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日本人をコロナから守ったファクターXは日本の道徳だった!?

暇つぶしにユーチューブに投稿してみたが、続きをやるのはまだ先になりそうなので、ノートにまとめておく。

動画の内容は、日本の死者数の少なさの原因(いわゆるファクターX)は、日本の道徳にあるのではないかという考察である。

その考察のために日本の道徳を、①新渡戸稲造の武士道(1990年)

②ルースベネディクトの菊と刀(1946年)

③中根千枝のタテ社会の人間関係(1970)

以上の三点を使って検討してみようというのが、動画の流れである。

この動画を公開したのは2020年5月26日だが、日本経済新聞の一面の下の方にある春秋(社説)欄(2020年5月31日付)にてこの動画の内容と酷似する分析がなされた。

第2次世界大戦中、米国に「戦時情報局」という組織があった。そこで敵国日本の研究に従事したのがルース・ベネディクトという女性だ。「日本人の行動パターン」と題した報告書をまとめ、対日政策にも影響を与えた。戦後、この論考を発展させた本が出版された。▼「菊と刀」。1946年の初版以来、長く読み継がれている。その核心は、「米国=罪の文化」「日本=恥の文化」という洞察だ。自分の振る舞いが世間からどのように評価されるか。それが日本人の行動の指針である。一方、仮に過ちを犯しても、「世間の知るところ」にならない限りさほど気に病まない、と指摘した。▼「日本のコロナウイルス対策は、ことごとく見当違いに見えるが、奇妙にもうまくいっている」。海外メディアは伝える。PCR検査率は低く、外出制限などの強制力もあまりない。なぜ、感染者や死者が欧米に比べ少ないのか。ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんは、その謎を「ファクターX」と呼び解明が必要と説く。▼生活習慣やBCGワクチンの効果なのか。やはり、人々が一斉にマスクを着用し、外出を控えた行動が大きいだろう。「世間の目」が人々を律したのか。だとすれば警戒を緩める空気が広がった時が心配だ。いやいや、「菊と刀」の日本人論なんて古いよ。と、否定したいところだ。が、思い当たる節がないわけではない。【春秋 2020/5/31付 日本経済新聞】

日本経済新聞社の記者さんが僕の動画を見てくださったのか、同じ思考だったのか、どちらにせよ名誉なことである。(インターンシップ応募するので通してください。)

日経は僕の言いたいことを半分ぐらい言ってくれたので、残りを捕捉したいと思います。

この三冊の要旨は、日本人の行動基準は、周りにどう思われるかである場合が多い。という事だ。(キリスト教文化圏は、倫理に合うかどうかであることが多い。)

日本の宗教は、日本人の行動規範(道徳基準)足りえなかった。日本の近代の道徳基準は『武士道』であるが、そこで是とされている行動(主君への忠義や親への孝)に武士を駆り立てるのは、世間の評判である。

明治維新の後、つまり武士の『刀』がなくなった後、日本には確たる道徳基準の欠如を恐れた伊藤博文は、演説にて『日本の行動基準を皇室に求める』ことが最適だと述べた。日本は、バラバラになりそうな、矛盾を含む行動基準を一つにまとめ上げるために皇室を利用した。そこでの、是とされている行動に臣民を駆り立てたのものは、であった。

そしてGHQは皇室への畏敬をぶっ壊した。もはや日本に統一的な行動基準は存在しない。そして、そこに残ったのは、世間の目を気にする日本人の意識だけである。

そうなると、日本人の道徳は、みんながだめだと思うものはだめ。みんながよいと思うものはよい。という、道徳基準の民主化が進んでいると言える。道徳基準はいつから投票で決めるようになったのか?投票で決められるものなのだろうか?

そして、みんなの考えた「道徳基準」から逸脱しているものを、つまり世間の目を気にしない人を、みんなで寄ってたかって非難し罵倒するのである。

話がそれてしまったが、日本人のみんなが考えた道徳基準が、日本人をコロナから守ってくれたのなら、それはそれでよかったのかもしれないが、これを機に日本人の道徳について、上の3冊(特に菊と刀)を読んで考えてみてもいいかもしれない。

日本の道徳は決していいことだらけではないのだから。



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