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シルクロードの旅(2)陝西省西安市②

みなさん。お久しぶりです。
個人的に沖縄を訪れていて更新遅れました。
沖縄についてもそのうち、ノートに書きたいと思います。

さて、前回の記事で書いた、西安市の宿で休憩した後、まず最初に訪れたのは碑林博物館(入場料65元)である。
私が高校の時お世話になった、漢文の先生は中国によく旅行しているそうで、西安のおすすめ観光地を聞いたところ、ここをあげた。碑林博物館は石碑・墓碑・金石文・墓誌銘・石彫刻を多数収蔵し、「中国最大の石造の書庫」とも称されているらしい。
ここには、中国4000年の遺産が詰まっているかのようで、教科書に載っているような有名な石碑がたくさん展示されていた。

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大秦景教流行中国碑

これは、中国の明末に長安【現在の西安】の崇聖寺境内で発掘された古碑。キリスト教ネストリウス派(景教)の教義や中国への伝来などが刻まれる。唐代の781年(建中2年)に伊斯が建立し、碑文は景浄が撰した。古代キリスト教関連の古碑として世界的に有名である。現在は西安碑林博物館にて保管されている。
【Wikipedia 大秦景教流行中国碑】

キリスト教ネストリウス派について、別記事を書いている途中ですので、それも出来たら併せてどうぞ。

唐代からキリスト教が中国に伝播していた証拠であり、シルクロードが発展していた証拠である。
西洋人による流出の危機を乗り越え現在も西安にあることは、幸運かもしれない。

私はこの石碑を見て感心していたが、そこは中国、地元の人は石碑の前に群がり、ベタベタ触っていた。一応ガラスで囲われているが、、指紋だらけ。

この石碑は世界的に見ても一級品の価値があるものだからガラスで囲われているものの、他の展示物はガラスで囲われていないものも多く、みんな触り放題触っている。文化の違い?を実感した。

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日本語の解説!ありがたい。

時代別に石碑が保管されており、書道を学ぶなら誰しもが通る王羲之や顔真卿などの資料が展示されている。

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顔真卿の字を掘り出したもの。この重厚感こそが特徴である。

真卿は初唐以来の流行である王羲之流(院体)の流麗で清爽な書法に反発し、「蔵鋒」の技法を確立した。力強さと穏やかさとを兼ね備えた独特の楷書がその特徴である。伝説では、顔真卿が貧しかった頃、屋根裏に染みた雨漏りの痕を見てこの書法を編み出したといわれている。【顔真卿−Wikipedia】

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王羲之の書を掘り出したもの

王羲之は、書の芸術性を確固たらしめた普遍的存在として書聖と称される。末子の王献之も書を能くし、併せて二王の称をもって伝統派の基礎を形成し、後世の書人に及ぼした影響は絶大なものがある。その書は日本においても奈良時代から手本とされている。
【王羲之−Wikipedia】

さて、沢山の重要な石碑が残る碑林博物館の近くは骨董品が沢山売っている風情ある街並みとなっている。

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ちょうどここらへんで雨が降ってきた。
正直シルクロードに雨なんか降るわけないと思ってたから驚いた。
でも西安はシルクロードの始まりである以前に、中華文明の中心であるわけで雨が降るのも当然である。
雨が降る西安もまたいいものだって思いましたね。

続きはまた次の記事で。


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