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2024/6/16 東京日比谷野外大音楽堂CRYAMY特別単独公演『CRYAMYとわたし』の記録

※敬称略。無論、私はCRYAMYについて全てを知っているわけではなく、大いに私見である。ご容赦いただきたい。


朝6時、すし詰め状態のバスで名古屋駅を発ち、車窓に映る曇天とダウンロードしておいた映画に飽きた頃、我が国の碩学である霞ヶ関でバスを降りた。四方に聳え立つ官公庁の圧迫感と、道中が嘘のような日差しによって、早くも倒れそうだった。6月とは思えないほどの暑さだった。
およそ正午、会場となる日比谷野外大音楽堂へ足を運ぶと、開場が16時であるにも関わらず早くも先行物販の行列ができていた。自分と同じく、この日を待ち侘びて集った人々。皆良い面構えをしていた。恵比寿LIQUIDROOMでの解禁から1年。良いことも悪いことも色々なことがあった。メンバーもスタッフも観客も、そんな色々な日々を持ち寄って、今日ここに集結する。皆、準備は万端のようだった。

CRYAMYメンバー 左からDr. オオモリユウト、Vo.Gt. カワノ、Gt. フジタレイ、Ba. タカハシコウキ

夕刻17時、遂にその時が来た。
SEはJoy Divisionの『Disorder』。以前のCRYAMYのライブでもSEとして用いられていたが、ここ最近のライブではSEなしが多かったため、私は少し懐かしさを感じるとともに、心地良い違和感を感じた。3分29秒ある曲を全て流し切り、3000人が見守る中、何の飾り気もなく彼らは登場した。


『#4』収録『WASTAR』により幕が上がった。衝撃的だった。あの場にいた一人一人に確実に届けようとしている、おおよそ叩きつけるような演奏とはまるで違う、とても丁寧で美しく、それでいてリアルな、凄まじい演奏だった。
ここ最近のライブのセットリストは、ほとんど全てが2ndフルアルバム『世界/WORLD』に収録されている曲で構成されていた。『世界/WORLD』は曲調もそれ以前の曲と異なることから、私は「以前の曲をもうライブで披露することはないのではないだろうか、なんならカワノ本人も嫌いになってしまったのではないだろうか」と、勝手に思っていた。しかし、ライブ1曲目の「WASTAR」を聴き終えた頃、私はその考えを改めた。全てはこの日のためだったのだ。この日、日比谷野外大音楽堂にて、3000人に届けるため。そう思わずにはいられないほど、完成されていた。
第一部の16曲目、『GOOD LUCK HUMAN』の頃には空が夕日で美しく染まっていた。第三部の3曲目、『月面旅行』の頃には彼らの頭上には綺麗な月が出ていた。まるで天と会場が一体になったかのような、或いは天もこのライブに来ているかのような、そう思わせる演奏だった。
全曲を通して、少しも嘘のない、愛に溢れた演奏だった。CRYAMYから”わたし”への愛。『音楽と人』2019年9月号で、カワノは次のように話している。

僕がひとつだけ信じてるのは、音楽はひとりで聴くもんだ、ってことで。ライヴでいっぱい人がいても、横に友達がいても、曲が始まっちゃえばひとりですよ。一緒になることが美しいんじゃなくて、そこにいるひとりひとりが、ひとつのことに心打たれて、同じ感動を共有してる。そういう感覚でいられることが、僕は美しいと思う。それがわかるぶん、僕らはどのバンドよりも、お客さんひとりひとりと向き合うライヴをしてる自信があるんですよ

https://ongakutohito.com/2019/09/23/natsunomamono-archive-3/

彼らのライブは5年経とうとも一貫してひとりひとりと向き合う、『CRYAMYとわたし』なのだ。カワノは逐一”わたし”へ向けて「愛してるよ」と叫んでくれた。あの場にいた全員に、彼らの愛は確かに届いただろう。時間にして3時間半、曲数は全34曲。野音の音止め1分前まで演奏し、CRYAMYの日比谷野外大音楽堂特別単独公演は幕を閉じた。

CRYAMY 日比谷野音単独公演 セットリスト

衝撃的だった。これまで数え切れないほどのライブを観てきたつもりだが、それらとは全く違う、全く新しい体験だった。優れた小説や映画などに触れた時、自分の中で何かが壊される感覚がある。今回のライブが終わった時、それに近い感覚を得た。心に雷が落ちたような、そんな感覚だった。断言できる。記憶に、心に、深く刻まれるライブだった。
このライブが終わった時、自分はCRYAMYに対してどんな感情になるのだろうと、ずっと疑問だった。ここで彼らの歩みが終わったとしても、それはそれで潔くて格好良いと思うのか。否、これからも彼らに音楽を続けてほしいと思うのか。答えは明白だった。このようなライブを目の当たりにしては、前者のような感情になるはずがない。一人のファンとして、もっと彼らの音楽を聴いていたいし、ライブを通して全身で感じたい。それが本音であるが、どのような未来になれども、CRYAMYの音楽は残る。この日のライブの記憶は残る。ファンとして、最後は彼らの決断を素直に受け止めたい。
そして何より、あの場にいた全ての人間にどうか長生きしてほしい。最後に願わくば、また皆で、CRYAMYの音楽で、この日のような時間を共有したい。

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