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情熱を持てなくても何とか続けていきたいという話。

 よくスケッチブックに模写を描いていた。大体描くのは漫画や映画に出てくるロボットや車で、それを描くことで描いたものを自分のものにする感覚があった。一つ一つのパーツがどんな形をしていて、どこについているのかを考えながら描くことでその構造について理解をすることが出来る。単にフィギュアや写真を手に入れるだけでは満たされない所有欲を満たすことが出来た。

よく絵を描くことが苦手という人がいるがその人はモノを単純化しすぎている気がする。車はいろんなパーツでできている。ボンネットやバンパーは別のパーツだし、ドアには取っ手がついていて、エンジンを冷やすためのグリルがついていたりする。車に興味がない人はワイパーやミラーを書き忘れたりするが、意外とそういうパーツをきちんと配置するだけで、たとえデッサンが乱れていたりしてもちゃんと車に見えるのである。

私はプラモデルを作るのも好きだが、プラモデルも模写をするのと似たような効果がある。プラモデルを作るなんて面倒だ。もう出来上がってるフィギュアやミニチュアを買えばいいじゃないかと思う人もいるかもしれないが、プラモを作ることは、モノを手に入れること以上にその構造を知ることで得られる満足感がある。しかもその構造は立体なので普段は見られないような部分の構造まで知ることが出来る。自分の車ならボンネットの中は見たことあるかもしれないが、ポルシェのボンネットの中を見たことない人はいるだろう。ちなみにポルシェは後ろにエンジンがあるのでボンネットの中は荷物が積めるようになっている。ボンネットは開ければ見えるが、車を裏返してみたことのある人はそんなにいないと思う。プラモデルを作ればそんな普段は見えない、見ようともしない構造を知ることが出来る。

ただプラモデルを作ることで、模写をするときほどの所有欲を満たすのは難しい、どうしてもある程度出来上がっているものを組み合わせるという感じがしてしまうからだ。だがそれを言ってしまうと彫刻をしたり粘土をこねたりしなければならなくなってくる。そして究極的には自分で車を作ろうということになってしまう。そうなると家で手軽に作るなんてできない。ただプラモデルは改造もできるし好きな色に塗って楽しむことが出来る。ある程度出来上がっているものだからこそ、そこにどうやって自分のイメージを落とし込むかで自分の表現をすることが出来る。模写をするということは表現をすることとは違う。模写は「知る」ことでありインプットだ。表現をするとはそのインプットの中から生まれた自分の「好き」をアウトプットすることである。

最近はTwitterやブログなんかで、多くの人の素晴らしい絵やプラモデルやアート作品を観ることが出来る。そういうものを見ていて、自分には表現できるようなものが何もないと思ってしまった。自分は飽きっぽくていろいろなものに手を出す割にはどんなものにも情熱を持てていない気がする。だから、インプットが全然足りなくて、アウトプットできるようなものが生まれないのかもしれない。

でもそれも自分のいいところかもしれないと思う、何事にも少し距離を持って取り組むということが必要以上にプレッシャーに感じず、何でも楽しめるのかもしれない。最近は、絵を描くこともプラモデルを作ることもできていないが、またやってみようと思う。情熱が持てなくても、素晴らしいものが作れなくても、あまりプレッシャーに感じたり、人と比べることなく楽しんで続けていけばその先に何かを得られるものがあるかもしれない。

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