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人の心を掴むブランドは宗教に似ている。宗教は究極のブランドである。

アップルと宗教への思いは同じ?マーケティングとは何か?と問われたときにあなたはどう答えるだろうか。「ユーザーの情報や行動を元に最適な商品を推奨する」というのが模範的な回答かもしれない。だが、それだけではあまりにも当たり前だし何よりつまらない。

ニューロマーケティングの実験で、消費者の脳の反応を計測し、消費者心理や行動の仕組みを解明して、マーケティングへ活かそうという試み。このセッションで、彼がそこから得た数々の発見が紹介された。

まず紹介されたのは「宗教とブランドに相関があるのか」というテーマの実験について。その結果、アップルと宗教は関連性があり、マイクロソフトと宗教は関係ないことが示し、強いブランド信仰は宗教への信仰と相関性があると、強調された

ブランド・マーケティングを理論化する試みにおいては抽象的なくせにやけに複雑な物が多い。なぜ、ブランド構築する作業が無味乾燥でつまらないものに思えてくるのか。 

だいたいにおいて、ブランドとかヒット商品開発に関してのハウツー本が役に立つとは思えない。新商品をつくるための10か条とかあって、ターゲット顧客を変えてみるとか形を変えてみる・・・とか列挙される。そして、それぞれにおいて成功した商品名が具体例として挙げられる。しかし、それぞれの条項に失敗例も挙げることができる。

つまり、マーケティングの歴史をひもとけば、同じようなことをして失敗した例もあれば、それと反対のことをして成功した例もあるのだ。機能を増やして成功したケータイもあれば、機能数を減らして成功したケータイもある。色をとって無色にして自然や健康を強調して成功した清涼飲料水もあれば、「ただの水みたいじゃん」とかいわれて失敗した清涼飲料水もある。

世界宗教。「五感刺激のブランド戦略」の著者マーチン・リンストロームは、古今東西において究極のブランドは世界宗教であると書いている。

世界宗教を完璧なブランドとみなすことは正しい。なぜなら、キリスト教、仏教、イスラム教などは二千年前後の歴史をもち、世界中に信者(ファン)がおり、そのなかには熱狂的すぎる信者もいる寿命の長さやファンの数からいっても完璧なブランドであろう。世界宗教を支える10の条件全部でなくても、そのうちのいくつかを備えていれば、グローバルな長寿ブランドになれること間違いなしだ。

