楽は尊い。


5月31日、夜。


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