【小説】chapter8 水族館にて

 動物園の檻が急に無くなったら。動物たちは外に出て、のびのび暮らすのかもしれない。生まれ育った環境とは違うので長くは生きないかもしれないが、すぐに死ぬことはないだろう。
 でも、水族館は違う。水槽のアクリルが急に失われれば、水が勢いよく溢れて魚は死んでしまうんだろう。人の娯楽のために魚は無理矢理生かされている。ニセモノの海の中で。特にこの、周りに海や水辺もない、ビルの上の水族館に来るとそう感じるのだ。
 

 2日前にエミさんから連絡があって、急に水族館に行くことになった。東口を出て、少し歩いたところにあるドトールで待ち合わせをする。僕があんまり早く待ち合わせに来るので、気を遣ってくれたのだ。ありがたいのでこっちも気兼ねなくアイスティーを飲みながら気長に待たせてもらおう。読みかけの文庫本を開くが、人を待っていると思うと集中できない。アイスティーが無くなり、ストローが音を立て、ふと入り口のほうを見る。驚くべきことに時間ピッタリにエミさんは来た。エミさんは何も頼まず、僕を急かすようにしてお店を出て、水族館へと歩いていく。

 休日らしく人はたくさんいるが、水族館には独特の静けさがあるように感じる。そんなに広い水族館じゃないけれど、何を観ても楽しくて、話はいつまでも尽きなかった。僕の大学の教授や、エミさんの会社の先輩に似た魚がいて、勝手に名前をつけては二人で笑った。少し観てまわって、水槽の前のソファに二人で座った。エミさんが僕の肩にゆったりと顔を寄せ、そのままもたれかかる。

「ビルの上に魚がいるって不思議な感じ。本来そこにあるはずの無いものがあるっていうね」

「ですね。おんなじような事考えてましたよ」

共通点を見つけるとスタンプが一回押せるポイントカードがある。ポイントが貯まるたび、心の中にあるそのカードを思わず眺めてしまう。ポイントを集めても何かがもらえるわけじゃない。それでもスタンプを集めるたび、少しずつ二人の距離は近づいてる気がしている。だって今、肩を寄せ合ってる僕たちは側からみれば恋人同士に見えるだろう。そんな満足感に浸りつつ「でも、ホンモノじゃない」という声が聞こえる。

 
 海を模した水槽の前で僕たちは恋人の模型だった。目の前の魚たちと一緒で水槽を出たら生きられない、本来そこにあるはずのない二人だった。

つづく

この物語は全てフィクションです

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