ということで、マーチン・リンストローム推薦の10の条件に従って、ブランティングについて考えてみる。

帰属意識:どの宗教も共同体意識を育成することで強くなる。ユーザー同士が同じ共同体に属しているという意識が強いブランドの例として挙げられるのはハーレイダビッドソンとアップルだ。もっとも、アップルはiPodやiPhoneのヒットにより、従来の教育やデザイン分野で働くハイテクに精通した顧客以外にも、学生や一般サラリーマンのユーザーがふえた。顧客ベースの多様化と急激な膨張により、この共同体意識が薄れてきている。よって、ユーザーは以前ほどにはアップルという企業が犯す間違いに寛容ではなくなっているとビジネスウィークは報告している。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)を支援する企業サイトは、購買者に帰属意識をもたらすことがひとつの目的だ。ゲーム機器というかゲームソフト購買者にも帰属意識があるといえるだろう。帰属意識が強ければ、かつてのアップル信者と呼ばれた忠実な顧客たちのように、ちょっとくらい欠陥があってもちょっとくらい使い勝手が悪くても辛抱強く改善されるのを待ってくれる。それどころか、どうやったら改良できるのかいっしょに考えてくれたりもする。
目的意識をもった明確なビジョン:自分が信じている神の教えを布教するために、宣教師たちはどんな危険な地にも出かける。通常は、ビジョンの御旗をかかげ先頭にたつ指導者を必要とする。アップルのスティーブ・ジョブズとかヴァージン・グループのリチャード・ブランソンとか。だが、多くの場合、ビジョンは、創業者が亡くなるとともに、消えていってしまう。ソニーのように。トヨタは、ビジョンの作り手や担い手に一人の人物を特定できない珍しい例だ。イエス・キリストの死後も、その教えをまとめた聖書をよりどころにして広がったキリスト教のように、トヨタの生産方式は「カンバン」や「カイゼン」といった名称で世界中に広がっている。
敵からパワーをもらうキリスト教とイスラム教は、互いに争うことによって強烈なパワーを得てきた同じ世界宗教でも仏教が二者ほどにパワーがないのは、敵がいないからだろうか?敵がいることによって、社内がまとまり一丸となってビジョンを達成しようとする。コカコーラにはペプシ、マイクロソフトにはアップル。日本では、アサヒに市場シェアをとられて俄然がんばったキリンビール。敵をつくることで総選挙に勝った小泉前首相。
ホンモノ:Authenticityという言葉を「五感刺激のブランド戦略」では「真正」と訳しました。疑いの余地などまったくなく本物だと信頼できること、300年近い歴史があるという「赤福」さえウソをつくとなると、このくらいしつこく定義しなくてはいけない。いつの時代でも、エセ新興宗教が登場しますが、長続きするものはほとんどない。ホンモノだけが歴史による淘汰を生き延びるのだ。つい最近「Authenticity」というタイトルの本がアメリカで出版された。日本でもベストセラーになった経験経済の著者B.J.パインとJ.H.ギルモアの書き下ろしだ。紹介文によると「顧客は、世界をホンモノかニセモノかで見分けるようになっている。ホンモノかどうかは、価格や品質と同じくらい、重要な購買判断の基準になっている」そうだ。
一貫性:これは言うまでもありません。企業が発するすべてのメッセージの内容に一貫性があり、企業が送り出すすべての印刷物やすべての広告物において、ロゴ、色、シンボル・・・すべてに一貫性があること。
完璧であること:世界宗教は完璧ではない。歴史をふりかえれば、聖職者や宗教団体の堕落や権力闘争はどの宗教にもみられる。だが、宗教は完璧な世界を約束してくれる。通常、宗教は、神の(あるいは仏の)教えに従った人生をおくれば死後には完璧な世界である天国に住めることを約束する。そして、信者はその約束を信じて生きる。
感覚訴求:宗教体験は五感を刺激する。天にそびえるゴシック教会のような宗教的建造物(視覚)、寺の線香の匂い(嗅覚)、読経や鐘、太鼓の音(聴覚)、そして数珠をまさぐる皮膚感覚。味覚はどうだろうか?キリストの血と肉とみなしてワインとパンを口にするカトリック教会はともかくも、仏教体験は味覚を刺激するだろうか?仏教行事それぞれに、餅、酒、甘茶とか関係する飲食物はあるけれども。密教の流れをくむ天台宗や真言宗で、護摩焚きをして燃える炎とリズミックに鳴らされる太鼓や鐘、お坊さんたちのお経の唱和をきくと、心がざわつき、原始的魂が鼓舞される思いがするものだ。密教のお経の唱和には独特の波動があると感じる人も多い。五感刺激はユニークな感情経験に導いてくれる。
儀式:宗教に儀式はつきものだ。日本における仏教は、その教えを信じるひとは少なくても、葬式という儀式に使われることで社会に残っている状況にある。バレンタインにチョコレート、エンゲージリングにはダイヤモンド、祝い事にシャンペン、って。いずれにしても、儀式につきものと思われるようになればシメタものだ。東京タワーがライトダウンする瞬間を恋人といっしょに見ると幸せになれるという最近の都市伝説が流行らせた儀式は、東京タワーというブランドを有名にした。でも、売上にはつながらない。だって、タワーを一望できるところからいっしょに眺めるってことは、入場券を買わないってことだよね?
シンボル:ルイヴィトンやシャネルとかになると、ファンはそのロゴのついたバッグを持ち洋服を着る。自ら宣伝媒体になってあげているというのに、お金をもらうどころか大金を払う。でも、ブランド・シンボルもそこまでくれば立派なもんですね。
神秘性:仏教のなかでも密教である真言宗とか天台宗になんとなく魅了されるのは、また、アメリカのセレブがチベット宗教に魅了されるのは、やっぱり、この神秘性でしょう。神秘的であればあるほど、消費者の好奇心は刺激される。

新型コロナウイルス感染拡大の不安が拭えない中、宗教などの教団に入ったり、そのようなコミュニテイーに自分の居場所を求めるような心理状態が人々の中で広がることは確実だろう。是非、今後の世界の方向性を見据える上でもを宗教についても学んでいきたい。

読んでくれてありがとうございます! 頑張っているチームのみんなに夜食をご馳走しようと思います。